第8話

 四時間後、朝。スマートフォンの通知で目が覚めた。最悪は続けてやってくる。そういう時も、あるのだろう。わかっていたけれど、受け入れるには俺はまだ弱すぎた。


 六時半、アラームよりも三十分早い時間。普段は通知ごときに睡眠を邪魔されることなどないのに、どうして夜更かしをしてしまった今日に限って。


 起き上がり周囲を見るも、セスの姿はない。リビングにいるのだろうか、まだ眠っているのだろうか。「ここに来てから平和ボケしてしまっているのか、睡眠の時間も長くなってしまって」と恥ずかしそうに笑っていた彼の顔が思い浮かぶ。


「……言わないと……」


 幸せを味わったからだろうか、頭は昨日よりも冷静であるようだった。今日から俺たちの環境は変わる。この決断はきっと悪い方に進んでいくだろうが、少しでも抵抗しなければ気が済まない。


 スマートフォンを手に、そっとベッドから出てリビングへと向かう。視界の端に映った銃がキラリと光った気がした。俺はもう、あんなことはしたくない。舞い散る赤色が脳裏に浮かぶ。


「セス」


 呼びながら扉を開ける。彼は翼で身を守るようにしながら、リビングの端に浮いていた。そっと手を伸ばすと、彼が貼ったバリアに阻まれる。まだ出会ってほんの少ししか経っていないのに随分心を許してもらえたらしい。だってほら、これだけ近づいても彼が起きる様子はない。天使には睡眠はあまり必要ないらしいのに。


「セス」


 バリアに手を触れたまま、少し大きな声で呼んだ。彼のまつ毛がふるりと震えた気がする。ああ、もう少し、このままでいたかったな。スマートフォンが再び震える。目障りなそれを無視して、バリアにすがりつくように体重をかけた。


「セス起きて。逃げるよ。お前が殺されてしまう前に」


 パチリ、と目が開いた。ゆっくりと開き、銀色の瞳が俺を映す。次第に見開かれていくその目が面白くて、声を出して笑った。ぱちり、とバリアが消える。支えを失って倒れかけた俺をセスが慌てて支えた。


「え、こ、コウキ」


「おはようセス」「おはようございま……じゃなくて、え、今なんて」


「だから、逃げるよセス。事情は準備しながら話すから、とにかく支度して」


 そう言ってセスから離れ、ソファに置き去りにしていた鞄を手に取る。この通学鞄では小さいな、もっと大きなリュックがあったはずだ。あれにしよう、セスが好きなお菓子も入れられるだろうし。突然テキパキと動き始めた俺を見て呆然としていたセスが、パチリ、と部屋の電気が付いたことで再起動する。


「え、ちょ、どういうことですか!? 逃げるって、逃げるって、……まさか」


「そう。俺が目、付けられてるんだって。昨日ヒノノブさん——あの先輩が教えてくれたんだ。俺、救世主なんだって。天界を支配するための救世主。うけるよね。俺を救世主に仕立て上げたい大人が、俺のことを引っ張り出しに来るみたい」


 はは、と乾いた笑いが喉から漏れたが、セスは笑わなかった。悲痛そうに嘘、とこぼしたきり、何も言わずに立ち尽くしている。お菓子OK、食料OK、ゲームは……惜しいが置いていこう。あ、でも携帯ゲームくらいなら持っていけるか?


「セスのことはバレてないけど、俺の部屋にも何もかもにも、セスの痕跡が多すぎる。いつバレるかわからない。だから今のうちに逃げようと思って。俺は救世主になんてなりたくないから」


 でも正直に言えばセスは、今ここで俺を切り捨てて俺から離れるのが最善の選択だと思う。そう言おうとしたのに、なぜか言葉が喉に引っかかって出てこない。ガキだ。ヒノノブさんの言う通り、俺は子供なのだろう。


「……救世主なんて、認めません」


 セスはそう呟いた後、部屋の端に置いていた彼の鞄を手に取った。画材や彼の作品が入れられたその鞄をしっかりと肩にかけた後、俺の元までやってくる。入りきりそうにもないなと思っていた水のボトルを手に取り、鞄にそっと入れてくれだ。


 当然のように、俺と一緒に来てくれるらしい。もしかしたら「じゃあここでお別れですね」とカードを手に去って行くかもしれないなと思っていたのに。胸に込み上げる想いが制御できず、涙が落ちそうになる。


「俺さ、全然わかってなかった。ただセスと一緒にいられれば楽しいよなって、それしか考えてなくて。まさか俺が優秀すぎてこんなことになるなんて」


結局俺は、神内からも、戦闘の才能からも、救世主からも逃げられなかった。


「ごめん、ごめんねセス、変なことに巻き込んで。怪我が治った時点で離れるべきだったのに、こんな、ずっと拘束するようなことして」


「それ以上余計なことは話さなくていいです」


 セスが俺のパーカーを乱雑に鞄に詰め込む。俯いたまま、こわばった声で言った。


「俺が、あなたと一緒にいたいからここにいました。怪我が治っても何も言わないあなたの優しさに甘えていました。決して拘束されていたつもりはありません」


 見開いたまま瞬きすらできない。セスはそっと俺を一瞥し、微かに口角を上げた。


「学園に一緒に行くのも訓練も、楽しかったです。あなたが嫌がらせを受けなくなったことも、とても嬉しかった。あなたの役にたてるのが嬉しかったんです。……俺が今、一人で離れる方がコウキにとっても良い選択であると、理解はできています。でもまだそうしたくない。だからこうしてあなたと一緒に逃げようとしてる」


 翼がふわりと動き、俺の肩をそっと撫でる。


「俺、逃げるの得意なので。訓練の延長だと思って、どんと任せてくださいよ」


「ッなにそれ、頼もしいんだかなんだかわかんないわ」


 バカ真面目な顔をして、楽しそうに口元を緩ませて話すセスの姿を見て、鼻がつん、と痛くなった。セスに見られないうちに目をこすり、勢いよく立ち上がる。無理やり顔を上げてガッツポーズを作り、大きく深呼吸をした。


 荷物でパンパンになったリュックを手に、早足で部屋に向かう。旧式の銃を手に取り無理やり詰め込んでリビングに戻ると、セスがぽかんとしたまま動きを止めていた。


「うじうじしてたと思ったら勢いよく立ち上がってどっか行った、と思ったらとんでもなく速い動きで戻って来た……忙しいですねあなた。急ぐと忘れ物しますよ」


「あーうっさいうっさい。ほらもう行くよ。いつ俺の部屋にクソみたいな大人の野郎が来るかわかんないんだから」


 ガラリと窓を開く。朝になったばかりの澄んだ空気が心地よく体に入っていく。ふわりと広がるカーテンを抑えて背後を振り返ると、セスも鞄をしっかりと持ち、俺を見て大きく頷いた。


「行きましょうか。……ところで場所は? どこか行く当てはあるんですか」


「ない! ないけど行きたいところはある」


「じゃあ付き合いますよ。俺も行きたいところがあるので、それにも付き合ってくださいね」


 前に向き直り、そっとベランダに出る。眼下に見下ろす寮の裏口に人気は無い。続けて出てきたセスに一瞥を向けた後、手すりを乗り越えその身を投げ出した。風と重力が身体に纏わりつき、地面がどんどん近くなっていく。このままぶつかったらどうしよ、などとぼんやりしていると、勢いよく何かに腰と背中をキャッチされた。衝撃に息を詰まらせると、耳元で大きな声が響く。


「いきなり何してんですか!!!? 死ぬ気ですか?!」


 先に地面に降り立ち、間一髪俺を受け止めたセスが目をかっぴらいて俺を見る。


「声デカすぎだって! ありがと信じてたよセス。んじゃ行こうか! こっちこっち」


「いや行こうか! じゃなくて……! 俺飛べないんですからね! もう、心臓がいくつあっても足りませんよ。というかどこに行くつもりですか、あなたの徒歩じゃ逃げるといってもたいした距離稼げないと思いますよ」


「だからこれを使うんだって!」


 指さした先にあるのは、あらかじめ用意してあった、車。親父に買ってもらったキャンピングカーだ。白色が眩しいその車を見たセスは、化け物を見る目で俺を見た。


「え、これ、くるま、ですよね。あなた車なんて乗れたんですか……?」


「んふふ、親父が免許取らせてくれたからねー。今まで乗る機会なかったから初お披露目! いいでしょ。キャンピングカーってなんかかっこいいよね」


「いやもうなんなんですか朝から驚き疲れましたよ……」


「まずゆっくりできるところから探そうか。ほら乗って。ここから長いよ、ちゃんと付き合ってね」


 セスは苦笑して鞄を抱え直し、そっと俺に近づく。


「まあ、徒歩で逃げる! とか言い出さなかったのは安心しましたよ」


 久しぶりなので多少緊張はするが、まあ、大丈夫だろう。元よりこんなクソな世界で誰に気を遣う必要もない。最悪事故ったらセスになんとかしてもらおう。なんとかできそうだし。テキトーな考えで結論付け、二人で車に乗り込む。


「よし出発進行!」


 アクセルを踏みハンドルを切り、寮の裏口を抜け出す。向かう先は東。できれば誰にも見つからずに行きたい。俺がサボることなどままあるし、教師にもすぐにはバレないと思うのだが。ふと横を見ると、セスは外をじっと眺めていた。目線の先は、おそらく俺の部屋。もうあの場所に戻ることはない。なければいいと俺は思っている。


「……ゲームの続き、やりたかったですね……あの村の男の子、結局吸血鬼を説得できるんでしょうか。気になる……」


「ああそれ? まあ俺も気になるけど……あ、あのゲームはできないけど、携帯ゲーム機は持ってきたよ。後でやろうぜ。何個かソフトも持ってきた」


 ナイス! と笑うセスの笑顔があまりに純真無垢だったから、思わず大笑いをしてしまった。朝の道路に俺の爆笑が響く。きっとこんなことができるのは今だけだから許してほしいと、存分に大声を出して笑った。



「神内さん。……神内さん? またサボりですか。全く……」


「せんせー、神内と言えば、アイツが軍に飛び級で入るって本当なんですか?」


「それどこで聞いたんですか高橋くん。情報が早いですね。教えちゃってもいいかな、ええと、神内さんについてですが、ここ数か月間での戦果が認められたため学年を飛び級、実戦部隊に配属になる予定です」


「神内くん、天使のバリア壊せるんだもんね。出世も早そうだなあ、いいなあ」


「あなた達も訓練を真面目に受けて、彼のように新たな才能を見出せるよう頑張りましょうね。ではまずは教科書を開いて——」


「先生。そういえば、その、先日お聞きした天使についてですが……」


「ああ。S級指名手配犯の件ですね。未だ捕獲されておらず、皆さんには不安な気持ちを抱かせてしまっていて申し訳ないのですが……軍の方によると、例の天使の名前が判明したそうです」


「天使に名前ってあるんですか?」


「ありますよ。天使にも区別をつける方法が必要ですから。それで、指名手配天使の名前ですが——セス、という男性型天使だそうです」


「ふうん。まあでもきっと大丈夫っしょ。もしかしたらほら、光輝が捕まえちゃうかもしれないし!」


「ふふ、そうですね。もし神内さんが捕まえてくれたら、先生も鼻が高いです。未来の救世主ですから」

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