情弱の静かな復讐
広川朔二
情弱の静かな復讐
昼休みの社食には、いつもと変わらぬ音が流れていた。トレイを置く音、スーツの擦れる音、笑い声。誰もが自分の居場所に収まり、穏やかな時間を消費している。
田島大輝、二十九歳。中堅商社の営業職。成績は中の上、愛想もそこそこ、上司に叱られることもなければ褒められることもない。誰かの記憶に強く残るタイプではないが、トラブルを起こすようなことも一切なかった。実家暮らしで、通勤は片道一時間。趣味はなし。休日は寝て終わる。
このままでいいのか――。そう思い始めたのは、去年あたりからだった。
結婚を考えていた彼女に「夢がない」と言われて振られ、母親に「そろそろ家出て行ったら?」と呆れられた。だが転職する勇気も、起業する度胸もない。気づけばスマホのタイムラインには、「副業で月収百万」「たった三か月で人生が変わった」といった派手な広告が頻繁に流れるようになっていた。
その中で、ひとりのインフルエンサーが目に止まった。
名を「SHUN(しゅん)」という若い男。キラキラした白い歯、高級外車、プール付きのタワマン、空港ラウンジでの自撮り。
「大学中退から年商三億」「情報商材を使ってPC一台で自由に生きてます」
プロフィールにはそう書かれていた。
最初は胡散臭いと思った。だが、彼の投稿には一貫した説得力があるように感じた。「努力しない奴が不幸になるのは当然」「知識は武器。情報を買う勇気がない奴は一生奴隷」と書かれた投稿には、数千のいいねとリツイートがついていた。
大輝は、迷いながらもリンクを踏んだ。
セミナー動画は無料だった。動画ではSHUNがこう語った。
「俺は、他人と同じルールで戦うのをやめたんです。正社員? そんなの時間の切り売り。知識を使えば、雇われなくても金は稼げる。情弱は一生労働、情強はクリックで稼ぐ。どっちがいいですか?」
その言葉に、不思議と反論する気が起きなかった。自分が正社員として働きながら、年々削られていく時間や気力を思い出すと、何かが心に引っかかった。
その後、有料プログラムの案内が出てきた。
| 価格:十四万八千円。
| 本気で人生を変える人だけクリックしてください
大輝は一晩考えた。次の日の朝、駅のホームで、半ば無意識にクレジットカードの番号を入力していた。
届いたのは、ログイン式の会員サイト。数本の動画と、PDFファイル数枚。
内容は想像よりも、ずっと薄かった。
動画の一つは、SHUNが「挫折から学んだ十のこと」と題して、ただ自身の苦労話を語っているだけ。PDFには、「SNSで信用を集めて商品を売ろう」「リストを集めてステップメールを回せ」と書かれていたが、その具体的なやり方は一切書かれていない。
呆然とした。だが、もっと驚いたのはその“稼ぎ方”だった。
「この商材を、あなたも売ってみましょう。実体験が最大の武器です」
自分が買ったものを、他人に売れ――。
それは、もはやネズミ講に近かった。
信じた自分が馬鹿だった。そう思っても、後悔は消えない。翌月には口座から引き落としされた。そして毎晩のようにあの画面をクリックする夢を見た。愚かな自分に情けなくなる。
だが会社では、相変わらず穏やかなふりをしていた。笑顔も作れる。怒る理由もない。ただ、スマホを開くたびに、SHUNが高級時計を見せつけながら笑っているのを見て、胸の奥が焼けるように痛んだ。
「騙された」なんて言えば、笑われる。
「それって詐欺じゃん」と言われても、警察に行けるほど明確な証拠はない。
だから田島大輝は、何も言わず、ただ黙って働き続けた。
しかしその夜。帰宅して風呂に入り、寝る前にふとSNSを開いた時――
SHUNの新しい投稿が目に入った。
「情弱はまた今日も俺の飯代になったw」
画面を見つめる大輝の目が、ゆっくりと細くなる。その時、彼の中で何かが、カチリと音を立てて動いた。
最初の一週間、大輝は怒りも悲しみも越えて、ただ呆然としていた。朝は起きる。会社に行く。業務をこなす。昼は黙って弁当を食べ、帰りの電車ではスマホでゲームをする。家に帰って風呂に入る。それだけの生活を、感情を殺して繰り返した。
だがある晩、何の気なしに「SHUN 詐欺」で検索をかけた。すると、SNSのスレッドの中に埋もれていた一つのリプライが目に入った。
「これ、ほとんど中身ないよ。騙された。通報済み。」
その投稿に、リツイートはひとつもなかった。いいねもゼロ。だが、大輝はその見知らぬ誰かの短い言葉に、わずかな連帯を感じた。
彼は静かにパソコンを開いた。
最初にやったのは、SHUNの過去投稿の全保存だった。
一年分、約三千件。ブラウザの拡張機能を使い、時系列順にローカルに保存する。PDFと画像、念のためスクリーンレコーダーも回しておいた。
次に、彼の販売している商材のサイトを閲覧。ドメイン情報を確認し、運営者の名前、会社名、所在地をメモに取る。法人登記の有無を調べ、代表者の名前を抜き出す。行政書士のページを参考にしながら、特定商取引法の表記と照らし合わせる。
驚いたことに、記載されている会社は実在した。登記こそされているが、住所はマンションの一室だった。
次に、購入者レビューを集めた。通販サイトの自費出版ランキング、有料ブログ、動画配信のコメント欄。異様に「好意的すぎる」レビューが並ぶ中、明らかに違和感のある自作自演臭い文章を複数発見。文体を比較し、同一人物による投稿であると見当をつけた。
そして、決定的だったのは彼のとある発言。
「年商三億。税金? そんなもん、払ってたら金持ちになれないでしょw」
インスタライブのアーカイブ。明らかに節税ではなく脱税を示唆する発言。録画して切り抜きを保存した。
ここまでやって、ようやく大輝の表情に変化が現れた。
口元が、ほんのわずかに笑った。
「お前、全部自分で公開してるんだよ。何も隠せてない。」
翌週、大輝は匿名で国税庁に情報提供を行った。
詳細なPDFをまとめ、証拠リンク、保存ファイルの添付、問題点の整理を施した文書を送信。あくまで淡々と、“社会正義”のためという体で。
次に、同様の文書を、消費者庁と東京都の景品表示法担当部署へ。さらに、商材の販売プラットフォームにも匿名で違反通報。
数日後、SHUNの商材ページが一時的に非公開になった。ほどなくして別のURLで再掲載されたが、文言は大幅にトーンダウンしていた。以前のような“楽して稼げる”というワードは消え、「努力の方向性を学ぶ教材」といった曖昧な表現に変わっていた。
彼は、何かに気づき始めていたのかもしれない。
だが、大輝は動じなかった。
次の手は、世論の拡散だった。
彼は別名義のSNSアカウントを作成し、過去の資料をもとに「SHUN被害者の会」を装った告発スレッドを投稿した。被害者の実話として語る文体は、AIライティングツールを使って自然に仕上げた。
「信じた自分が馬鹿だった。でも、これ以上被害者を出したくない。」
そう結ぶその投稿は、ゆっくりと、確実に拡散していった。
その週末、SHUNの投稿に、変化が起きた。
「誹謗中傷には法的措置を取ります」
「嫉妬で攻撃してくる人たちに負けない」
彼の言葉は、かつての余裕を失っていた。
写真も、自撮りも、笑顔も減った。タワマンの夜景すら、なぜか以前ほど豪華には見えなかった。
大輝は何も言わない。誰にも語らない。ただ静かに、次の一手を考えていた。
全てを潰す。その時まで、感情を表に出さない。
火がついたのは、意外なほどあっけなかった。
大輝が仕込んだ「被害者スレッド」がとあるインフルエンサーの目に留まり、「これ詐欺に近くね?」という一言とともに拡散されたのだ。
三万リツイート。十万いいね。“情報弱者を食い物にする自称起業家”として、SHUNの名前が一気に燃え上がった。
動画投稿サイトには過去の切り抜き動画が転載され、「これ見て笑ってた俺、終わってる」と自嘲する投稿が溢れた。 “暴露系”チャンネルが群がり、過去の商材の中身をレビューし始める。「これは中学生の自由研究か?」「これで十四万八千円は犯罪レベル」と酷評が並ぶ。
SHUNはあくまで「誹謗中傷に負けない」と繰り返していたが、その目は徐々に虚ろになっていった。動画の背景は明らかに以前より“質素”になり、ブランド物の投稿は減り、タワマンの夜景も映さなくなった。
ある夜、ライブ配信中にコメントで「お前、税務署来たってマジ?」と書き込まれた瞬間SHUNの表情が一瞬だけ固まった。
彼を襲う炎の波は収まることは無かった。
過去に支払った会員たちから、次々に「返金を要求する」DMが飛び交う。
そしてついに、週刊誌が動いた。
「自称・情報商材王に“脱税”疑惑――豪遊SNSの裏に潜むカラクリ」
記事は、大輝が匿名で流した資料をもとに書かれていた。法人登記と実際の活動の乖離、税金未申告の可能性、特定商取引法違反の疑い。文章は冷静で、淡々と。しかし、その事実の積み重ねは何よりも重かった。
SHUNはそれでも「嫉妬の連鎖」「正義中毒が世の中を殺す」と強弁し続けたが、その声に力はなかった。
周囲の人間も離れていった。かつて「兄貴」と慕っていた後輩たちは、自分のアカウントから過去の投稿を削除し、彼との関係をなかったことにし始めた。“金の匂い”がしなくなった途端、誰もSHUNを擁護しなくなった。
そうして、ある日、ついにSHUNのアカウントが沈黙した。
最後の投稿には、こうだけが書かれていた。
「正しさって何なんだろうな。勝ったと思ってる奴、せいぜい楽しめよ。」
投稿から二十四時間後、アカウントは削除された。
それから数日後。田島大輝は、仕事帰りに自販機で缶コーヒーを買い、駅のベンチに座っていた。スマホを開くと、匿名掲示板のスレッドに新しい書き込みがあった。
「SHUNって今どこ行ったんだろ」
「メンタルやられて実家帰った説あるよ」
大輝はコーヒーを一口飲んで、特に反応もせずに画面を閉じた。満足でも、同情でもない。ただ、何も残らなかった。怒りも、痛みも。あるのは、空っぽになった心だけ。
だが、それでいいのだと思った。SHUNは何も知らないまま、勝手に落ちていった。自分が何に躓いたのかも気づかずに。
誰にも褒められず、誰にも感謝されない。
でも、大輝にとっては、それが一番“効く”罰だった。
月日は流れ四月の終わり、街には新しいスーツを着た若者が歩いていた。大輝の職場にも新人が数人入り、毎日誰かが名刺の渡し方を間違えたり、緊張のあまり名乗り忘れたりしていた。
彼はその姿を見て、ふと苦笑した。
「俺も昔は、まじめにやってれば報われると思ってたな」
その夜、自宅でパスタを茹でながら動画を流していると、ふと関連動画に見覚えのあるサムネイルが現れた。タイトルは、こうだった。
「【転落】元情報商材屋の今。配達員で食いつなぐ日々」
再生回数はさほど伸びていなかった。映像は、画質の悪いスマホで自撮りされた、ぼさぼさの髪の男。かつてのギラついた笑顔はなく、肌は荒れ、服装もヨレヨレだった。
「どうも、SHUNです……って、言ってももう誰も覚えてないか。まあ、一応、報告です。今は都内でフードデリバリー配達員やってます。朝五時から走って、夜はジム行って、寝る。それだけの日々。けど、なんか……ある意味で、前よりマシかもしんないです」
沈黙が流れる。
「……誰かに勝とうとか、見返そうとか、もうないんですよ。ていうか、そんなことやってるうちに、全部なくなった。信者も、金も、自信も、友達も……」
彼は苦笑し、コンビニの袋からパンを取り出した。
「でもまあ、正直……楽にはなった。変な嘘、つかなくてよくなったし。背伸びしなくていいって、案外、生きやすいかもな」
動画の再生バーが終盤に差しかかり、彼がぽつりと言った。
「この動画も、たぶん誰も見ないけどさ。あの時、俺に“終わり”をくれたやつが、もしいたなら……ありがとな。マジで」
動画が終わった。
大輝はパスタの湯を切り、何も言わず、何も思わず、皿に盛りつけた。そして、テレビも音楽も何もつけずに、ただ静かに食べ始めた。勝ったとは思っていない。救われたとも感じていない。
ただ一つ、確かに言えることがある。
誰かの正義のためじゃない。自分のために、自分の手で、汚れを拭った。
そしてその夜、大輝はようやく夢を見なかった。
朝、目覚ましの音で目を覚まし、窓を開けると、ほんの少しだけ風が気持ちよく感じられた。
情弱の静かな復讐 広川朔二 @sakuji_h
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