眼中の唯一神

時計

第1話

 弾丸が空けた穴が痛む。翼を動かそうと思っても、痛むばかりで飛べそうにない。まさかあんな銃でダメージを負うことになるなんて。腕の中の子供は、銃を持つ手をかわいそうなほどに震えさせ、見開き引きつった瞳で俺の背に視線を向けているようだった。おそらく翼からはおびただしい量の血が流れているのだろう。


 服の上から大事な、大事な作品を撫でた後、左手で子供を抱える。遠くから声が聞こえた。


「その天使を殺しなさい!!!」


 金切り声のような叫びが聞こえるたびに、子供の震えが大きくなる。看守達に連行されながら、あんなにも強く叫べるのか。それほどまでに人間は俺たちを憎んでいるのか。突然目の前に現れただけの天使であっても、攻撃しないと気が済まないらしい。この子もあの母親も、俺があの場に飛び込んでこなければこんなことにはならなかった。可哀そうに。


 ひたすらに足を動かす。飛べないのなら走るしかない。ここにいたらまた捕まってしまう。今度捕まったら刑期はどのくらいになってしまうのだろう、知らないけど知る機会なんて一生来なくていい。子供を抱え直し、一気に足を踏み出した。


「走るよ。暴れたら落とすから」


 飛べないのなら走るしかない。きっと逃げ切ることはできないとわかっているけれど、必死になって足を動かした。


 そこまで追想し、暗い牢屋で目を覚ます。動かすだけで傷む翼に舌打ちをこぼした。




「天使の弱点はそのコア——翼だと言われています。ですので、彼らを殺すためには翼を正確に狙う必要がある。その他の場所に銃を撃ちこんでも、彼らを倒すことはできません」


 嘘だ。こんなちっぽけな銃じゃ、翼を撃ち抜くことすらできない。天使が使う硬いバリアを貫通することなんてできやしない。俺みたいなガキですら知っていることを、先生が知らないわけないのに。


「何度も言っていますが、あなたたちの役目は天使を殺すこと。そしてゆくゆくは、天界を私たちの手に収めること。そのために、しっかり学び、我らが海上国の戦士として華々しい戦果を上げるのです。あなたたちは期待されているのです」


 嘘だ。俺たちのことなんか、人数稼ぎの駒としか思っていないのに。どれだけ強力な銃を作っても天使の命には届かない。だから駒の数を増やして、なんとか今の戦線を維持しようとしているだけ。十六のガキに一体なにを期待しているんだか。


「さて。前回の訓練で渡された物ですが、持ってきましたか。——そう、特殊防魔服です。これを着ることにより、天使の魔法攻撃を百パーセント防ぐことができます。我が国のテクノロジーの素晴らしさがよくわかりますね」


これは本当。実際前回の訓練でも、天使の攻撃によるダメージを受けずに帰ることができた。最もこちらからの攻撃も天使に通っていないのだから、無駄な時間を過ごしただけなのだが。机の上に乱雑に置いた黒い戦闘服には、汚れの一つもない。


 そう、俺たちは無駄な戦争をしている。互いにかすり傷さえつけることができないのに、懸命に攻撃をしあって、摩耗して、一体なんの意味があるのだろう。意地と意地のぶつかり合い。彼らはこの無意味な戦いを声高々に「革命」と呼んでいる。四八〇〇年から始まり、五〇〇五年の今この時まで続く戦争。


「では本日の座学はここまで。明日は再び訓練に赴き、天使を殺すための練習をしましょう。今度の戦場も主要な戦線からは離れていますし、危険はありません。……それでは最後に。いつものように、こちらのビデオを見て終わりましょう。我らが国の尊さと、天界の醜さを心に刻むのです」


 教室の前に大きなスクリーンが下りる。目の前のクラスメイト君が真剣な顔つきで頷く。彼だけじゃない、俺以外の全員が、その目に闘志と期待を宿して、じっとスクリーンを見ていた。先生がうやうやしく手をかざすと、それはすぐに映像を映し出す。ああ、吐き気がする。意味のない時間、意味のない人生。皆の目が映像にのみ集中しているのをいいことに、そっと目を閉じた。



「どうだった? 今日の訓練」


「どうって……今日は俺のクラスは座学だったから、なーんも。面白いことも一つもなかったよ。ってか俺の事よりそっちでしょ。ヒノノブさんはもう前線に出てるんでしょ? どうだったのさ。この一週間での成果は?」


「いつも通り、一人も倒せなかったよ。まあこっちにも負傷者はいなかったから損害もなかったけど。防魔服さまさまだよね。何度魔法をくらってもへっちゃらだった」


 隣を歩くのは、俺よりも上背のある男。しばらく髪を切っていないのか、乱雑に伸ばされた黒髪が揺れている。その手に持った銃がガラクタでしかないことに不満を抱かないのか。彼は不満を隠すのがうまいから、今も祖国への忠誠心を顔面に塗りたくって笑っている。いつも着ている黒い戦闘服には、ところどころ汚れが付着していた。


 授業が終わり、夕方。天使が引き上げていく時間に、俺の先輩である日野忍さんも帰って来たらしい。寮までの道を二人で歩きながらぽつりぽつりと会話をしていた。ひのしのぶ、略してヒノノブさんは俺が唯一話していて心落ち着く人。俺に革命を押し付けることも、天使への憎悪を語ることもない。ただ優秀だから将来を期待されていて、そのせいで革命から逃げられずにいるだけの、数少ない普通の人だ。


彼はすでに前線で兵士として戦っている。俺もいずれは彼と同じ道を辿るのだろう。


「……不快だったら答えなくていいんだけどね。光輝はどうして戦争、——革命が嫌いなの? 天使のこと、どう思ってる?」


「はあ? 今更何言ってんのヒノノブさんだって知ってるでしょ。意味がないからだよ、こんなこと。無駄な時間を過ごすために頑張るなんてやりたくないだろ」


「でも天使を殺せなくても、革命に意欲的な態度を示しておけば将来は安泰だ。国のテクノロジーが天使を上回っている限り死ぬこともない。……俺にとっては、光輝のその態度の方が無駄で非効率に思えるんだよ。どうして、どうして拒否するの?」


 おいどうした、今日の戦闘でなにか嫌なことでもあったのだろうか。


このクソみたいな世界の中で「普通の人」でいるのは難しいようで、彼は時たま不毛なことを言い始める。まあ周囲の環境に影響されるのは仕方ないことだとは思うのだが、吐き出せる場がここしかないのかいつも俺が受け止める羽目になっている。面倒臭いと思いながら彼の顔を見ると、わずかに眉間にしわを寄せ唇を噛んでいた。なぜそんなにも辛そうなんだろうか。俺なんかよりも何倍も賢く生きているのに。


「ヒノノブさんはさ、天使を倒したことがあるじゃん。頭もいいし。でも俺はなーんにもないの。人生を諦めてるだけ。そこに何か意味があるわけじゃないんだって。ヒノノブさんは優秀だから俺みたいな偏屈者の気持ち、理解できないんだろうけどさ。……気にしなくていいよ。俺のことなんて。自分がうまく生きることだけ考えてればいいよ、アンタは」


「光輝……」


 今日はセンチメンタルな気分らしい。俺の言葉にも納得する様子はなく、じ、っと困ったような視線を向けられるばかりだった。


 ヒノノブさんはかつて、天使の翼をそのパワーだけでもぎ取り殺した経験があるらしい。学園でも誰もが知っている武勇伝だ。彼はその才能をふんだんに発揮し、三歳しか歳が変わらないのに俺よりも、彼のクラスメイトよりも何段も高い地位にいる。給料だってめちゃくちゃ高いんだろう。いいな。


「ヒノノブさんって給料も高いの?」


 気になったので聞いてみることにする。彼はきょとんとした後理解ができない、と言いたげな瞳で俺を見た。


「……羨ましいの? だったら訓練で頑張ればいいんだよ。それだけでいい暮らしができる。……光輝は強いんだから尚更、簡単だと思うよ。お父さんとの関係だって」


「あーうっさいうっさい。めんどくさ今日のヒノノブさん。俺先に帰るわー、じゃね」


 後ろから呼び止める声が聞こえるも、ひらりと手を振りその場を後にする。胸糞悪さが溜まり、大きなため息を吐いた。ヒノノブさんは明日も戦場に出るんだろうし、お喋りばかりしているのはお互いのためにならないだろう。さっさと寮に帰ってしまおう。そしてしばらくは会わないようにする。それだけで多分関係は元に戻るはずだ。


 戦いが嫌いなのに、革命の恩恵を受けなければ生きていけない。そのジレンマに耐え切れなくなりそうになった時、彼は俺に会いに来る。俺が革命を否定するようなことを言えば嬉しそうにする。俺が自分の意見を代弁してくれているように感じるのだろう。生き辛い人だ。


 寮への道を歩く。今頃教師達は明日の訓練の準備でもしているのだろうか。ガラクタの銃を大切そうにメンテナンスして。想像してその不毛さに吐き気を催し、歩くスピードが遅くなる。小さくため息を吐くと、ちょうど横を通り過ぎようとした同い年くらいの男子が怪訝そうな顔でこちらを見てきた。目が合った一秒後に慌てて逸らされ、そして彼は急いだ様子で走り去っていく。人の顔を見てビビるとはなんて失礼なやつなんだ。というか俺、もしかしてまた変な噂が広まっているのか。嫌だなあ。


「……革命も天使も人間もどうだっていい。ただ俺は、約束を守りたいだけで……」


 俺の願いが受け入れられる日を祈って。形ばかりに祈りのポーズをとって目を閉じた途端、微かに声が聞こえた。


「……った、いたい……」


 目を開く。周囲を見渡しても人影はない。その場に立ち尽くしていると、再び声が聞こえた。「うう……」どうやら面倒なことになりそうな予感。これは首を突っ込まずに帰るべき、と思ったが、どうせ帰ってもやることがない。宿題は先ほど水たまりに投げ捨てたし。よし、様子だけ見ておくか。久方ぶりに動いた好奇心に誘われるまま、音のした方向を見る。すぐそばには公園があり、そちらの方から聞こえてきたような気がした。滑り台とブランコくらいしかない小さな公園だし、すぐに見つかるだろう。怪我してる人がいたら……どうしようかな。救急車くらいは呼ぼうか?


 砂を踏み、公園内に入る。人影はなく、ブランコも静止したまま。ぽつんと一つだけ置かれたベンチにはうっすらと砂が積もっている。なんとなく払いのけた後顔を上げると、公園の奥、植え込みの影に誰かが倒れているのが見えた。マジかよ。普通に病人か怪我人のパターンじゃん。少し面倒臭さが顔を覗かせたが、まだ好奇心が勝っている。ひょいと人影を覗き込んで、——息を呑んだ。


「え。——天使……?」


 薄汚れてしまっているが、白い羽が腰から生えている。くせ毛のふわふわとした白髪は薄汚れ、ところどころに泥を付けている。簡素なグレーのツナギも同じく汚れており、所々に赤い液体が付着している。性別のわからない顔をしていると思ったが、体格から見て男のようだった。その顔色は白く、瞳はきつく閉じられている。


「なんで天使がこんなとこに……」


 戦場でしか会わない存在だ。こんなところにいるのが見つかったら通報されて即身柄拘束、そのまま殺されてしまうかもしれない。哀れ。戦場から逃げてきたのだろうか。こんな学園付近にまで天使が侵入していたら先生たちが気付きそうなものだが。


 考え込んでいると目の前の彼が大きくせき込んだ。思わず「大丈夫?」と声をかけるも返事はない。す、と視線を動かして気が付いた。足首や首元、手首や顔にいくつか傷があるのが見受けられる。切り傷、打撲のような痕跡、赤色の斑点模様が痛々しい。というか天使の血も赤色なのか。


この怪我のせいだろう、呼吸は荒く意識は戻る様子がない。片翼を手に取りそっと持ち上げる。翼にも力は入っておらず、手を離せばそのままぱさりと力なく地面に落ちた。そっと撫でる指先が触れるのは、すでに完治してはいるのだろう古い傷跡。


 見れば見るほど色々なことが知りたくなってきて、そっと彼の体に触れた。拒否反応なし。オーケー、看病してあげようじゃないか。逸る心臓を押さえてリュックサックを前に抱き、よいせと天使をおんぶする。そこそこ重かったが問題はない。力はあるほうだと自負しているし。大通り沿いをいつものように帰ったら見つかる可能性が高い。見つかれば俺もただでは済まない。


「ちょーっと我慢しといてね」


 ならば裏道だ。植え込みの中へと入っていき、少しだけ空いた金網を見つけて潜り抜ける。二人ともに葉っぱがついたし枝が刺さったのか彼は苦しそうに呻いているが少し我慢してほしい。


 子供のころの記憶を引っ張り出して舗装されていない道なき道を通る。人の気配がないか、常に耳を澄ませて気を張って慎重に進んでいく。寮に入るときも裏口を使おう、寮に入ったら……まあなんとかして見つからないように部屋まで行こう、いけるいける。


 久しぶりに感じるスリリングな高揚感を胸に、急いで帰路についた。

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