十二 ひとは癒え、蝶は散る
中宮と話してからは二週間の時が経っていた。
(ちかづかなければ、ただ
今更見惚れるような蝶ではないが、この地で咲く華たちにとってはそうでもないだろう――殺めるのを躊躇うほどに。
一つ結びに小袖姿という、貴族の
「薬です」
一語で
「薬はどこにあるの? その
「そうです。この筺の中にあります。患部に貼ってください。こまめに貼り替え、患部を濯うことをお忘れなきよう、お願いします」
川上の更衣が、半ば強引に木筺を奪う。中には、湿り気のある薄い布が入っていた。譬えるなら、絹糸を解いて紡ぎ直したものだろうか。もう一つ、透明な液体の入った薬瓶がある。
「意味が解らないから説明してほしいわ。まず、この布と薬瓶はどういうもので、どのように使うの? 適量も解らないわ」
「その布は
一連の出来事で、紗布が不足するのは眼にみえている。蓉子も、
川上の更衣は未だに腑に落ちないのか、貌が崩れない。
「薬水は何でできているの? 地中を這う蛇や、……
「大丈夫ですよ。
蛇が薬にならないというわけではないが、
(そもそも蛇酒は滋養強壮に使う)
若年の天子から御声がかかるとはおもえない。蛇を丸一匹捕まえて醸造する意味はなかった。
川上の更衣は十薬の《どく》という
泡が
患部の赤みが引いていた。
「……まさか……こんなことが……」
しかし、
まるで感情の込もらぬ声で、失礼ながら、と尋ぬ。
「
「片付けるですって?」
御簾の間からの翳が視界に映った。翡翠の双翼が舞う。
悲鳴が上がるのは解っていたが、
房室で悲鳴が何重奏となり響く。
「ち……蝶を、潰……」
「……生命拾いしましたね。でも、しばらくはこの房室を離れてください。私が床を拭きます」
振り向いた蓉子は、決して笑ったわけではなかった。それなのに
「この蝶が、貴女の《毒》ですよ」
麗女の妖術に魅せられた川上の更衣は、女房を引き連れ隣の房室に移った。
落ちた
そして、残っていた
一羽の蝶が、
「番だったのか」
先刻、
この蝶は、舞い戻る場処を失った。
花にとっては、己の花蜜を吸う蝶の一羽に過ぎない。
だが逆は違うのだ。この蝶にとっての花は一輪しかない。譬え己が毒を身に宿す者だろうと──……。
(
片翅の純愛、そして殉愛。そして叶わぬ恋。
蝶にとって花はなんなのか。愛を抱く番なのだろうか。そんなのは、人間が噂した
蝶の想いも、花の想いも、ひとの心は露知らず。
徐々に蝶の双つの翅が鈍くなり、仕舞いには風が吹いた。
雪か、花葩か──それを想わせる果敢ない
蝶が、散った。
花というには果敢なすぎる散り際だ。
(これが後を追うということ)
散った花を追いかけ、蝶が散る。
散り際と云えば美麗しい。死に際と云えば穢らわしい。
蝶が死ぬとは、これほどまでに哀しく果敢ないものなのだろうか。愛する妻や夫を喪った片割れは、同じ想いを抱くのだろうか。
そう云えば、と蓉子は想い出す。
(妣は死んだ。蝶と共に散ったんだ)
あの晩も、蝶が散った。否、蝶と散った。
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