第三章03 第三皇子ティモシー・ド・レピュセーズ(しまった!)

「……っ!?」


 引き止められるとは思わず、ロズリーヌは驚いた。同じように、何故か掴んだ本人であるティモシーも驚いているように見えた。


「少し、散歩しませんか? 嫌なら、ここでお別れしましょう」


 ねだるような瞳にあっさりと陥落し、ロズリーヌは気がつくと頷いていた。するとティモシーがほっと綻ぶ笑みを零すものだから、ロズリーヌの胸はきゅっとするのだった。


 ティモシーがロズリーヌの手を自身の腕に絡ませ、二人同時に足を踏み出した。


 脇の花々が無造作に、けれど計算されたようにどれも美しく咲き誇る遊歩道を、噴水の水音を聞きながらゆったりと回る。足を踏み出すタイミングも、相手がどちらへ向かって歩きたいのかも分かるので、身体を寄せていても不自由はない。


 ロズリーヌには当たり前の感覚だが、彼はどう思っているのだろうか。


 気になって目を上げると、彼のはちみつ色の目とかち合った。


「どうしました? 私の顔に何か気になるものでもついていますか?」


 さっと視線を下げるロズリーヌ。


「そんなわけでは……」


「では私の顔に見蕩れていたのですね。貴方の好みの顔ですか?」


「違います!」


 ロズリーヌは慌てて否定したが、ティモシーは聞いているのかいないのか、真剣な顔でこちらをじぃっと見つめたまま動かないでいるものだから、ロズリーヌは息を殺して唇を引き結んだ。


「……私は貴方の顔、好きですよ。目じりの上がった鮮やかなマゼンダの目。花弁のような唇。それから、こうして熟れる頬」


 ティモシーの手が触れるとぼっと顔が熱くなって、ロズリーヌは思わず彼の傍から逃げ出し、急いで噴水の水面を覗き込んだ。揺らめく水鏡に、真っ赤に熟れた自分の顔が映っている。


「私を揶揄って遊んでいるんだな!?」


「社交界で私は狐と言われているのですよ」


 恥ずかしさのあまり思わず大きな声を出すと、さらりと返されて毒気を抜かれた。


 狐というのは狡猾な者を指す言葉だ。ロズアトリスとして接している時はティモシーのことを悪い人だと思ったことは無いが、賢い人だとは思っていた。ロズリーヌとしてはやはり賢いという印象に変わりはないのだが、確かにそれだけでは少々表現不足であるように思えた。とはいえ悪いというのも、狡いというのも、違う気がする。言うなれば――。


「貴方は狡いとも悪いとも言い難い。蠱惑的なのでしょう」


 そう、いわゆる魔性。見目の美しさや計算された表情はさることながら、洗練された立ち居振る舞いに、明晰な頭脳で繰る言葉。全く隙が無く距離さえ感じるのに、ふと彼の唇から微笑や冗談が零れれば、彼に近付けたような感覚がするのだ。


 ロズリーヌの指摘に、ティモシーは不思議そうな顔で答えた。


「蠱惑的ですか? 初めて言われました。そう言ってくださるということは、貴方は私をそのような目で見ていると捉えても?」


「そういうところを言っているのですが」


「おや、そうでしたか。気づかなかった」


 くすくすと笑うティモシー。本当に、こういうところだ。


 自分でも分かっているくせに、というのは呑み込んでおいて、「人によってはそういうところが狐っぽいと思うのでしょう」と告げると、ティモシーは呟くように言った。


「――人は早々変われないようだ」


 彼には珍しく愁いを帯びているような気がして、思わず聞き返す。


「変わろうと思ったことがあるのですか?」


「ある人の隣に並び立つために改心したはずでした。でも、その必要が無くなった途端、元に戻ったらしい。どうやら元来の性悪は足掻いたところで変わらないようです」


 自嘲気味に口角を上げている。


 いつも自信ありげな彼が垣間見せた、そっと枕に顔を預けるような姿。彼をこのままにはしておけないと、ロズリーヌはすぐさま首を振った。


「言い方を変えましょう、殿下」


「言い方を変える?」


「改心したのではなく、貴方の内にある清らかな部分が表に出て来るようになっただけ。性悪ではなく、昔の殿下は未熟だっただけ。それならば、変われなかったと嘆く必要はないでしょう」


 二人の間を爽やかな風が吹き抜ける。雲間から差した光の筋が、ロズリーヌの黒髪を白く発光させ、ティモシーは眩しさに目を細めた。


「……へぇ。聖職者のような言い方をするんだな」


 何気ない一言に、ロズリーヌの心臓は跳ねた。


(しまった! 私が聖女ロズアトリスだということは気づかれてはならないのに!)


 まさか聖職者らしい言い回しの所為で正体が知られるはずはないが、万一のことを考えて疑いを持たせるのは得策ではない。


「聖職者だなんて、とんでもない」


 ロズリーヌは余裕たっぷりの笑みを取り繕って、胸元の首飾りを指先でなぞった。


「私は、悪女と呼ばれる女ですよ?」


 ニヒルに微笑むロズリーヌを、ティモシーはじっと見つめる。


 そうして、くすりと笑みを落とした。


「悪い意味ではありませんよ。ただ少し意外……いや、言い方を変えましょう。貴方の知らなかった一面を見て、ますます興味が湧きました」


 ひとまずロズリーヌはロズアトリスの名が出て来なかったことに安堵した。しかし――。


「実は、ずっと貴方が喜んでくれそうなデートの場所を探していたのですが思いつかず、手紙を書けていなかったんです。でも、良い場所を思いついたので、お誘いの手紙を書きますね」


「……でーと?」


 思わぬ流れに澄ました悪女の仮面が剝がれ、ロズリーヌはきょとんとした素の表情を晒してしまったのだった。

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