第2話 それが私と彼の出会い――

 記憶――。記憶があった。


 石造りの建物と、石敷きの道。

 声を張り上げている商売人。ヒヨクだけではなく、トガリミミの旅人や道具を真剣に見つめるシュジュの職人の姿が見える。探そうとしたらビョウジンやケンジンも見つけられるだろう。


 それだけ、城下町は栄えている。転輪羅針世界アールダヤングの外側に位置するシメオン王国は、この宇宙に少ない選良者アルダワーンの領域だ。ヒト属が集まってくるのは自然の流れといえた。


 隙間を見出すにも困難な雑踏の中、だが私の周囲は三歩ほど空間が開いている。唐突な空漠は無論、意図的なヒトの心が生み出した不自然の産物だ。

 雑踏の中で聞き取れないが、それでも囁かれている声は知覚できる。私の耳に届かぬようなや、表立って石を投げてくる行為に至らないのは彼らが善良である証なのかもしれないが、既にこの気配に慣れきってしまった私には、たとえ拾いきれなかったとしても内容は把握できる。


「忌まわしい黒い翼」

「王国に終わりをもたらす凶兆」

「災いを呼ぶ色」

「不吉を糜爛する羽ばたき」


 もう五年もこの渦中に晒されてしまっては、おおよその検討はつく。結局は異口同音、取り立てて新しい内容が囁かれるわけもない。


 隠しているつもりだろうが、微妙でも眉をひそめた表情から察せられないほど鈍くない。いっそ、気づかなかったら幸せだったのだろうか。



 翼が生えたのは、一二歳の頃。それまでの私は、自分で言うのもなんだが蝶よ花よと育てられた。もちろん、努力を欠かしたつもりもない。シメオン王国の王女として、礼節をはじめ、様々な勉学にも励んだ。


 実際、翼が生えるまではいろんなヒト達が私を礼賛してくれていた。曰く、王女にふさわしい。曰く、非の打ち所がない。曰く、新しい時代を飾る美姫。


 今では苦笑してしまう美辞麗句を立て並べられたものだ。


 現在とは打って変わる、輝かしい過去とやらが終わりを迎えた日のことは、今でも鮮明に憶えているし、きっと一生刻み込まれる傷痕となっているだろう。


 別に望んではいなかったが、当時の私の着せ替えは使用人の役目だった。その日の着替えの際、私の背中を見た彼女は訝しげな表情を浮かべていた。


「これは? ……まさか」


 翼が伸びたのならいざ知らず、うまく鏡で見なければ、生えたての翼など自分で視れるわけもない。もし、当時の私が背中の羽根を誰よりも早く見つけていたら、運命は少し変わったのだろうか。それでも、誤魔化しがきくのはそれほど長い時間ではなかっただろうが……。


 とにかく、その日から私の世界は一変した。その変化はいっそ困惑を覚えるほどに速く、そして劇的だった。


 手枷を嵌められたのは初めてだった。足枷もだ。昨日まで褒め称えていた大臣が、魕族を視るような目で私を睨んでいる。いや、恐れている。


 今まで見たことのない、悪意と恐怖が入り混じった視線。それまでの私は善意と憧憬の視線しか浴びていなかった。


 思い返すに、不幸だったのは私の生まれだったのだろう。もし、シメオン王国で生まれなければ……王族でなければ……。


 生まれ自体は幸福であっても、翻っては結局不幸と変換される。


 生は罪、生は罰。宇宙は苦界。ヒト属、ひいては選良者が持つ、世界への忌避感。強弱はあれども、ヒト属に刷り込まれた本能が、私に黒い翼を与えたのかもしれない。



 服の内側で疼くように震える羽根の感触を味わいながら、私は歩を進める。


 これは禊ぎなのだ。


 理不尽な世界、世界そのものを忌避する本能アレルギー。この宇宙はヒト属にとっての苦界であり、民は鬱屈した感情のやり場を求めている。だからこそ、市井にあえて身をさらし、それを甘んじて受け入れる。


 王族に生まれた者の責務だ。王族貴族は民の上に立ち、民よりも贅を尽くした生を謳歌できる。それは、翻ると理不尽への責任の所在を明らかにしているのだ。民の上に立っているからこそ、民に生殺与奪を、心臓を握られている。意識していようと、無意識だろうと、それが国というシステムだ。強権を持っていることは、裏側にはそれに応じた代償があるのだ。


 そして、シメオン王国というシステムが黒い翼を持って生まれた王女に課した代償が、これだ。私は死ぬまでシメオン王国に縛られ、カゴの中の鳥よろしく奇異の目に晒されながら生きるのだ。


 それでも、父王には感謝している。本来ならば、この色を持って生まれた以上、謀殺されてもおかしくなかった私を、条件付きとはいえ生かしてくれたのだ。


 目を伏せて歩くのも慣れてしまった。皆、私を避けるのだ。城でも、街でも。もう誰とも触れることもない。私は衛星を持たない孤独な惑星だ。交わることなく〝新しい世界〟が来るまで、決められた道を歩き続ける。或いは、巡礼なのかもしれない。


「え?」


 頭に軽い感触。疑問とともに視界には自分のものと違う誰かの靴。


 見上げると、そこには太陽を背負ったかの如き青年の姿があった。なんてことはない、私よりも背が高い彼と太陽の位置を考えれば自明の理であるが、その時の私には後光差す救世主イーサーに見えたのだ。


 生きるだけの日々。苦界での慰撫のための巡礼を強要された私の前に現れた救世主。


 そう、それは伝承にある〝光の友〟であるかのように、この宇宙に輝きを放っていた。


 眉目秀麗な姿は完璧な光の神の造形物か。悪魔を魅了するための機能なのか。ただ、いるだけで大気の質さえも変えてしまうホモスの青年。


 罪深い我々の中で、彼は罪など一切抱いていない曇りなき瞳で転輪羅針世界アールダヤングを見つめていた。そして、私も――。


 おそらく、〝新しい世界〟へと旅立ったとしても、魂に刻み込まれた福音。


 それが私と彼の出会い――。

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