第13話 月島の実家に行こう
蕎麦屋を出た三人は、乗り換えの為に別のホームに立っていた。
「美味しいお蕎麦でしたね。体も温まりました」
「美味かったですねえ。帝都で食べる蕎麦とは少し違いましたね。麺が柔らかいというか」
「柔らかいのはこの辺の蕎麦の特徴なんだよ」
月島がしたり顔で話す。帝都で食べられている蕎麦とは違い、大豆をすりつぶした汁を使うのだという。麺が柔らかくもちもちしているのが特徴だ。
店の店員は多華子が犬を連れていることに気づき、イチの為に煮干しと水を用意してくれた。お犬参りに行く犬を大事にするのは、この辺りでは当たり前のことらしい。
「汽車の中でもそうでしたけど、なんだか、イチに色々いただいてばかりで申し訳ないですね」
多華子は満足そうな顔をしているイチを見ながら呟く。
「お犬参りの犬に乱暴なんか働いたら罰が当たりますからね。首から何かぶら下げている犬がいたら、みんな競うように餌をくれるもんですよ」
恐縮している多華子に、月島は得意げに話す。
「お前がお犬参りに詳しいわけは、地元が龍の祠に近いからだったんだな」
「遠い昔、里で寝込む主人に代わって犬が龍の祠へ行った伝説が、お犬参りの始まりだとかなんとか……まあ、僕は多少詳しいだけで、実際お犬参りには行ったことがないけどね」
「ないのかよ? 散々偉そうに説明しといて……せっかく近いんだから行けばよかったじゃねえか」
「行っていたら、今頃僕は売れっ子小説家だったかもしれないね。でもお犬参りはそんなに簡単じゃないんだよ。犬がどれだけご主人様を信頼しているかが重要なんだ。ただ犬を連れて行けばいいってもんじゃないからね」
「へえ、案外難しいんだな。それじゃあ、欲深い奴が犬を無理矢理連れて行っても駄目だってことか?」
甲斐はしゃがみ、イチの体を撫でている。
「そうだよ。願い事は犬が龍神様に伝えなきゃいけないって言われてるんだ。龍の祠は人間が入っちゃいけないし、全て犬に任せるしかないからね。犬と主人の絆が問われるってことかな。あ、多華子さんとイチならきっと大丈夫ですよ! 心配しないで」
月島の話を聞きながら不安そうな表情の多華子に気づいた月島は、慌てて取り繕った。
「ありがとうございます。最後は犬に任せるというのは知ってましたけど……少し不安ですね」
甲斐は顔を上げ、多華子に微笑んだ。
「多華子さんとイチなら大丈夫ですよ! イチを見てれば分かります」
甲斐の力強い言葉に、多華子はホッと笑顔を浮かべた。
やがて汽車が来て、三人と一匹は汽車に乗り込んだ。目的地の弘前駅までは一時間と少しだ。上野から青森までの長旅を経験した後なので、三人とも気楽に目的地までの移動を楽しんでいた。車両の中では早速イチに人々が集まり、ここでもリンゴやら栗やら、様々なものを多華子はもらった。おかげで食べ物には困らない旅である。
彼らは食べ物を渡した後、必ずイチを拝んでいく。龍の祠に祀られている龍神は犬を使いとしており、お犬参りに行く犬を拝むのは龍神様に拝むのと同じと人々は考えているようだ。イチは大人しく座っていたが、自分に手を合わせていく人々を不思議に思っていたに違いない。
汽車は弘前駅に着いた。弘前は多華子の想像以上に開けた町で、この駅で沢山の乗客が降りていく。
月島の家は駅から歩いて二十分ほどの場所にあるというので、三人と一匹は家まで歩いて向かうことにした。この辺りは歴史あるお城がある一方で煉瓦造りの西洋風建築物がいくつも建っていて、美しい町だと月島は自慢げに話した。なんだかんだ言っても故郷を懐かしんでいる様子の月島を見て、多華子はやはり彼を実家に行くよう説得して良かったと思った。
通りを歩いていると大きな土産物屋があった。甲斐は店を指さしながら多華子に話す。
「多華子さん、せっかくだからちょっと見て行きませんか? 何だか面白そうな店ですよ」
「いいですね」
多華子は頷き、土産物屋に立ち寄ることになった。
店の中には様々な商品が売られていた。中でも目立つのが『お犬参り』に関する物だ。犬の形の木札や犬の柄が入った手ぬぐいなどが売られている。
「へえ、やっぱりこの辺は『お犬参り』に来る参拝客が多いから、土産もそれに関するものが多いのか」
甲斐は物珍しそうに手ぬぐいを手に取ったり、木札をひっくり返してみたりしていた。
「多華子さん、お犬参りはここからが長いですからね。とは言え参道近くには宿もありますし、食堂やお茶屋なんかもありますから、休む場所には困らないと思いますけど」
「歩くのは覚悟してますから平気ですよ、月島さん」
「それならいいんですが……多華子さん、何だか楽しそうですね」
「そうですか?」
いよいよ龍の祠の地元にやってきて、多華子は珍しくはしゃいでいた。初めて見るお土産にも興味津々で、店の中をイチと一緒に見て回っている。
「おや、ひょっとしてお客さんお犬参りかい?」
店員がイチを見て多華子に声を掛けた。
「そうなんです」
「よく来たねえ、賢そうな犬だ。餌は食べたかい? 何か持ってきてやるよ」
「お気持ちだけいただいておきます。先ほどお蕎麦屋さんでいただいたので……」
「まあ、そう遠慮しないで。ここらのもんはね、お犬参りに行く犬を見かけたら世話をしてやるのが決まりだからさ」
「ありがとうございます。なら、お言葉に甘えて……良かったね、イチ」
イチは口を開けて舌を出している。多華子が頭を撫でているのを見た店員は目を細め「すぐ持ってくるから、待ってな」と店の奥へ向かった。
店員にイチの世話をしてもらっている間、店内を見ていた多華子はある商品を手に取り、じっと見入っていた。
「それ、気に入りました? 多華子さん」
甲斐に後ろから話しかけられ、多華子は驚いて振り返った。
「え、ええ。これ……いろんな柄があって面白いと思って」
多華子が手に取ったのは、幾何学模様が入った小さな巾着袋だった。
「へえ、素敵ですね」
甲斐も興味深そうに巾着袋を見ていると、月島が気づいてやってきた。
「ああ、それは『こぎん刺し』だね」
「こぎん刺し? 何だ? それ」
「布の補強のついでに、刺し子で模様をつけるんだ。昔の人の知恵だけど、今は土産物として人気があるんだろうね……確かに、どれも凝っていて同じものが一つもないね」
月島もこぎん刺しの巾着袋を手に取り、感心したように眺めている。
「へえ、いいな。それじゃあ、これを多華子さんに買いますよ」
多華子は甲斐の言葉にポカンとした。
「え? あの……私に?」
「青森に来た記念に。思い出になるでしょ?」
ニコニコしながら巾着袋を持っている甲斐を見ながら、多華子は慌てた。
「いえ、そんな。甲斐さんに買っていただくわけには……」
「遠慮しないでください。そんなに高いもんじゃないですから」
「いやあ、悪いなあ甲斐さん。買ってもらっちゃって」
「お前のは買わねえよ。何で当たり前に買ってもらえると思ってんだ」
笑顔の月島を甲斐はじろりと睨む。
「あ、あの! せめて月島さんの分もお願いします。というか、三人分買いませんか? 旅の思い出なら……」
オロオロしながら訴える多華子を見て、甲斐は笑いながら頷いた。
「心配しなくても、元々三人分買うつもりでしたよ。俺も欲しいですから」
「そうですか……ありがとうございます」
「なんだ、やっぱり買ってくれるんじゃないか」
「お前がそういう態度だと買いたくなくなるんだよ。ほら、どれがいいかさっさと選べ」
甲斐がため息をつく中、月島は嬉しそうに「どれにしようかなあ」と言いながら巾着袋を選んでいた。
多華子は深い藍色に白い糸で刺繍がしてある巾着袋を一つ選んだ。甲斐に買ってもらった巾着袋を多華子は嬉しそうに見つめ、大事そうに着物の胸元にしまったのだった。
土産物屋を出た三人と一匹は、途中の和菓子屋で手土産の大福を購入し、月島家へと向かった。人通りの多い道を通り抜けた住宅地の一角に、月島家があった。
「へえ、いい家じゃねえか」
「立派なお宅ですね」
豪邸というわけではないが、月島家は二階建ての和風建築で、庭に立派な柿の木があった。
「別に普通の家だよ」
月島は照れたように笑った。この家には月島の両親と弟一家が暮らしているのだという。
「ごめんください!」
甲斐は大きな玄関の引き戸の前で元気よく声を張り上げた。しばらく待っていると家の中から「はあい」と女性の声がした。
ガラガラと引き戸が開き、中から顔を出したのは中年の女だった。
「何かご用で?」
女は警官姿の甲斐を見て怪訝な顔をした。
「突然申し訳ありません。帝都の日本橋署から来ました、巡査の甲斐聡一と申します!」
「帝都から……まさか息子に、広太郎に何かあったんですか!?」
女はみるみる顔が青ざめ、慌てだした。
「広太郎さんのお母様ですか。大丈夫、彼は元気ですよ……あれ? おい月島、そこに隠れてないでちゃんと出て来いよ」
月島は甲斐たちから少し離れた場所に立っていた。甲斐に促され、月島はしぶしぶ母の前に姿を見せる。
「久しぶり、母さん」
「広太郎……あんた、どうして……」
月島の母は突然訪ねてきた息子を見て困惑していた。
「お母さん、こちらのお嬢様は秋津多華子さんです。縁あって俺たちは月島さんと一緒に旅をしている所でして」
甲斐の隣にいた多華子は、月島の母にお辞儀をする。
「秋津多華子と申します。こちらは私の飼い犬のイチ。これから『お犬参り』に行く途中なのですが、月島さんのご家族にぜひご挨拶をと思いまして……」
呆然としていた月島の母は、お犬参りと聞いてハッと我に返った。
「まあまあ、帝都からわざわざお犬参りにいらしたんですねえ。すぐに食べ物と水を用意しますから、ちょっとお待ちくださいね」
イチを見て急いで家の中へ戻ろうとする月島の母を、甲斐は慌てて引き留めた。
「あ、待ってくださいお母さん。イチのことはひとまず置いといて……ちょっとお願いがあって我々は来たんです」
「はあ、お願いですか?」
月島の母は首を傾げた。
「ほら、お前が言えよ。自分の母親だろ」
甲斐はさっきから言葉を発しない月島を軽く小突いた。
「あ……あの。実は帝都から青森まで着替えを持たずに来ちゃってさ。悪いんだけど、何か着るものがあったら貸してもらえないかと思って……」
月島は親に怒られている子供のようにオドオドしていた。月島の母はじっと息子の顔を見た後、呆れたようにため息を吐く。
「……だからそんな薄着なの。分かったわ、今用意するからとりあえず上がりなさい。皆さんもご一緒に、長旅でお疲れでしょう。さあさあ」
母親があっさりと家に入れと言ったことに、月島は驚いた顔をした。戸惑う月島を尻目に、甲斐はニコニコしながら家の敷居をまたいだ。
「いやあ、すみません! ではお言葉に甘えましょうか、多華子さん」
「ええ。お邪魔します」
さっさと家に入る二人を見ながら、恐る恐る月島は二人に続いた。
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