パーフェクトテスト

綾邦 司

Side A:百瀬歩

第1話 夕焼け小焼けで日が暮れて

 西日が教室に入り込み、机や椅子に長い影を落としてた。

 今日は。いや、今日も晴天だった。

 グラウンドでは、練習を終えた野球部がトンボをかけたり隅で雑談している。和気藹々わきあいあいとした雰囲気で、あまり競争心は感じられない。

 

 ──この高校、照明もないし運動部の部活にそんな力入れていないしなあ。


 まあスパルタでギスギスした空気出しているよりはいいか、などと偏見めいた感想があゆみの頭をよぎる。

 目を落とせば、まだ白紙の学級日誌。いや、正確には学科や授業の様子は書いてある。ただどれも「今日も皆、熱心に授業を受けていました」という定型テンプレートの文言。

 問題は感想・反省の欄。

 なんというか、平和だ。穏やかな一日でした、ということ以上は書けない。

 だいたい、今時紙でなんて勿体ないではないか。資源は有限なのに、なんて現実逃避めいた不満が頭に浮かんでしまう。


「あゆみー」


 そんな歩に声が掛かる。廊下の方からだ。顔を上げると、活発そうなボブヘアの女子高生とやや色素の薄い長髪を三つ編みにまとめた女子高生が手を振っている。

 クラスメイトの山狩美咲やまがりみさきと、戌井文華いぬいふみかだった。


「まーだ、日誌書いてるの?」


 美咲が呆れたように声を出す。


「ネタがないのよ、ネタが」

「まあ、平和だしね」


 歩が文句をいうと、文華がのんびりと相槌を打つ。


「じゃあさ。こう書けばいいんじゃない?」


 美咲がにんまりと笑う。


「今日も春人君の横顔がステキでした、とか」

「美咲っ」

「おお、いい反応」


 美咲がおどけ、隣の文華が苦笑している。苦笑しても、おっとりした雰囲気は変わらない。


「あいつはただの従姉弟いとこ。関係ないでしょ」

「むこうはどう思ってるのかな?」

「美咲ちゃん、もういい加減からかい過ぎない」


 尚も面白がっている美咲を、文華がとがめた。


「まあ歩ちゃんも、その位の気楽さで書けばいいんじゃない?」

「そだね。有り難う」

「なんか、私と態度ちがうー」


 文華のアドバイスに歩が礼を言うと、美咲が口を尖らせた。そんな美咲の腕を引っ張り、文華は教室を出た。


「邪魔しないの。じゃあ先、寮に戻ってるね」

「うん。またあとで、文華ちゃん。ついでに美咲も」

「おーい、私はついでかー」


 遠ざかる声に、思わず吹いてしまう。


「今日も平和でした、と」


 書きながら、歩は溜め息をついた。

 こんなんでいいか、と。

 そして思い出す。

 この身体、この場所ではない記憶を──。





『君には、チューリングテストの被検体になってもらいたい』


 無機質な会議室。照明が眩しい。広い割に椅子が数脚と小さな長机がぽつんと中央に置かれただけで無駄に空間が広い。会議室というより荷物のない倉庫のようである。

 そんな会議室に、百瀬歩ももせあゆみはひとり座っていた。

 そして声は、壁内のスピーカーから響いてきた。


「チューリングテスト?」

『そうだ。まさか、知らない訳ではないだろう?』


 当然だ。歩は憮然として、濃灰色グレージュのパンツスーツに包まれた足を組んだ。

 チューリングテスト。

 AIが人間と区別つかないほど自然に振る舞えるかのテストだ。通常は人間が、正体を隠した人間とAI交互に会話し、どちらが人間か区別できるかで判定する。

 そんなことは歩のようなAI技術者にとっては常識である。歩は弱冠二十五歳、このAI研究所に就職してまだ三年目だがチューリングテストなど中学生の頃から知っていたし、高校時代に自分で構築したAIモデルを使ってテストしてみたことすらあった。


「チューリングテストなら、私のような技術者よりも一般の方にお願いした方が良質なサンプルが取れるのでは?」


 今更、知識が豊富な人間がやるべきではないだろうと、歩は思った。AIの思考系統を読んで嫌らしい質問などすれば、人間の方まで混乱してしまう。


『今回は、おもむきが違うのよ』


 別の声、中年の女性の声が響いた。同時に、壁の一面に映像が映し出される。


「学校、ですか?」


 歩がつぶやく。映像は校舎と、ネットに四方を覆われた校庭を上空から映していた。


『寮制もある高校だ。ここがテストの舞台となる』


 また別の老いた声が響く。この三人が、歩の上司である。それぞれ、自宅からのリモート会議参加だ。技術者ひとりに上司が三人、しかも出勤しているのが自分ひとり。おまけにプライベート重視だか何だか知らないけど音声参加サウンドオンリーなんて、横暴過ぎやしないか。


『君には、この学校の生徒になってもらう』


 最初の声──男性、年齢は確か四十二。名前は猿渡──が面白そうにいった。


「……はい?」


 一瞬、歩は猿渡が何を言ってるのか分からず、裏返った声を出してしまった。慌てて口を手で塞ぐ。


『制服、結構可愛いわよ。白いセーラーで』


 二番目の女性の声──名前は雉村、年齢は猿渡と同じ四十二だったはず──が笑いながら付け足す。

 この人たちは、私に何をさせようというのか!?

 歩は自分の制服姿を想像した。痩せぎすで手足は細い。顔はまあ童顔と言われる方だが、セーラー服をきた自分はコスプレ感が酷かった。


「冗談、ですよね?」


 歩は頬を引き釣らせた。自分はここに、AI研究の為に就職したのであってコプスレをしに来たのではない。


『無論、冗談ではない。これは必要なことだ』


 最後の老人の声──所長である戌井。五十代。正確な年齢は知らない──が厳かに宣言する。

 同時に壁の一部がせり出してくる。冷蔵庫の、冷凍室の引き出しのように。

 しかしその中に入っていたのは冷凍食品ではない。そもそも大きさが違う。丁度人がすっぽり入れそうなその中には。


 ──人が。少女が眠っていた。


 白く冷たい煙に包まれた少女は目をつぶったまま、微動だにしない。その少女の姿に、歩は目を見開き動けないでいた。

 少女の顔は、歩に瓜二つだった。わずかな違いがあるとすれば歩よりもやや幼く丸みがある。手足も少し短い。

 そして少女の脇の下、鎖骨の真ん中辺りからケーブルが伸びていて煙の中に消えている。

 この少女は、機械なのだ。それも恐ろしく精巧な。


『君には、このボディを操作してもらう。テスト期間中、ずっとな。VR技術の応用で、脳波で直接操作するから自分の身体と同じように使える』

「……」

『安心したまえ。君の肉体はテスト期間中、生命維持ポッドに入る』

「……」

『外見から判別出来ないよう他の生徒や教職員の演者たちにも同じようなボディを使ってもらう。その中にAIがいるわけだ。君には、彼らの中からAIを──』

「……なんで」

『?』

「なんで、裸なんですかああっ!」


 歩は叫んだ。


『ただの人工ボディじゃないか』


 呆れたように言う猿渡の声。歩は睨んだ。とりあえず、声の響く方を。


「顔、顔っ! 私と同じじゃないですか。それに身体! これ、私の高校時代の体型ですよね!」

『君の高校時代の身体測定データから再現したからね』

「個人情報保護! 人権侵害ですよ! 雉村さん、いいんですか、こんなこと!」

『まあ、私じゃないし』

「酷すぎる!」

『まあまあ。そのボディを作ったのは雉村主任たち女性陣のチームだし、保護煙でこちらからはほとんど見えないから』

「ほとんどって、少しは見えているんですよね!」

『ともかくだ』


 戌井所長が変わらない口調で遮る。


『準備が出来次第、人工ボディで試験場である高校へ向かってくれ。学生寮に部屋を用意してある』

「拒否権がないっ!」


 歩が再度叫んだ。そして歩の言う通り、拒否権はなかった。

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