第8話

夏季補講の助手バイトと、発掘品の保全作業。


今日は二足のわらじで気合いを入れて大学へ向かった。


仕事モードに切り替え、発掘品に没頭する。


――昼過ぎ、一段落して廊下の自販機前で休憩していた時だった。


正に青天の霹靂。


「せんせ〜〜〜っ! 彼女が出来たってほんとですかぁあ〜〜!?」


まさかの号泣ボイスと共に、走ってくる影が一人。


そのままダイブしてきたのは――。


「結月……ちゃん?」


橿原結月(かしはらゆづき)。女子大生、現在三回生。


数年前、俺が家庭教師をしていた教え子。


結月ちゃんは当時からアイドル張りの可愛さで、高校・大学とミスコンは常連だ。


あの頃、なぜか懐かれすぎて、数回デートに誘われた挙句、告白までされた。


当然、「先生と生徒の関係だから」と全力で断った。


犯罪臭と背徳感が強すぎて、俺の理性が勝った。 えらい、俺。。


「……急にどうしたんだ? 語学留学中だったんじゃ?」


戸惑う俺に、彼女は涙目で訴えた。


「ううっ……先生の彼女がどんな人か気になりすぎて……夜も眠れなくなって……!!」


いや、どういう感情だそれ!?


「友達から聞きました。 いつも一緒で、先日は先生と金髪美女が浴衣デートしてたって!!」


ぐっ……うちのゼミ生の無自覚情報漏洩……ッ!!


***


午後、大学の談話室。


外は蝉が鳴き、冷房の効いた部屋の中は静かだった。


俺、アルシア、そして橿原結月。


三人で向かい合ったテーブルの上に、妙な空気が充満していた。


そして――。


遠くから、殺気。


ちらりと目をやれば、アイスコーヒー片手に、ツバキとヒバナがこちらを睨んでいた。


「(誰だ、あの女?)」


……口は動いてないのに、ツバキの声が聞こえた気がする。怖い。


ヒバナに至っては、にっこり笑いながら銃の撃鉄をカチリ。


マジでやめろ、俺が悪かった!


***


そんな空気の中で、俺は平静を装いながら紹介する。


「ええと、紹介するよ。アルシアは……今、俺の大事な人で……」


アルシアは優雅に微笑み、会釈した。


「初めまして。アルシア・ロウランと申します。よろしくね、結月さん」


完璧な正妻ムーブ。


だが、結月も負けていない。


「……私、総一郎先生の側にいたくて、この学校に入学したんです。 そして……先生が“鹿と戦った”って話、本当ですか?」


「うっ……」


アルシアは控えめに咳払いし、真顔でうなずいた。


「本当よ。大きな鹿に突っ込まれて――私は助けられたの」


「……でも、あの“鹿王”って、確か奈良公園のアイドル的存在でしょ? 観光客にも人気で、婦女子には特に優しくて……」


「そ、それがですね、たまたま、その日は荒れてまして……えっと……」


苦し紛れに弁解する俺。


「先生……あの鹿王がアルシアさんを襲うなんて、あり得ませんよ!」


「いやいやいや……たまたま、スイッチ入っちゃっただけで……」


焦る俺。


結月は身を乗り出してグイグイ詰め寄る。


「鹿王って、婦女子にやさしい子ですよ? つまり先生……何か、別の理由があるんじゃないですか?」


アルシアがふっと微笑んだ。


それが、「これはさらに拗れるやつだ」と俺に確信させた。


***


「私、絶対あきらめないですから!」


結月が、両拳をぎゅっと握りしめた。 その瞳は真っすぐで、俺の心をぶち抜いてくる。 


まるで過去の想いが、時間を越えて炎を取り戻したかのようだった。


対するアルシアは、柔らかく、しかし毅然と微笑んだ。 その表情には、どこか寂しさも混じっている。


「結月さん……あなたのその熱い想い、ちゃんと伝わってきます。

でも……ごめんなさい。私も、総一郎への気持ちだけは……曲げるわけにはいかないのです」


静かな声。 だけど、そこに込められた感情の深さは、誰の耳にも届いていた。


空気がピリつく中、俺は思わず両手を出して、ふたりの間に割って入った。


「ちょっと、みんな落ち着こう」


俺は結月に向き直り、まっすぐ目を見て言う。


「結月ちゃん……君の気持ちに、俺……全然気づいてやれてなかった。本当にすまん」


逃げずに、ちゃんと向き合った。


「でも……今の俺には、アルシアのことしか考えられない。 この気持ちは……嘘じゃないんだ」


静まり返る談話室。


その瞬間――


「私たち、婚約しています」


アルシアの声が、静かに、けれど堂々と響いた。


「え、ちょっ……!?」


俺は思わず声を上げた。


いや、もちろん嫌じゃない。むしろ最高だ。 


だが俺、聞いてない!!


***


結月は、ぴたりと動きを止めた。 その目に、見たことのない光が宿る。


——にらみ合いが続く談話室。


ついに、結月が震える唇を開いた。


「で、でも……まだ……ワンチャンあるかも、ですから……」


その頬を一筋の涙が伝う。


「だ、駄目でも……っ」


言いかけて、トートバッグを握りしめ、立ち上がった。


そして――


「2号でもいい……! あなたのそばにいられるなら……ぁあああああ!!」」


叫び声は廊下に出てから、大学の静けさに響き渡った。


廊下の床が震えるかのような、魂の絶叫。


学内の空気が一瞬止まったようにすら感じた。


俺は両手で顔を覆った。


「……やめてくれぇ……俺の学内での社会的信用があぁぁぁ……」


***


ふと後ろを振り返ると、そこには、アルシアが少しうつむきながら立っていた。


「……ごめんなさい、総一郎。 あんな形で“婚約”なんて、言うつもりじゃなかったの」


でも、と続ける彼女の声は、柔らかく、しかし確かだった。


「……本気、なんです。 私のすべてを懸けても、貴方と一緒にいたいと思ってる」


その瞳は、過去も未来も、すべてを覚悟した高貴な魂。


そして、たまらなく愛しかった。


俺は言葉を返さず、そっと彼女の頭に手を置いて、優しく撫でた。


本当は、すぐにでも抱きしめたかった。


けれど、この場にはまだ、少しだけ"覚悟"が足りなかった。


***


そのころ、談話室隅っこにいたツバキの腰に装着された分厚い未来タブレットが、不穏な警告音を鳴らした。


ピ――――! ピ――――!


ツバキ「特異点反応、強。……識別コード、操作開始」


指が重たい物理スライダーを滑らせる。


端末のログが開かれると、全員の顔色が変わった。


ツバキが沈んだ声で告げる。


「……該当対象、橿原結月。コードネーム――“愛姫”」


「っ……!」 一同、驚愕。


緊張に包まれた沈黙の中、ツバキが無機質な声でログを読み上げた。


「愛姫・結月……帝王・長屋総一郎の妃にして、恐怖的存在。 政治を愛欲で歪め、世界を支配。

人民の精神を麻痺させる――帝国の象徴、“闇に微笑む傾城”」


「マジでやばい奴だ。俺たち、何度も未来で仲間を失ってる。“あいつの邪悪な優しさ”に」


「……けど、今のこの“結月”って子は……」


「未来の“愛姫”に似てるようで、なにか違う。 あれが“同一個体”なのか……本当に確かめる必要がある」


「……違うなら、嬉しいよ」


「けど、同じなら……止めなきゃね」


未来戦士たちの間に、重く静かな覚悟が、落ちた。


……あの微笑みの奥に、どんな未来が潜んでいるのか。 誰にも、まだわからなかった。

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