第5話:エロスの原典




ページは開かれた。

だがそこに書かれていたのは、物語ではなかった。


第1章 性行為とは、記録である。


リーダーは眉ひとつ動かさず、静かに読み進めていた。

内容はまるで詩のようでありながら、構造は論文だった。


性の意味が定義され、再定義され、そして解体されていく。


これは物語ではない。

これは、設計書だ。


アジト奥の解析室は静かだった。

紙魚の若手たちが、息をひそめるように周囲を固めていた。


「比喩に見せかけた構文誘導。読めば読むほど、こっちの認知構造が書き換えられていく」

「本の中で定義された“性”が、読者の中で“常識”になる。そういうふうにできてる」


第3章 快楽は、従属条件ではない。

第5章 羞恥は、外部によって生成される記号である。

第8章 性欲は、法律ではなく、文脈によって変化する。


若手の解析者がつぶやく。


「これは……国にとって都合が悪すぎるな」


「違う」

リーダーが低く言う。


「都合が悪かったから、保管されたんだ」


誰も返さなかった。

その理屈が、いちばんしっくりきたからだ。



数ページめくるごとに、誰かが言葉を失った。


ある者は目をそらし、ある者は手を止めた。

本の中に描かれているのは、誰もが“禁止された”と思っていた感情。

触れてはいけないと教えられてきた構図。

けれど、そこには“説明”があった。理性を介した、明晰な設計が。


第12章 国家と性欲の管理は、反比例である。


第19章 検閲とは、“何を見せないか”ではなく、“何を想起させないか”である。


第23章 言葉を失うこと。それが、性を奪う最初の工程である。



最後のページには、こう書かれていた。


第26章 記録されなかった性は、誰のものか。


そして、その下にだけ――


※この本を読む者は、読まれる覚悟を持て。



ページを閉じた瞬間、リーダーはこう言った。


「トウジ、という名を見つけた」


誰かが息をのむ。


「書かれていた。旧記録として。No.001の読者履歴のひとつに。記憶タイムスタンプは、昨日」



禁書は、読まれて終わるものではない。

読まれた瞬間から、読み手を“本の一部”にする。


新人検品係は、すでに禁書の構造の中にいる。


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