『死ぬ気になれば、ってやつ』





「死ぬ気になれば、なんでもできるよ」


駅のホームでそう言ったのは、たまたま隣に立っていた見知らぬ男だった。いや、厳密には、「言ったような気がした」だけかもしれない。最近、幻聴と現実の区別が難しい。


その日は朝からスマホの通知に追われて、会議で叩かれて、ついでに昼飯もまずかった。人生って、ボタン連打で進めるゲームみたいなもので、Aボタン(我慢)とBボタン(愛想笑い)だけでここまで来たけど、そろそろ電源切ってもいい頃かな、と思っていた。


「死ぬ気になれば、ってやつ、結構な無責任発言だよね」


そう言ったのもたぶん僕自身だ。もしくは、頭の中の“もう一人の僕”。彼は冷静で皮肉屋で、たまに僕よりしっかりしている。


「だってさ、死ぬ気って、もう“できる”とか“できない”とか超えてるんだよ。『できなくてもいいから、もう降りる』ってことじゃん?」


電車が来た。僕は一歩、前に出ようとして、ポケットに入れていた飴玉が転がり落ちた。ああ、これ、たぶん半年くらい前に買ったやつだ。


しゃがんで拾った瞬間、視界の端で誰かが立ち止まったのが見えた。黒いスーツの男だった。あの「死ぬ気になれば」男かもしれないし、ただのサラリーマンかもしれない。だけど彼は僕に言った。


「俺、三回飛ぼうとして、三回とも風に押し戻されたんだよ。最悪だよな」


「風、ですか?」


「うん。たぶん神様とかじゃなくて、ただの気まぐれな空気の流れ。でもさ、それがなきゃ、今ここで君と会ってないんだ」


そう言って、彼はポケットからもう一つの飴を取り出して、僕にくれた。


あれから三週間経った。僕はまだここにいる。相変わらずAボタンを連打してるけど、ときどき、ポケットに飴を入れるようになった。

誰かがつまずいたとき、しゃがんで拾う理由になるから。


そしてもし、またあのホームで「死ぬ気になれば」って誰かが言ったら、今度はこう返そうと思ってる。


「死ぬ気になっても、飴くらいは舐めとけよ。案外、生きる口実になるかもしれないから」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る