第10話:頁を焼く手


火は、意外と静かだった。


パチパチという音すら立てずに、

ただ紙が、灰へと崩れていく。

インクの匂いとともに、記録がひとつ消える。


レラはその火を見ていた。

火のそばにいたのに、顔色ひとつ変えなかった。



あれはまだ、レラが紙魚にいた頃。

焚書担当――記録員という名の、最後の読者だった。


奪ってきた本を、読む。

構造を記録し、レイアウトを保存し、キーワードを抜き出す。

そして、“残す価値がない”と判断されたものは焼却される。


その判断を下すのは、記録員。


つまり彼女だった。



レラは、一度だけ判断を迷った本があった。


それは、1974年に個人制作された小冊子。

手書きの文字。色鉛筆の挿絵。

商業作品でも、著名作家のものでもない。


でも、読んでいて、わずかに胸が痛んだ。


そこには、誰かが誰かのことをどうしても“好き”だと書きたかった痕跡があった。


ただ、それだけだった。



「これは、残します」


レラはそう言った。

だが、紙魚の上層は首を横に振った。


「評価基準を思い出せ」

「“抜けるか”“誰かが欲しがるか”」

「そうでなければ、ただのゴミだ」



レラは本を抱えて黙った。

誰も彼女を責めなかった。

ただ、代わりに別の職員が焼いた。


それ以来、レラは“判断”しなくなった。


記録すべきか、ではなく。

“記録しかできない人間”になろうとした。



トウジに問われた言葉が、耳の奥に残っている。


「でも、残すだけじゃ誰にも届かないじゃないですか」


彼女には、その問いに返せる言葉がなかった。

ただ、胸の奥で、あの手書きの小冊子の表紙だけが、静かに焼けていた。


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