第三章01 第三皇子ティモシー・ド・レピュセーズ(次に出て来る言葉は、でも)
「『女神の赤い首輪』がロズリーヌさんの元へ戻ったというのは本当だったのね!」
サラ・ブライトン公爵夫人とは彼女主催の夜会にて『女神の赤い首輪』を出品してから親しくなり、他の社交場でも会話を交わすようになっていた。
ロズリーヌは公爵夫人の不自然に煌めく瞳に目を細める。
「えぇ、そうですけれど……」
彼女の瞳が本当に聞きたいのは『女神の赤い首輪』の話ではないと訴えている。傍で聞き耳を立てている貴族たちも同じだ。
ティモシーが『女神の赤い首輪』を高額で競り落とし、ロズリーヌへのプロポーズに使った所為で『女神の赤い首輪』をつけているといつにも増して注目の的になっていた。皆が本当に見たい、聞きたいのは、『女神の赤い首輪』ではなく、ティモシーとロズリーヌの関係だろうが。しかし、この注目はロズリーヌにはかえって都合が良かった。
この機会を逃すまいと首元に手を添えてネックレスを強調しながら、ロズリーヌは口を開いた。
「確かに『女神の赤い首輪』は私の元に戻りました。けれどこれは本物の『女神の赤い首輪』ではないんです」
驚いたサラ夫人の表情を見て、ロズリーヌは口の端を上げた。
「精巧なイミテーションなんですよ」
「イミテーション!? どうしてまた、偽物なんかを身に付けていらっしゃるの?」
サラ夫人が大声を出したので、近くにいた貴族たちだけでなく、離れたところにいた貴族たちの耳にも入ったようだ。ぞろぞろとこちらへ近付いて来ている。ロズリーヌは「これにはみなさんも納得するような理由があるんですよ」などと言いながら時間を稼ぎ、皆が充分近付いてきたところを見計らって本題に入った。
「サラ公爵夫人も、最近私たちを不安に陥れている怪盗のことを御存じでしょう? 私たちは闇から現れ、闇に消える怪盗を防ぐ術がなく、大変困っています」
こくこくとサラ夫人は何度も頷いた。
「そう……最近は外へ出るのが怖くって。けれどお誘いがあったら出ない訳にもいきませんから」
「私もそうです。けれど、そこで思ったのですよ」
言葉を切ってさらに皆の興味を駆り立ててから、満を持して発表する。
「だったら、貴重な物だけは外に出さなければ良いと」
辺りが静まり返る。これは決してロズリーヌの言葉が革新的だったからではなく、ほとんど「何を言っているんだこの娘は」という呆れからだった。しかしこの反応もロズリーヌには織り込み済み。
(次に出て来る言葉は、でも――)
「でも、アクセサリーは身に付けるものでしょう? それができるのなら、皆さん苦労はしていませんわ」
想定したことを言ってくれるサラ夫人に、ロズリーヌは満足して頷いた。
「サラ夫人の言う通りです。アクセサリーは自身の美を引き出すためのもの。身に付けて社交場へ赴かなければ意味がありません」
正しくは富を知らしめ、憧れを集めるために身に付けるものだろうが、割愛しておく。
「けれど今サラ夫人が褒めてくださったように、イミテーションでも十分美しいと思いませんか? わざわざ、本物を身に付ける必要はないのですよ。だって、私たちは、どなたがどのようなアクセサリーをお持ちなのか、知っているではありませんか」
ロズリーヌの理論はサラ夫人の心を突いた。
「確かに……わたくしのこの『深海の雫』も皆さんわたくしが持っていることを御存じだわ」
サラ夫人の指先が、彼女の首元で煌びやかに輝いている『深海の雫』に触れる。
同じようにロズリーヌも『女神の赤い首輪』のイミテーションに触れた。
「そう、その事実だけで私たちには十分なのですよ。素晴らしいものは必ず有名になり、私たちは必ずそれを知っています。だってそれが社交界ですもの。だから危険を冒してまで身に付けなくても良いのです。怪盗が私たちを脅かしている今、私たちは無駄なことに心労を抱えていて、楽しい時間が楽しくなくなっています。その懸念を払って、心から社交場を楽しもうではありませんか」
「わたくしもそう思います」
無邪気な高い声が後方から同意した。
貴族たちはどよめき、ロズリーヌを取り囲んでいた人の輪が割ける。そうしてできあがった道の先に、聖女シャルルリエルが現われた。
泡立つように騒ぐ貴族たちを後目に、シャルルリエルは跳ねるようにしてロズリーヌの目の前までやってくる。そうしてロズリーヌの前だけでにこりと笑い――次の瞬間には眉を下げて「でも……」と今にも泣きそうな声で訴えた。
「ブライトン公爵夫人がおっしゃったように、アクセサリーは身に付けるものです。ずっとしまっておくなんて可哀想……」
「全くその通りだシャルルリエル!」
シャルルリエルの後を追って現れた皇子マクシムが大きな声で同意する。
「高価なものを手にしても、身に付ける機会がないのでは意味がない。お前は身に付ける楽しみを我々から奪いたいのか?」
周りの貴族たちがそれはそうだと頷き始める。
もう少しでこちらの思い通りにいくところだったのに、面倒なことになってしまった。この二人がいると必ず話がこじれる。ロズリーヌは心の中でため息を吐いた。後ろで控えているマルティーニは気づかれないように悪態を吐いている。
(こうなったときのための策は無いこともないが……)
ロズリーヌは扇子で自身の腕を叩きながら思案する。思いついた方法は伯爵位に過ぎない自分が申し出るには位が足りない内容だったからだ。公爵夫人であるサラ夫人に発言してもらうことも視野に入れていたが、彼女はシャルルリエルとマクシムに煽られた貴族たちの圧力に気圧されてしまっている。
どうしたものかと考えを巡らせていると。
「それでは、私がその機会を作りましょう」
凛と響き渡る、高らかな声が麗しき姿と共に降臨した。ティモシーである。
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