第六話:石鹸と情報と、地道な一歩
ガルドさんが去った後、俺とリリアはしばらく呆然としていたが、すぐに我に返り、荒らされた店内の後片付けを始めた。割れた椅子の破片を拾い集め、倒れた棚を元に戻す。幸い、商品はほとんど無事だったが、店の入り口に掲げたばかりの『トール道具店(仮)』の看板は、無残にも真っ二つに割れてしまっていた。
「……看板、また作らないとな」
「そうですね……」
一息ついて、カウンターの上に置かれた銀貨を見つめる。ガルドさんが置いていってくれた、初めてのまともな収入だ。ずしりとした重みが、現実感を伴って掌に伝わってくる。
「これで、少しはまともな食料や、店の材料が買えるな」
「はい。早速、帳簿につけますね」
リリアはどこからか小さな帳面と墨付きのペンを取り出すと、さらさらと収入を記録し始めた。その几帳面さには本当に頭が下がる。俺一人だったら、間違いなくどんぶり勘定で、あっという間に使い果たしていただろう。
「しかし……いつまでもゴロツキに怯えてるわけにはいかないよな」
俺は腕組みをして唸る。ガルドさんの忠告通り、ダリオたちがこれで諦めるとは思えない。
「それに、リリアの借金も返さないといけない。一体、いくらあるんだ?」
「……正確な額は……でも、かなりの額だと思います。父が亡くなる前に、利子がどんどん膨らんで……」
リリアの声が翳る。具体的な額も分からないのか。これは、かなり厄介そうだ。
「とにかく、この店でしっかり稼ぐ必要がある。そのためには……」
「……新しい商品、ですか?」
リリアが俺の考えを読み取ったように言った。
「ああ。いつまでも修理や再生品だけじゃ限界がある。何か、この店ならではの『売り』になるような、オリジナル商品が必要だ」
オリジナル商品。そうは言っても、何を作ればいい? 鑑定スキルは詳細不明だし、アイテムボックスは腐る。俺にあるのは、中途半端な現代知識だけだ。
うーん、と頭を捻る。前世で便利だったもの……異世界でも役立ちそうなもの……。
衛生観念が低い、と言っていたな。それなら……。
「そうだ、石鹸だ!」
俺はポンと手を打った。
「石鹸? せっけん……ですか?」
リリアは不思議そうに首を傾げる。この世界には、体を洗うための石鹸という概念があまり普及していないのかもしれない。
「ああ。体を清潔に保つための……まあ、魔法みたいなもんだ。汚れを落として、病気も予防できる優れものだぞ!」
「病気を……?」
リリアの目が少しだけ輝いた気がした。彼女の両親も、病で亡くなったと言っていた。衛生知識が広まれば、助かる命もあるかもしれない。
「よし、作ってみよう! 基本的な作り方は覚えてる。油脂と、アルカリ性のものを混ぜて煮込めば……」
早速、材料探しだ。油脂……店にあったガラクタの中に、何の動物のものか分からない古びた脂の塊があったはずだ。鑑定してみる。
【謎の獣脂】
状態:古い。やや酸化臭あり。食用には適さない。
……まあ、体に塗るものだし、大丈夫か?
次はアルカリ。これは、暖炉に残っていた灰を使ってみよう。
【灰色の灰】
状態:普通。草木を燃やした灰。成分:炭酸カリウムなどを多く含む(推定)。水に溶かすと弱いアルカリ性を示す(かも)。
……かも、ってなんだよ! 不安しかない!
だが、他に材料もない。俺は鍋(これも店にあった)に獣脂と灰を水に溶かした灰汁(あく)を入れて、火にかけてみた。ぐつぐつと煮込み、木の棒でひたすらかき混ぜる。
「うっ……なんか臭くないか?」
「……少し、焦げ付いているような匂いもしますね」
不安になりながらも、しばらく煮詰めて冷ましてみると……そこには、どす黒くて、なんとも言えない異臭を放つ、ゼリー状の塊が出来上がっていた。
「…………失敗だな」
「…………そうですね」
俺とリリアは顔を見合わせ、深いため息をついた。やはり、そう簡単にはいかないか。
「やっぱり、ちゃんとした材料と知識が必要だ……」
このままでは埒が明かない。俺は情報収集のため、一人で街に出てみることにした。リリアには、「何かあったら大声を出すんだぞ!」と念を押して、店番を頼んだ。
久しぶりに(といっても数日ぶりだが)リューンフェルトの街を歩く。ゴロツキに追われていた時とは違い、落ち着いて周囲を見渡すと、様々な発見があった。
活気のある中央市場には、見たこともない野菜や果物、香辛料、そして異世界の素材らしきものが所狭しと並べられている。人々の服装も様々で、裕福そうな商人から、質素な身なりの職人、そして俺と同じような冒険者風の者まで、実に多様だ。
物価をチェックしながら歩いていると、商業ギルドの立派な建物も見つけた。いつかは俺もここに登録して、商売を拡大していくのだろうか……? いや、今はまだ早い。スローライフが遠のくだけだ。
市場の隅の方で、小さな露店を見つけた。様々な種類の植物油や、乾燥したハーブなどを売っているようだ。店番をしていたのは、人の良さそうなお婆さんだった。
「すみません、ちょっと聞きたいんですが……」
俺は思い切って声をかけ、石鹸を作りたいのだが、何か良い材料はないかと尋ねてみた。
「おや、石鹸かい? 珍しいねぇ」
お婆さんは皺くちゃの笑顔で答えてくれた。
「それなら、普通の獣脂より『ラード草』から採れる油の方が、匂いも良いし泡立ちも良いよ。アルカリは、そうさねぇ、木を燃やした灰から作る『灰汁(あく)』を使うのが一般的だね。しっかり濾して不純物を取り除くのがコツさね」
ラード草! 灰汁の濾過! まさに求めていた情報だ!
俺は礼を言い、なけなしの金で少量だけラード草の油と、お婆さんが自家製で作っているという良質な灰汁、そして匂い消しによさそうな爽やかな香りのハーブを分けてもらった。
意気揚々と店に戻ると、リリアがカウンターで帳簿をつけながら、俺の帰りを待っていた。
「おかえりなさい、トール様」
「ただいま、リリア。何か変わったことは?」
「はい! さっき、お客さんが来て……ランタンの修理を頼まれました! それと、この間磨いたナイフも売れましたよ!」
リリアは少し興奮した様子で、銅貨を数枚差し出した。わずかな額だが、着実な進歩だ。
「おお、やったな!」
俺たちはハイタッチ…は、まだ早いか。とりあえず、互いの健闘を称え合った。
「見てくれ、リリア! 石鹸の材料、良いのが手に入ったぞ!」
俺は市場で仕入れた戦利品を広げる。
「これがラード草の油で、こっちが灰汁。あと、匂い付けのハーブだ」
「わぁ……綺麗な油ですね。ハーブも良い香り……」
俺たちは早速、石鹸作りに再挑戦することにした。
今度は失敗しないように、お婆さんのアドバイス通り、灰汁を布で丁寧に濾し、ラード草の油と混ぜて、ゆっくりと火にかける。焦げ付かないように、慎重にかき混ぜ続ける。最後に、刻んだハーブを加えて、型(そこらにあった木箱)に流し込み、冷ます。
しばらくして固まった石鹸を取り出してみると……今度は、前回のような異臭はなく、ほんのりとハーブの香りがする、乳白色の固形物が出来上がっていた!
「……おおっ!?」
「……できてます、トール様!」
試しに水で濡らして泡立ててみると、きめ細かい泡が立った。
成功だ! まだ改良の余地はあるだろうが、これは間違いなく「石鹸」だ!
「やった! これなら売れるかもしれないぞ!」
「はい!」
俺とリリアは顔を見合わせ、今度こそ満面の笑みを浮かべた。
これが、俺たちの店の、最初のオリジナル商品になるかもしれない。
スローライフへの道はまだ遠いが、確かな一歩を踏み出した手応えがあった。
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