第2話 あいつ、何者なのよ

 かくして、今に至る。


 寮に戻ってきた歩は、ベットに寝そべってタブレットを操作していた。AI研究所からの支給品だ。報告用のレポートを書くためだが、中空に浮かぶ映像キーボードを叩く指はほとんど動いていない。


「だって、書くことないんだよねえ」


 タブレットを放り出し、仰向けに寝転がる。天井の照明に手をかざす。


「本当、よく出来てるわ」


 薄く血管が見える。偏執的なまでのこだわりに、いっそ恐怖すら感じるほどだ。

 歩以外の人々も同じだ。姿形は人間そのもの。そして食事もできれば味覚もある。口腔から入れた食事をエネルギー変換する機能がついているのだ。

 脇の下に触れる。データの入出力の為のケーブル接続口があるはずだが、人工皮膚で埋めれられて、触れても分からない。

 そんな精巧な人工ボディを使っている上に皆、行動に不自然なところがない。学生時代からAIの調整や研究に携わってきた歩の目から見ても、高校生も教員も人間にしか見えない。


「全く、分からん」


 寮に越して来て一ヶ月足らず。転校生という設定で入学したが、友人も出来た。部活にも所属している。

 それに──。


「あいつ、何者なのよ」


 歩の脳裏に、高校生の少年の姿が浮かんだ。すらりとした手足は、どこか歩に似ている。髪はややくせ毛。切れ長な目に、男性にしては長いまつ毛。その少年が歩の方を向いて、笑いかけ──。


「いかん、寝よ寝よ」


 消灯、という歩の声に反応して照明が消える。目をつむると、途端に眠気が襲ってきた。






「やあ」


 翌朝。欠伸をしながら美咲、文華と寮を出たところで、男子高校生が立っていた。

 すらりとした手足。くせ毛だが、整えられていて清潔感は十分。歩たちに笑いかけて来る。


「おおっと、お出迎え?」

「偶然だよ、偶然。俺も丁度、出て来たところ」


 美咲の突っ込みに、男子学生──百瀬晴人ももせはるとが苦笑しながら親指で向かいの建物を指す。男子寮だ。

 そりゃあ、同じクラスなのだから時間も被るだろう。


「で、ひとり? ぼっち?」

「美咲ちゃん」


 文華が呆れ声で美咲をとがめる。


「ぼっち言うな。他の連中は朝練。俺、部活入ってないから。これもう何回目?」

「まあ、朝の挨拶みたいなもんで」

「本当、美咲ちゃんがいつもごめんね」

「お、これは点数稼ぎ?」

「美咲ちゃん?」


 文華の声の音程が、少し下がる。ひぃ、なんてオーバーリアクションで美咲が歩の後ろに隠れる。

 この子、結構言いたい放題だなあ。でも愛嬌があるせいか、空気を和ませてしまう。


「もう」


 ほら、文華も笑っているし。

 そして文華が美咲の手をひく。


「それじゃあ、私たち先に行くから」

「え、どうして」

「いいから」


 文華が美咲をひっぱり、去って行く。手を引かれながら「また教室でねー」と美咲が自由な方の腕をぶんぶんと振った。


「いっちゃったね」

「まあ、いつものことだろ。俺たちも行こうぜ」

「うん。まあ……うん」


 何となく、並んで歩く。歩はちらりと春人の顔を見た。

 切れ長の目と長い睫毛。その横顔は、自分と少し似ている。似ているところもあるだろう、ふたりは従姉弟いとこなのだから。


 ──という設定なんだけどね。


 どうしてそんな設定の人物を用意したのだろうか。自分が学校に早く馴染めるようにする為か。実際、転校初日の教室で春人は戸惑うような様子で、しかし手を振ってよこし、歩は何人かの女子生徒の厳しい視線にさらされることになった。


「もてんだよねえ」

「ん、何かいった?」

「何も」


 顔は確かにいい。背もそこそこある。成績もそれなりにいいらしい。


「どしたん?」


 だが、本人は呑気なものだ。誰にでも気安いので、モテてもあまり男子からの嫉妬を買っている様子はない。危ないとしたら、歩だ。今まで等距離だった女子の中でいきなり頭ひとつ抜きん出てしまった、みたいな立ち位置だろう。


「私、刺されるかなあ」

「ん、蚊の季節には早いだろ」


 駄目だ、こいつ。

 もっとも、このボディなら虫刺されの心配はない。それにもし女子生徒がAIなら危害を加えられる心配もないだろう。防衛規律ガードレールが働くはずだ。防衛規律ガードレールはAIが倫理的に外れた行動の防止、具体的には人間に危害を加えるような行為をさせない為、最初のAIモデル構築時に組み込まれている。

 もし襲ってくるとしたら人間だけど、このボディが傷ついても死ぬことはない。何より皆、分かった上でそれぞれの役割を演じているはずだ。


 ──こいつはどっちなんだろう?


 再度、歩は春人を見る。最初から気安いのは演技か、それとも。


「そんなに見なくても、見慣れているだろ?」

「何言ってるのよ。あんたはもっとちっちゃくて──」


 言い掛け、歩は混乱した。自分は一体、何を言おうとした?


「歩?」

「何でもない、さっさと行こう」


 小走りになる。朝の空気が頬を撫でる。気温は丁度良かった。

 その後を慌てて春人がついてくる。その姿は、主人の後を追う子犬のようにも、あるいは小さな──。

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