母をなくした
かしゆん。
プロローグ:僕がその日、なくしたもの
ピッ ピッ ピッ ピッ
白くて無機質で時代の最先端を結集した部屋に居るのは、僕とお父さん。
それからお医者さんや看護師さんに、管に繋がれたお母さん。
メトロノームの様な音が部屋に鳴り響いている。
その時は明け方。眠い目を擦りながらその後に何か嫌な事が起こってしまうという事は僕が幼くても分かった。
全員が神妙な面持ちでお母さんとお父さんを見つめている。僕も高めの椅子に座らされて、お母さんの寝顔を見ていた。とても安らかに眠っていた。多分。
お父さんがお母さんに何か話しかけている、お父さんに促されて僕も話しかける。返事は無い、お母さんはただ眠っているだけだ。メトロノームが虚しく響く。
段々とお父さんの目尻に涙が溜まっていくのを見た。いつもカッコよかったお父さんが苦しそうな表情をしていた。
そんなことをいつまで続けていただろう。突然、メトロノームが速くなった。
小さな変化に僕は何が起こるのだろうと心が動いた。
お母さんが起きるかもしれないのだと思った。
でも段々とメトロノームはゆっくりになっていく。
その時の僕はそのメトロノームの動きが何を意味するのかを知らない。
「もとにもどっちゃったね」
「……そうだな」
お父さんはさっきよりも苦しそうな表情で噛み締めるようにお母さんの頬に手を当てている。最早そこに僕は介入の余地が無かった。
「母さんッ……おい、しっかりしてくれって、なぁ……っ!!」
嘆願するようなその声とは裏腹に、ゆっくりとなっていくメトロノームは留まるところを知らない。静かな空間で存在感を示していたそれは遂に。
ゆっくりとなり切ったところで、途切れていた音が繋がるかのように音を出し続け、メトロノームと呼べるものではなくなった。
ピ―――――ッ
そんな音の中、お父さんがお母さんと僕と繋いでいる手に力が入った。
「……八月二十日、△時✕分。死亡を」
「……あ、あぁぁっ!!」
「確認しました」
ピーーというやけに頭に直接響いてくるような音の他に、お父さんの嗚咽と、お医者さんや看護師さんのあくまでも事務的な態度をよく覚えている。大きくなった今だからこそ何故そうしているのか位は検討が付くようになったが、幼かったあの頃には人の死を目の前にして涙すら流さない大人というものに悪寒を抱いていた。
でもそんなことを思っていた自分も、お母さんの死に顔は覚えていない。今やお母さんの印象は、仏壇に飾られてある笑顔の綺麗な女性というものだけだ。本当は記憶の底に眠っているのかも。だけど、僕は大好きだった人が突然居なくなった悲しみを、他人への八つ当たりの様な形で逸らしていたのは幼いながらの防衛心だった。
「あぁぁぁあぁっ……っ!! ダメだって……まだやってない事の方が多いじゃないか……っ!! うわぁぁぁぁああっ!!!!」
幼くても分かる程に愛妻家だったお父さんの嗚咽。もうあの日から十二年経っているらしい今も、嗚咽どころか涙を流す素振りすら見せない。
お母さんを亡くして辛い筈のお父さんは、それでも何とか僕を育てようと必死に頑張っていた。仕事に家事、俺の送り迎えまで。僕の祖父や祖母にはもう亡くなっていて頼れなかった。でも僕が家事を手伝えるようになってから、笑顔が増えた気がする。きっとしんどかったのだ。
その苦労を僕は感じ取っていた。
だからこそ。
母を亡くしたその日から、僕は僕自身に含まれていた何かを捨てた。
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