第6話 破られた踏み込み

 その朝、剛は自分の中に焦りを感じていた。

 何も得られていないわけではない。

 むしろ、得たものの“深さ”があるがゆえに、

 それをどう表に出すべきかわからなかった。


 何かを掴みかけている気がする。

 それでも手が届かない。

 だから――今日は、踏み込む。そう決めていた。


 伝承者は変わらず、祠の前にいた。

 木刀を手にしている。

 いつもと同じ、形なき構え。

 だが剛には、かすかな“間の綻び”のようなものが見えた気がした。


 ――今なら、届くかもしれない。


 剛は木刀を受け取り、呼吸を一つ整える。

 そして、思考を切った。

 身体に任せるように、ゆっくりと一歩踏み出した。


 次の瞬間。


 視界が倒れた。


 地面がある。

 頬に土の冷たさが触れ、息が止まったような錯覚。

 何が起きたかわからない。


 木刀ははるか後ろに転がっていた。

 自分は、空を飛んだらしい。


 立ち上がろうとしたとき、伝承者の声が降ってきた。


 「おまえの“踏み込む意思”は、もう足に届く前に見えていた」


 剛は口を開こうとしたが、

 口の中が乾いていた。


 「“打とう”と思った時点で、負けだ」

 「“斬る気配”は、動作より先に、空間に滲む」


 剛は膝をついたまま、木刀を拾うこともせず、

 ただその言葉を飲み込んだ。


 気配。意志。

 それらはすでに、“踏み込む前”に読まれている。

 つまり――人は、自分の攻撃の前に、自分の内側から崩れている。


 剛はその日、もう木刀を握らなかった。

 山の木々のざわめきが、遠くに聞こえた。


 風が吹いた。

 その一陣に、背中がわずかに震えた。

 木の葉が一斉に揺れ、

 剛の胸の奥に、何かが残った。


 ――「間」とは、技を越えた場所にある。


 その夜、剛は一睡もできなかった。

 敗北の衝撃ではない。

 理解の深さが、眠りを拒んだ。


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