第17話 若者の来訪
その朝、剛は湯を沸かしていた。
火の音と湯の泡が、山の静けさに響いていた。
そのとき、足音が聞こえた。
土と草を踏む音。
獣ではない。人の歩み。
迷いを含んだ足取りだった。
やがて、若い男が現れた。
痩せぎすで、髪はぼさつき、足は泥に汚れていた。
呼吸が荒く、だが瞳だけはまっすぐに剛を見ていた。
「……九頭竜剛さん、ですよね」
若者は言った。声が少し震えていた。
剛は頷きも返事もせず、ただ視線を向けた。
それが肯定であると、若者は受け取ったようだった。
「ずっと、探していました」
「あなたに会って、どうしても聞きたかったんです……“強さ”って何ですか?」
その言葉に、剛の手が止まった。
湯が沸騰し、蓋が小さく跳ねた。
若者は続けた。
「いろんな道場に行っても、答えがなかった」
「試合で勝っても、満たされなかった」
「だから、あなたを……“地上最強だった人”を訪ねてきたんです」
剛は木の椅子に腰を下ろし、湯を火から下ろした。
そして、言った。
「おれが強かったのは、昔の話だ」
若者は食い下がるように言った。
「でも今も、何かを持ってる。
あなたの“気配”がそう言ってる」
「今のあなたに、習いたいんです。強さを、教えてください」
沈黙が流れた。
剛は火に薪をくべ、炎を見つめた。
その表情には、憐れみでも驚きでもない、ただの静けさがあった。
「教えることは、ない」
「ここにいるだけだ」
若者は困惑した。
剛は立ち上がり、木刀を手に取ると、祠の前へ向かった。
そして、構えずに、ただ木刀を手にして立った。
若者はその背中を見つめた。
何もしていない。
ただ立っているだけ。
だが、その場の空気が明らかに変わった。
風の通り道が変わり、鳥の鳴き声が遠のいたような静寂。
若者は思わず息を止めた。
何もないのに、確かに“何か”があった。
それは、言葉にできない強さだった。
「……じゃあ、せめて……ここに、居させてください」
若者が言った。
剛は振り返らなかった。
それが承諾なのか、拒絶なのか。
けれどその場を追われることはなく、
若者は祠の端に腰を下ろした。
強さの意味は、まだわからなかった。
だが、それを問い続ける場所だけは、ようやく見つけた気がした。
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