第三章04 第三皇子ティモシー・ド・レピュセーズ(良い街だ)

 聖レピュセーズ帝国の王都カロックス。カロックスには聖教会の中心であるルドルダ大聖堂が位置しており、数多くの教会が設けられていることで有名だ。しかし来訪者が最も胸を打たれるのは、洗練された白く輝く街並みである。白壁が太陽光を反射させるため、日中は街全体が輝いているように見え、黄昏時には茜や黄金に染まり、陽が落ちれば月光を受けて淡い光を放つ。その美しさは聖なる国の首都として相応しく、また、多くの聖職者や信者たちが奉仕を行っているおかげで塵も少なく衛生的な街だった。


「本当にカロックスは美しい都ですね。我が領地とは大違いです」


 マルティーニが眩しい街を見回しながら、うっとりとした表情をする。


「それに、美しいだけでなく、いつ見ても栄えていて美味しそうなものがいっぱいですぅ」


 うっとりしていたのは香ばしいにおいを嗅いでいたからかもしれない。


 ロズリーヌとマルティーニが立つのは、カロックスの街中。建国当初からの伝統貴族たちが住む区域と、爵位を賜ってから百年未満の新興貴族の住む区域の間にある『カロックスの胃袋』とも呼ばれる食品市場のはずれだ。どうしてこんなところにいるのかというと、宝石ドロボウ事件の調査のためだった。


「お昼も食べましたが、今日はずっと朝から調査をしていますし、体力の消耗が激しい分お腹も早く空いているような気がします。ローズ様はどうですか?」


 仔猫のような目を向けられて、ロズリーヌは「好きな物を買っておいで」と微笑んだ。マルティーニは「やったぁ」と嬉しそうに駆けて行って、すぐ傍の露店で茶色いパンを買って戻って来た。休憩がてら二人でつまむことにする。


「美味しいな。私が幼かったときに食べたパンはもっと黒くて固かったのに」


「おいたわしやローズ様。……孤児だった頃のローズ様は、ここから馬車で三日はかかる田舎町にいらっしゃったんですよね?」


 ロズリーヌは屋敷でピエールが出してくれるものよりも硬いパンを噛み締めながら、当時のことを振り返る。


「いつもお腹が空いていて、いつも寒くて仕方なかった。この目のおかげで酷い扱いもされたよ。【予言】の力で大聖女様が私を見出してくれなかったら、私は死んでいたかもしれない」


「大聖女様は命の恩人ですね」


 ロズリーヌは深く頷いた。


「そうだ。トリオール伯爵と伯爵夫人との出会いも大聖女様のお導きがあってこそ。御祖父様と御祖母様は早くに子どもを亡くされ、長年大聖堂に通われていたため大聖女様と親交が深かった。伯爵夫妻に初めて会った日は、今でも覚えているよ」


 遠い昔を思い出し、ロズリーヌは空を仰いだ。


 聖女として、初めて【聖力】の施しを行ったのがトリオール伯爵夫妻だった。トリオール伯爵夫妻はロズリーヌが覚えたばかりの祈りの言葉を告げ、【聖力】を注ぐと涙して、幼いロズリーヌを仰天させたのだった。


「何故だか分からないが、その日のうちにトリオール伯爵夫妻は私を養子に迎えたいと大聖女様に進言してね。私はよく分からないまま養女になった。トリオール伯爵夫妻は私を本当の娘のように慈しんでくれたよ……」


 トリオール伯爵夫妻との思い出を話していると目が熱くなってきて、ロズリーヌは途中で話すのをやめた。マルティーニはロズリーヌの心中を察したのか、「そういえば」と話を変えてくれた。


「パンの話なんですが。数カ月前から市場が潤っているそうで、質が良くなっているようですよ。ここ五年で庶民の間でもちょっと良い物を買う人が増え、貧民を見かける頻度も少なくなったとか」


「ほう。現在の国王陛下と大聖女エラヴァンシー様の功績だろうか。帝国王様が大聖女様のお声に耳を貸すようになって、ここ二十年余りでたくさんの改革が行われたからな。特に公衆衛生の模範都市となるよう、地下下水道を導入されたのは大きい」


 それはカロックスが美しい理由でもある。地下下水道の導入によって公衆衛生の向上がもたらされ、意識改革も行われた。人々は生活しやすくなり、病気で倒れる者が減って労働力の低下も防がれている。カロックスは非常に安定しているのだ。


「……だが、こんな街でも宝石ドロボウのような事件が起こる。嘆かわしいことだな」


 ロズリーヌの横顔はこの街ではない別の何かを視ている。マルティーニは静かに主の憂いを見守った。


「さて、調査の続きをしようか」


 気を取り直したロズリーヌが地図を広げると、マルティーニは「はい」と元気な返事をした。


「この辺りが三番目の被害があったところだが、これまでと同じように特段変わったところはなさそうだな」


 朝のうちから事件が発生した場所を一か所ずつ巡っているのだが、今のところ有力な手掛かりは掴めていない。


「ここで聞き込みをしても、他のところと同じく誰も犯人を見ていなかったのだろう?」


「おっしゃる通りでございます」


 ロズリーヌはふぅむと唸った。


 暗闇で犯行が行われたにしても、誰も見ていないというのはおかしい。何か裏があるに違いないのに、解決の糸口さえ見つからないのはどういうわけなのか。ロズリーヌは街の様相に視線を投げた。


 美しい白壁の街並み。道路は馬車も走りやすいように整備された石畳で、地下下水道への出入り口の穴には金属の蓋がはめ込まれている。どこへ行っても同じだ。


 調査は夕方に差し掛かり、夕食を控えた食品街には香ばしいにおいが漂い始めていた。


(――良い街だ)


 賑わってきた街を、ロズリーヌは目を細めて眺める。帝国王のみならず、大聖女エラヴァンシーが提言して今の形になった都市はロズリーヌにとっても誇りだった。


 けれど、決して完璧ではない。

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