第1話:溢れ出た元気を掬う

 一人にしては少し広い空間。机と椅子が整然せいぜんと並べられている教室に、僕はただ一人早く来ていた。でもそれはいつもの光景で特別な感情は何もない。

 黒板が無い後ろ側、白い木製の引き戸を開いて教室に立ち入る。コトコトと木製もくせいタイルに対して音を立てるローファー、ガラガラと椅子を後ろへ引く音。そのどれもがただ静かな教室の中では大きな存在感そんざいかんを示していた。


 窓越しから聞こえる夏虫なつむしはなんだろう。どうでもいいことを考えながら席に着いたが、そこで教室の電気がついていなかったことを思い出す。燦燦さんさんと日光が差し込む教室内は電気がついていなくても案外明るかった。

 電気をつけ、無造作むぞうさに鞄を机の横に置いておく。誰にも邪魔されない、ただ一人の時間。それを僕はいつも一時の睡眠すいみんついやしていた。


 目をつむると暗闇くらやみが広がっているけれど、身体はぽかぽかと暖かい。それは内側からのものでは無くて、り付ける太陽たいようによるものだった。つくえした、ぼんやりとした思考、それをつんざくようないつも通りの大声が響いてくる。


「おーはようッ優斗ゆうと!! 朝から突っ伏してんじゃねーぞ!!」


 突如とつじょ背中に強い衝撃しょうげきが走った。溌溂はつらつとした声を僕に向けて来るのは良いけれど、叩いてくるのは痛いから止めて欲しい。


「うおぁっ!? おいバカ、背中叩くの強すぎなんだよアホ」


「あ、二回も悪口言ったね。罰としてこちょこちょしまーす」


「おい、なにしてっ、あっははっ!! おいやめろって!!」


 コイツは高杉史郎たかすぎしろう、中学校からの付き合いでテニス部で朝から練習する為に早く登校してきている。

 随分ずいぶんご苦労な事だ。俺は帰宅部きたくぶだから、毎日がキラキラしていそうな高杉には少しあこがれるふしもある。


「フン、今日の所はこれくらいで勘弁してやろう。またくすぐられたくなったら悪口でも行ってみるといいさッ」


「お前朝からテンション高すぎ、こっちは眠いんだわ」


「テンション高杉、ここに参上ッ!!」


「うるさいから黙っとけ」


「あ、もう一回いっとく?」


「ご、ごめんごめんっ!!」


 こうして朝からテンションの高い高杉だけれど、コイツと話しているこの時間はそこそこ楽しくて好きだ。高杉からあふれ出た元気を少しすくうだけで、僕も同じものが心の奥からいてくる……ような気がする。


「んじゃ、朝練行ってくるから。お前もテニス一緒にやるか?」


「無理無理、部活入っても続けられるほど金ないから。ラケット高いし」


「いや、ラケット自体は最初に買ったヤツ大切に使えばそうそうこわれることは無いぞ。ガットは二ヶ月に一回張り替えるだけでいいし」


「それがたけぇんだよ」


 そう。それが高いのだ。

 前に聞いたけれどガットのえは二千円くらいするって言ってた筈。


「僕のお小遣こづかい既に少ないのに、更にそれがるのはキツイわ」


「親から出してもらえないのか?」


「いいよ、悪いし。それに俺は帰宅部のままでも満足してるから大丈夫だよ」


「そっか~、まあ気が向いたらいつでも来いよ!! 歓迎かんげいするぜっ!!」


 そう言って走り去っていく高杉。ちなみみにあいつもテニスは高校生になって始めたらしから、まだ四ヶ月くらいしかやっていない。それでも絶対上手いんだろうが、まるで熟練者じゅくれんしゃみたいな雰囲気ふんいきを出しているのは少し面白い。


「じゃあなっ!! また三十分後!!」


「おう、頑張ってなー!」


 春に高校に入学してはや四ヶ月よんかげつ。もうそろそろで夏休みに入る。

 じりじりとける太陽と、それを反射はんしゃするようなアスファルトの熱にサンドイッチにされながら登校するのは苦行くぎょうだ。


 だからこそ、僕は皆よりも少しだけ学校に早く着く。家のクーラーは小さい頃からつけていない。そう言う習慣しゅうかんになっているのだから仕方が無い。

 でもやっぱり眠いから、学校に着いたら仮眠かみんをとる。少しあせをかいてじっとりとした制服が気持ち悪くて、最近は眠りがどうしても浅くなる。


「でも、今日は体育だし。ジャージに着替えてるかなぁ」


 朝は特にだれも居ないから、教室で着替えたとして誰にばれるわけでも無く。誰に文句を言われることも無い。でももしも人が来ちゃったらどうしようかと思う気持ちもあるから、少しむね鼓動こどうが速くなりながら着替える。

 運動部うんどうぶでもないのに朝からジャージに着替きがえてる人は僕くらいだろう。


 さっと着替えを済ませて、制服をたたみ、再び机の上に自分のうでまくらにして突っ伏す。あ、でも居眠いねむりをきわめた僕から言わせれば、真下ましたを向くのは寝心地ねごこちわるい。頭を左に少しだけかたむけて、|肘ひじの間のへこみに頭を乗せる。


 これが一番どの体の部位にとっても負担が少ない。腕枕うでまくらに頭を乗せて、小鳥ことりさえずりを聞いていると、次第しだい微睡まどろんでいく。気が付けば、意識は無くなっていた。


 ふと目を覚ました時、教室にはざわめきが広がっていた。

 あぁ、もう皆着ている頃か。おもまぶたをこすって、顔をあげる。


「おはよっ! 名倉なぐらくん!」


「うわっ小清水こしみずさん!?」


 おもてをあげるとそこには見知みしった顔があった。

 いつもはとなりの席に座っているはずの女子、小清水柚葉こしみずゆずはだ。


「うわっとはなんだ失礼な~!」


「いやごめんごめん、けど顔を上げたら目の前に顔あったらおどろくって。しかも寝起ねおき」


「ふふ、確かにねっ。いつ起きるのかな~ってずっと見張みはってた!」


「こわっ」


 冗談じょうだんを言って小清水さんははにかむと、スタスタと自分の席に戻って座る。まだHRも始まっていないのに、もう一時間目の準備じゅんびをしているみたいだ。


「あっ、やばー!」


「どうしたの?」


筆箱ふでばこ忘れちゃったみたいだぁ……ごめん名倉くん、今日シャーペンしてくれない? あと消しゴムも!」


「あー、いいよ」


 シャーしんが入っている事を確認かくにんしてから小清水さんにシャーペンと消しゴムを一つずつ貸し出す。何で女友達おんなともだちからりないんだろうとか思ったけれど、あわい思考は窓から差し込む熱い日差ひざしに一瞬いっしゅんにしてされる。


「本当にありがとっ!! おれいに頭でもでてあげよう~」


 きゅうびてきた手に驚いたけれど白くてほそい腕は僕の頭の上に乗せられてワシャワシャと乱暴らんぼうに撫でられる。それでもなんだか気恥きはずかしさを感じて小清水さんの方を向けなくなった。


「いや、いいって……」


「あれ、れてる?」


「う、うるさいな。ほら、友達が呼んでるよ」


「ゆずはー!! おっはよー!!」


「おはよーっ!! それじゃあねん、少年!!」


「同い年ですけど」


 なんともありきたりなツッコミをした後に、さっきまでさわられていたかみの毛がまだ感触かんしょくおぼえているのに気が付いて、また一人で恥ずかしくなる。

 誰も見ていないだろうに、ひとりでかおおおっているとさっきまで朝練に行っていた高杉が帰ってきたらしく、話しかけてきた。


「おう、ジャージに着替えたんだな。テニス部入る気になったか?」


「ならねぇって、楽しそうではあるけどさ」


「見る目あるやん、まあそれは良いとして最初さいしょ教科きょうかって何?」


数学すうがくだけど」


「いや朝から数学はきびしいって!! あ、てか俺今日筆記用具ひっきようぐ忘れたわ。貸してくんね?」


「あー、いいけ……あっ」


「ん?」


 筆箱の中身を確認するも、残っているシャーペンは一本だけ。俺の使う分しか残っていない。


「ごめん、先客せんきゃくが居て今日は貸せないわ。消しゴムだけいるか?」


残念ざんねんだけど、何も消すものが無いんよ。まあありがたく貸してもらうけどな!! シャーペンは他のやつから借りるとするか、センキュー名倉!!」


「いいってことよ。このおんをちゃんと胸にきざんでおけよ」


「そうだな、消しゴムで消しちゃわない様に気を付けないと」


 どうでも良い会話をしていると、前の扉がガラガラと開いた。その瞬間学校の始まりを知らせるチャイムがむように教室に響く。

 スタスタ軽快けいかいな足取りで担任の先生が入ってきた。センターパートのまだ若くてフレッシュな先生だ、噂によると女子ウケも高いらしい。僕自身も爽やかで関わりやすいと思っている。


「ほーいおはよう、それじゃあ席着け~」


「そんじゃまた後でな!」


 自分の席に戻って行く高杉を見送って、朝礼が始まったのを耳から反対の耳に流しながら筆箱の中身を見つめる。

 少しさびしくなってしまったけれど、善意故と考えたらなんとなく気分が良い。これがノブレスオブリージュってやつか……うんうん。


「おい名倉、聞いてんのか~?」


「えっ!? あ、はい、全部聞いてました!!」


「聞いてたら今日の欠席確認はもうとっくに済んでるはずなんだけどなぁ~?」


 やべ。


「すいませんっ、全部聞いてませんでした!!」


「おいっ!? まあいい、さっさと報告してくれ」


 教室を見渡して、今日は誰も欠席が居ない事を確認する。

 いや、これなら僕要らないでしょ。

 まあそれはそうと聞いて無かった僕が悪いんだけど。


「ふふ、怒られちゃったね?」


「仕方ない。そういう日もあるよ」


「それ、当事者が言うセリフじゃないからねっ!?」


 小清水さんの向ける笑顔が、僕を無性に元気にさせてくれる。


 なぜだろう。だけど、とても心地の良い感覚だ。


 いつもなら少し煩わしい筈のセミの鳴き声すらも、今は僕をエモーショナルな気持ちにさせる。

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