その九 最後の奇跡

 キィ―――――—…………ンと耳の奥がずっと鳴っている、村本軍曹はそう感じた。


 シートベルトに縛り付けられたまま、身動きもせずに横になっているのだが、意識はどこか遠いところを飛んでいるようだった。


 ああ……もう駄目なんだろうな、心の中でそう呟いた。


 ただ呆けたまま、車内の様子を眺める。


 席には、誰もいなかった。


 皆、どこへ……。

 横転した拍子に、飛び出てしまったのだろうか。


 村本軍曹の耳鳴りが段々と治まっていく。

 それと入れ替わるように、遠い彼方から声が聞こえてきた。


 ――わ……しょ……


 (わ……しょ……?)


 ――わーっしょい


 (ああ、祭りの掛け声だ……)


 ――わーっしょい!


 (桃香ちゃん……、皆の声もするな……)


 わーっしょい!わーっしょい!


 村本軍曹はハッと覚醒した。

 そして、ヒビの入ったフロントガラスを思い切りぶち破って、外に這い出た。


 「わーっしょい!わーっしょい!」


 桃香の掛け声とともに、清太とジェイク、そしてみつ子までもが、横倒しになったジープに背中をくっ付けて、元の状態に押し戻そうとしていた。


 だが、子供たちと老婆の力ではピクリともしない。


 「君たち、ジープを……」


 「あっ!おっさん!さっきは勝手なことしてゴメン!でも、今はこいつジープを戻さなきゃだぜ!」


 「今ならまだ間に合うど!が寝込んでるうちに!」


 化け物は10メートルほど後ろに横たわっていた。

 頭部全体から、煙が立っている。


 「あいつ、近くにいたアンデッドを喰ったんだ!それで爆発、顔の大半が吹き飛んでスッキリした顔になってたぜ!」


 「……理由は分かんないけど、そのおかげでオラたちはアンデッドの餌食にならずに済んだど」

 

 村本軍曹は、何が何だか分からないという表情で、皆を眺めていた。


 するとみつ子が、

 「何をぼさっとしてんだい!あんたも一緒に!」


 村本軍曹は慌てて、背中をジープにくっつけ、桃香の音頭に合わせて横転したジープを押し上げようとする。


 「……でも、どうして、わーっしょい?」


 「おっさん!タンゴの節句を知らねぇのか?」


 「せっちゃん!それもあるけど、これは神輿を担ぐやつどん!『こどもの日』にやる『こども祭り』ってやつど!」


 「じいじ、いってた……!『皆が力を合わせたら、大きな物が動く』って!」


 桃香はふいに、昨日の午前中に洋司と遊んだことを思い出したのだ。


 「きょうは、あたしたちが〈しゅやく〉だもん!」


 「おう!」「どどん!」 


 「そうか……そうだよな!」

 村本軍曹も本腰を入れて、ジープを押した。


 一瞬だけジープが傾く。

 しかし、完全に横倒しとなったジープはあまりに重く、元に戻すにはまだまだ力が足りない。 


 その時、

 「「「モモ……カ……」」」


 怪物が近づいてきた。

 焼け焦げた頭部から口が生えて、桃香の名を呼んでいる。


 「くっ……化け物が近づいてくるぜ!」


 「そいつも危ないが……!」

 村本軍曹は周囲を見渡した。


 気づくと、ジープを囲むように枯れた木のようなものが迫ってきた。


 「アンデットの群れが再び集まってきた……ここまでなのか」


 村本軍曹は皆を逃がすべきか悩んだ。

 そうして、皆の顔を見つめた。


 「……ここからが勝負どん!」


 「最後の最後まで、分からないぜ!」


 「じいじのぶんまで、いきるー!」


 子供たちは諦めない。


 「私も、負けてられないねぇ!」

 老婆も加えて、四人の掛け声が響く。


 「君たち……」


 「「「モモ……カ!!!」」」


 化け物がすぐ近くまで、のっしのっしと歩いて来た。

 そして、頭部からするすると一本の触手が伸びていく。


 「皆!化け物が!」


 「う、うわぁぁぁ!来るなぁ!」


 「喰われるど!逃げよう――」


 ジェイクは桃香の手を引こうとした。


 ところが、


 「まって!」

 桃香は叫んだ。


 触手が桃香の目の前で止まった。

 その口は、何かを伝えようとパクパク動かしている。


 桃香には、それが悪いものとは思えなかった。


 「モモカ、アイ……シ……」


 「……パパ?」


 桃香のその呼びかけに、触手は何かを言いかけて止めた。

 そうして、ジープに口先をくっつけて、グッと力を入れた。


 「こいつ、手伝ってくれるど?」


 「皆も行くぞ!せーの……」


 「「「わーっしょい!!!!」」」


 ジープは、横倒しから元の状態に戻った。


 触手は再び、桃香の方を覗き込む。


 「……パパ!」


 「まさか……本当に和彦さんかえ!?あんた、桃香に追っかけてきたのかい?」


 触手は鎌首を左右に振り、  

 「モモカ……アイシテ……イル……」


 「和彦さん……あんた、で未だ生きてるんじゃないのかい」


 「イキテ……イキテ……」


 ……――生きて。


 触手はそれから、苦しそうに頭を振った。


 「み、みんな!早くジープに乗り込め!爆撃アンデッドが来るぞ!」


 村本軍曹は急いで皆を乗せた。

 (生きなくては!和彦からの、最後のメッセージだ)


 桃香は乗り込む寸前、振り向いて化け物を見つめた。


 触手はまだ、頭を左右に振っている。


 苦しんでいるように見えた。


 悲しんでいるように見えた。


 しかし桃香にはやはり、


 ――バイバイ。


 そう、手を振っているように感じた。


 「バイバイ……パパ」


 皆がジープに乗り込んだ後、和彦は触手を引っ込めて、傷だらけの体を起こした。

 そして、近づいて来る爆撃アンデッドの群れに、突進して行った。


 凄まじい爆発が、連鎖的にアンデッドを巻き込んでいく。


 それと同時に、ジープが通れるくらいに、爆撃アンデッドの包囲網が崩れたのだった。




 * * *




 地平の向こうから段々と明るい光が登って来る。


 かけるは見張り台の上でウトウトと頭を揺らしていた。

 大人たちが止めたのも聞かずに、一日中、外の世界を眺め続けていたのだ。


 しかし、乾いた空気の向こうから、ドドドド……と自動車の走る響きが聞こえてきた。


 ハッと目を覚ます。


 そうして、今一度地平線に目を凝らした。

 じぃ……と見つめたあと、何かを発見。


 そして、 


 「ピイイイイィィィ――――…………!!!!」


 首から下げたホイッスルを思い切り吹いた。


 家々から、人々が何事かと顔を出す。


 「あれ……翔君の合図だわ!」

 真千子まちこが真っ先に飛び出していく。


 「何かあったのね!」

 幸子も、真千子の後を追うように外に出た。

 

 翔のもとに皆が集まった。


 翔は、空き地に差したあの竿を持って来ていた。


 しかし、今度は黒の旗だけではない。


 白や黄に青、そして桃色。

 五つの色を持った旗だ。


 翔はそれを掲げて、笛を吹き続ける。


 「あっ!見て!」

 目を細めながら、真千子が叫んだ。


 地平線の向こう、朝日とともに疾走するジープの姿。


 「せっちゃぁぁぁ――――ん!ジェイク・エム・ゴールドスミスゥゥゥ――――!!!!」


 翔は、あらん限りに大声を出した。


 「おうおうおう!翔、初めてちゃんと呼んでくれたなぁ!!!」

 「ジェイクだけで良いどぉぉぉぉぉぉっ!!!」


 少年たちは叫び返した。


 「ももちゃあぁぁぁ――――ん!!!!」


 真千子も負けじと叫んで手を振った。


 「まちねぇ――――ちゃあぁぁぁ――――ん!!!!」


 大きな声で、桃香も手を振り返す。


 子供たちの元気な声が、セクターの青い空に響き渡る。


 その空の中を、五つの鯉のぼりが元気よく泳いでいた。

 

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