特別編:乳首は、温度に弱い。
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紙魚には、戦闘班でも解析班でもない、もうひとつの班がある。
通称、修復班(クラフト)。
主な仕事は、国家から奪ってきたエロ本の補修である。
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今日も、彼女は作業台に向かっていた。
白い手袋。専用のピンセット。
そして、アイロンと、ボンドと、0.1ミリ単位のカッティングマット。
素材は1978年の“伝説の成年誌”。
印刷のかすれ具合から推定される劣化進行率は13%。
だが問題はそこではなかった。
「……乳首が、剥がれてんのよ」
淡々と彼女は言った。
横で見ていた新人紙魚が、小さく首をかしげる。
「いや、それ……べつに直さなくても読めるんじゃ……」
「違うのよ。これは“そういう乳首”なの」
「どういう乳首だよ」
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彼女は語る。
紙の乳首には、三つの型があるという。
1. 沈黙型(影とハイライトで魅せるタイプ)
2. 主張型(線が太く、輪郭がはっきりしてるタイプ)
3. 演出型(ページ構成や擬音と連携して存在感を放つタイプ)
今回のは、演出型だった。
「この見開きで、右ページが“何も起きてない顔”で、
左ページにだけ“実は乳首出てました”があるっていう、
……このバランスが大事なのよ」
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新人は少し感動していた。
「でも、温度ってそんな関係あるんですか」
彼女はうなずく。
「紙は熱で反る。
とくに“光沢乳首印刷”されたページは、30度を超えると微妙に浮くの。
それで擦れて……はがれるの」
「マジかよ……」
「あと、女の子の汗で紙がふやけるやつあるでしょ。
あれ、汗じゃないからね。印刷トーンの滲みなの」
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彼女は、乳首を貼り直した。
ピンセットで持ち上げ、呼吸を整えて、
ふたたび雑誌に戻して、そっと押さえる。
「……乳首って、
失われてみると、けっこうデカい存在なのよね」
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その夜、回収された雑誌は、
アンダーグラウンド・リーディングスペースの棚にそっと並べられた。
背表紙には、彼女の手書きでこう書かれていた。
『初夏、汗ばむ午後』
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読者の誰も、乳首が貼り直されていたことに気づかない。
けれどたしかにそこには、
誰かの手が、記憶の断片を“整えて”くれた気配が残っていた。
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