第13話

「エクリプス、ねえ……」


 ヒノノブさんがタブレットを片手に呟く。窓から零れる午後の日差しが暖かくて大きく欠伸をした。ソファに寝転がったまま目を閉じる。本当はベッドで寝たいのだが、自分の部屋まで戻る気力がない。


 軍の隊長にだけ与えられた個室である士官室でヒノノブさんと二人、だらだらとした時間を過ごしていた。珍しく与えられた休みの日だった。


「てか光輝いつまで俺の部屋にいる気なの? どこかに出かけたりしないの?」


「しないよめんどくさい……出かけたら色んなやつがうるせーじゃん」


「まあそっか。救世主様だもんね」


 苦笑しながらヒノノブさんが言う。救世主という言葉を聞いて苛立ちが湧いた。


「休みの日にそんな言葉聞きたくねえんだけど。ひどいねヒノノブさん」


「ええ? 沸点低くない?」


「あーもうそういうこと言うじゃん。つまんね。部屋の中漁っちゃおうかな~」


 のそりと起き上がり、ずっと気になっていたクローゼットの方に行く。ヒノノブさんは毎日戦闘服を着ているから、私服がどんなものなのかがずっと気になっていた。「え、ちょ、やめろってマジで!」と焦ったような声が聞こえる。


「え~? 駄目?」


「駄目だよ。俺私服ダサいんだから……てか光輝見てよこれ。知ってる?」


 椅子に腰かけたヒノノブさんが手招きをする。のそのそ歩き、差し出されたタブレットを受け取った。表示されていたのはニュース記事、タイトルは『天界のダークヒーロー、エクリプスの正体』。


「北居住区を見回りしてた兵士が殺されたって報告があったじゃない。あれ、このエクリプスさんがやったんだって」


「ふうん。ああ、あれね。皆めっちゃ騒いでたなあ、うるさかった」


「感想それだけなんだね。さすが光輝。俺は結構ビビったけど」


 ヒノノブさんが人差し指を上げ、すい、と画面を操作してくる。


「彼、すごいらしいよ。数か月前に王城付近で何人も犠牲が出た戦闘あったじゃない、それも彼が一人でやったんだって。今回も一人で二十人殺してるし……」


「一人でそんなに? それは、手強そうだなあ」


 父が開発した高性能防魔戦闘服は、魔法があまり強くない天使の攻撃くらいなら簡単に防ぐ。そうでなくとも、威力を大幅に削ることができる。だから並大抵の攻撃じゃ俺たちは殺されない。はずだったが、どうやら最近は天使達も決死の抵抗をしているようで、兵士のレベルが上がりこちらの死人の数も増えてきた。数日前に会話した人間がいないなんてことも、日常になりつつある。


 しかし未だ人間側が戦況有利の状況。だから俺もこうして天界にいる。あらゆる建物が白く、凝った装飾が施された美しい世界。幼い頃の記憶などほとんどないと思っていたが、一歩を踏み入れた瞬間鮮明に記憶がよみがえった。父と母に連れられてやってきたあの日も、天界は美しかった。今はもう、俺たちの手でかなりの場所が破壊されてしまっているけれど。


「光輝、興味あるの?」


 ヒノノブさんが俺を見上げていた。心なしかその顔には皺が増えたような気がする。けれどそれは俺も同じ。二年前のあの海岸から、俺たちの時は一気に進んだ。あの時毛嫌いしていた大人と、今となっては同じ顔をしているのかもしれない。


「まあ、終戦のためにはそいつを殺さないといけないんだろうし……多分、そいつ殺せるの、俺くらいじゃない?」


 「確かにね」とヒノノブさんが言う。神内の血を引いているくせに革命に興味が無いなんて、といつだったかに言われた言葉が頭に蘇る。彼の主張は正しかったようで、俺には戦いの才能があった。身体能力だけじゃない。他の人が持たない、俺だけの力。


「光輝がいれば、きっと勝てる。勝てるけど——ねえ。本当に、それでいいの。戦いが終わったら、どうするの。まさかずっと軍人でいるわけないよね」


 穏やかな風が、カーテンを揺らしている。


「革命なんてクソだって言ってたお前の言葉、嘘じゃなかったって思ってるよ。あの教室で言ってた言葉も。まだもしかしたら間に合うかもしれない。もう一度、彼に会えるかも——」


 突然、風が室内に吹き込んだ。立っていられないほどの強風に異常を感じ、腰に付けた銃を抜く。窓に、人影があった。たっぷりとした布を纏った、豪華な衣装。人影は風とともに室内にふわりと侵入し、そっと窓を閉めた。途端に静けさを取り戻す室内。タブレットはどこかに飛んでいったのか、手元から消えていた。


「こんにちは。突然の訪問となってしまい申し訳ございません」


 眼鏡をくい、と押しやり、男が静かに口を開く。


「俺はガロウ。天界自警組織の審問官をしている者ですが……今は、ただのガロウとして君たちに会いに来た。用件を端的に言うと、セスを、助けてほしいんだ」


 俺はガロウを真っ直ぐに見つめたまま、口の端を吊り上げた。


「エクリプス……俺が、殺してあげるよ」



 光線がその体を貫く。目の前の人間がうめき声を上げて倒れた。足元の血だまりが不快だ、死臭が不快だ、汚れた軍服が不快だ。他の兵士と違って俺の軍服だけが白色ではなく黒色なのは、血が目立たないようにするためらしい。


 状況は悪い。東居住区と西居住区に潜んでいた人間の戦士が一斉に進軍、中央区にいた天使達は突然の攻撃に恐怖しうろたえ、一斉に王城の方へと逃げていった。俺はただ、兵士を一人一人始末するだけ。弾丸を相殺し光線を放つ、その繰り返し。


 東居住区の兵をあらかた片付けた後に西へ。死臭が不快でぐいと鼻をこすった。独房にいてもずっとつき纏っていたこの臭い。それが自分から発されているものであることなんて、とっくに気が付いていた。「お前はいつも絵の具の匂いがするな」と言っていたガロウの姿が浮かんで消える。


 横で戦っていた天使が魔力切れを起こしたようで、バリアが一瞬だけ消えた。その瞬間飛ぶ血しぶき。人形のように倒れる天使。続けて俺を狙う弾丸を弾き返し、そのまま人間に命中させる。さすがにこうも連戦を強いられると、集中力が鈍る。動きも、だんだんと遅くなっていく。ああ俺、多分今日が命日だな。


 何も良い事がなかった。何も成し得ることができなかった。ただ人に迷惑をかけて傷つけて、人生の終わりを殺戮兵器として終える。あれだけ望んでいた夢の、ひとかけらも叶っていない。きっとアトリエは破壊された。俺に残っているものは何もない。残ったのは、最低最悪な殺人鬼。


 突然、ざわめきが聞こえた。戦いの喧騒ではない、なんだこれは。人間も天使も全てが、何かに動揺している。異常を察知して重い体を持ち上げた。その場にいた者が皆、大通りの奥を見ていた。倣うように俺も視線を向ける。歩いてくるのは数人の人影。黒い戦闘服を纏っている、恐らく人間? いや、白い服を着た者もいる。あれはなんだ、天使か? どうして天使が人間と——


 ふと、真ん中を歩く人間が顔を上げる。目の前の光景が理解できなくて、思わず呼吸を止めた。ここが戦場であることすら忘れて。その人は、数メートル先で歩みを止めた。両端にいる人間は、どちらも俺を見て痛ましそうに顔を歪めている。その二人にも見覚えがあった。誰よりもよく知っている親友であるガロウと、あの日、俺たちを助けてくれた人間、確か、ヒノノブ。


 真ん中に堂々と立つ彼が、俯いていた顔を上げ、その顔を日の下に晒した。身長が伸び、顔つきが変わっているが、俺が見間違うわけない。


「や、久しぶり。——エクリプス?」


 コウキはそう言って、不敵に笑った。

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