3章
3章-1 願いの形、ほころびの音
カーテンの隙間から差し込む朝の光が、まぶたをじんわり照らしていた。
目覚まし時計が鳴る前に、ユイは静かに目を開けた。
窓の外では蝉の声。真夏の朝の、あの特有のにおい。
(……あ、今日も“あの夏”なんだ)
昨日の出来事が、夢じゃなかったことに、ゆっくりと胸が温かくなる。
リョウくんに会えた。
エミリもケイタも、変わらず笑ってくれた。
そして――「次はきっと、うまくできる」って、ちゃんと思えた。
そんなことを思い返しながら制服に袖を通し、鏡の前で髪を整え、階下に降りる。
「ユイ、パン焼けてるから、先に食べててー!」
台所から聞こえる母の声に、足が一瞬止まる。
(……あれ?)
キッチンに立っていた母は、髪をひとつに結び、スーツ姿で慌ただしくトースターを開けていた。
制服の襟元に名札。明らかに出勤準備中だった。
(お母さん……働いてたっけ?)
たしか、前の世界では専業主婦だった。
いつもはリビングで朝ドラを見ながら、「いってらっしゃい」って笑ってたのに。
「ごめん!今日バス早くて!コーヒー入れられないかも~!」
忙しそうに走り回る母の背中を見ながら、
ユイはなんとも言えない違和感を喉の奥に押し込んだ。
椅子に座り、トーストにバターを塗ろうとしたとき――
視界の隅、リビングの壁が目に入る。
(……あの時計……)
前の世界では、確か白い丸形の時計だった。
でも今そこにあるのは、シルバーの角形デジタル。
「……気のせい?」
呟いた声が、自分の耳にも頼りなく響く。
違う、これはただの“記憶違い”じゃない。
“ズレている”のは、きっとこの世界の方だ。
(私が覚えてる“あの夏”と、この“あの夏”は、同じじゃない)
ほんの少しだけ、世界がずれている。
それはまだ大きな破綻じゃない。けれど、確かに“綻びの音”が聴こえはじめていた。
⸻
完璧なはずのやり直しの朝。
その輪郭の縁から、静かに、何かが滲み出していた。
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