第15話 立ち木と対話
その日は、木刀を握った。
久しぶりだった。
何日、いや何週間ぶりかも思い出せない。
ただ、その日だけは――なぜか自然と手が伸びた。
祠の裏手に、一本の大木がある。
幹は太く、苔むし、どっしりと根を張っていた。
剛はその木の前に立った。
打つつもりはなかった。
試すつもりもなかった。
ただ、“向き合う”という気持ちだけがあった。
木は、動かない。
何も語らない。
攻めてこないし、防御もしない。
だが、そこに確かに“間”があった。
剛は、ゆっくりと構えた。
気負いもなく、ただ自然に。
すると不思議なことに、
風が音を変えた。
周囲の空気が、微かに沈む。
木刀を前に出しただけで、
空間が張り詰めたように感じられた。
木の気配が、剛に語りかけてくる。
いや、語ってはいない。
だが、“ここに立つおまえは何者か”と問われている気がした。
剛は動けなかった。
振れなかった。
ただ、目の前の木の“気配”に圧倒されていた。
動かないものに、負ける――
そんな馬鹿な、とかつての自分なら笑っていたかもしれない。
だが今は、笑えなかった。
この木の“在り方”が、自分の“構え”を見透かしてくる。
“見せる構え”なのか?
“斬るための構え”なのか?
それとも、“ただ在るための構え”なのか?
剛の中で、構えが揺らぐ。
自分が“何者として立っているか”が、定まらない。
木は動かない。
だが、その沈黙が剛の中の雑音をあぶり出す。
そしてふと、木刀の切っ先が下がった。
剛の中で、構えが解けたのではない。
“構える必要がなかった”と気づいたのだ。
目の前の木は、敵ではなかった。
試す相手でも、学ぶ対象でもなかった。
それは、ただ“在る”。
そして、自分もまた、“ただ在る”だけでよかった。
その瞬間、剛は木刀を地面に置いた。
腰を下ろし、背筋を伸ばし、木と向かい合って座った。
木との“対話”は、そこでようやく始まった。
音も言葉もない、
ただ、“気配”だけの会話。
長い時間が流れた。
だが剛の中で、ある確信が芽生えた。
“間”とは、相手の動きではなく、
自分の“気配”が空間に触れることで生まれるもの。
それが、ようやくわかった気がした。
動かない木が、教えてくれた。
それは技術ではなかった。
力でも、反応でもなかった。
在り方そのものが、“間”を生む。
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