十  毒鬼姫と新米侍女

(やっぱりだ)


 採取したどの血液からも、翡翠薄羽ヒスイウスバ鱗粉りんぷんが検出された。

 おもえば、彼女たちの房室へやには、風信子ヒヤシンス香雪蘭コウセツランが生けてあった。どちらも春咲はるざきで、かおりが強い花である。


 翡翠薄羽は春の蝶だ。そして、馨りの強い花を好む。

 蝶自体に触れたかは確かめようがないが、いずれにせよ、翡翠薄羽の鱗粉に触れたがゆえに、痒みに襲われたのはうまでもない。


 典籍をおもいかべ、翡翠薄羽の絵図がえがかれたページひらく。

 痒みを引き起こす原因は比須多三尓ヒスタミンだ。むしの毒が混入し、それにあらがうために分泌される。比須多三尓ヒスタミンが分泌されると、刺されたところは赤く腫れる。鱗粉に反応しているのだ。


 となれば、必要なのは塗り薬だ。

 須天呂伊止ステロイド含有ふくむ塗り薬は、痒み止めになる。十薬ドクダミヨモギ問荊スギナふるくから、蟲刺されの痒みに効く薬として親しまれてきた。


「姫様〜……平手打ちされたところを冷やして参りました〜……」


「さね、申し訳なかったわ。早速で申し訳ないけれども、庭園から十薬ドクダミを採ってきてもらえるかしら。すぐにわかるはずだから」


わかりました! どくだみですね!」


 花の王*牡丹宰相*芍薬をもが羨むような笑貌えがおで、さねは景気良く駆けだして行った。

 彼女の脊中せなかをみおくり、胸のうちでぼそりと呟く。


(やけに舌足らずだったわね。海岸うみぞいにも生えているとおもったのだけれども。変な毒草を摘んで気触かぶれないと良いけれど、どうかしらね)


 うれいは、しばうつつとなる。



    ◇



「さね。十薬ドクダミは、黄緑色の花を咲かせる薬草なの。これはウルシ


「ひえええ……すみません」


 案の定、さねは十薬ドクダミではなく、ウルシを摘んできた。

 挙げ句の果て、肌膚はだ気触かぶれてしまい、悲鳴を上げながら、蓉子ようしのもとへ戻ってきた。


「まあいいわ。十薬ドクダミおぼえる良い機会になるはず」


「は、はい! 憶えます……」


 蓉子ようしとしてはただ憶えてくれれば歓喜うれしいというおもいのみで云ったつもりが、さねは肩を震動ふるわせながら、まなじりなみだたたえていた。

 蓉子ようしは眼を伏せ、庭園に降り立つ。


 淡い花が散る。


翡翠薄羽ヒスイウスバがまさかあんなに恐怖こわ蝶々チョウチョウだとはりませんでした……」


伽羅きゃらの舞姫と称せらるる美麗うるわしき胡蝶こちょう、翡翠薄羽に触るべからず──蠱惑説話抄こわくせつわじょうという典籍に書いてあるの。私の房室へやにあるから、読むといいわ」


 庭園の門扉もんぴのちかくには、白葩はくはの如き花が集っていた。


 空は薄曇うすぐもが折り重なり、表情がよどんでいた。草生えぬ地に斑点がかんだとおもえば、桶を通り越し井戸をかえしたような驟雨しゅううが降り出す。


「姫様、すぐに大傘を持ってきます!」


「いえ、大傘では駄目だわ。菅笠すげがさを持ってきて」


市女笠いちめがさなんて持っていても仕方ないもの。雨を凌ぐためには菅笠だわ……というか、この驟雨でも悲鳴を上げないのは、流石は淡野国あわののくにの生まれね)


 さねに渡された菅笠をあたまに被り屈んで、花を摘んだ。

 四枚の白色と、中央の細長い黄緑色がめだつ花、十薬ドクダミである。


「わあ、綺麗な白い花!」


「花は白くないわ。花葩はなびらにみえるのはほうという、芽やつぼみを護る葉なのよ。ほんとうの花は中央にある、黄緑色のこれ。こまやかな花々が集っているの」


 集合花ともぶ。蒲公英ホコウエイ日輪草ヒマワリキクもそのうちのひとつである。十薬ドクダミ白葩はくはのようにみえるものは苞、すなわち葉で、花は穂のようにつらなった中央の細長い黄緑色のものである。


 手に持っていたかたみではすこしも足りず、脊負籠せおいかごを取り出して続々と入れていった。


「姫様……寒い……」


「後で生薑茶ショウガチャを淹れるから中に入りなさい、感冒かぜになるわ。やすむのも侍女じじょの仕事よ」


 早春の驟雨しゅううは冷たい。

 さねは何度も深くこうべを垂れて、駆け足でやしきの中へ戻っていった。


 門扉の周囲の雑草が晴れるほどの十薬ドクダミを摘み、冷雨に打たれるはなれに戻る。


 蓉子の中では薬草採りは、戦支度でしかない。

 この薬たちを如何いかにしてき《薬》となすか、彼女の中ではそれがかなめであり戦である。薬を《毒》にしたときに、医という存在ではなくなるという覚悟で。


 しかし蓉子は参っていた。


(薬が出来るには時間がかかると告げるか、どうしようか。最低でも一週間、漬け込まねばならないのに)


 中宮の御辭おことばと云えば、誰も表立って反しないだろうか? 高貴たる彼女をそんなことに使っていいのだろうか? いくらいちど、生命いのちたすけたという縁があれど、それだけでこんなことをしていい理由になるのだろうか?


 ヨモギ問荊スギナをも採らずかんがえていると、はなれの戸が開いた。なにやら封筒らしき細長い紙を持った夜霧よぎりが、中に入ってくる。


「姫様、御手紙です。皇后陛下からです」


「中宮様が……」


 封筒の中に入っていたのは、流れるような美麗うるわしい字の手紙だった。真名*漢字仮名*かな文字が使われているあたり、決して贋物がんぶつということはないと蓉子ようしは思った。



 ハスの君へ


 早く、きみに救けさせし際のことは、あらぬけしきをとりてけりとぞ悔いたる。謝らせまほしき。生命の恩人にたいしたりとはもえぬ、なめし極まりなき行ひなりきとぞおもふ。きみがあらずは、わたしうれいありしまま気の病をこじらせたりもこそ。げにかたじけなし。かくて、御免ごめんたまへ。

 後宮に《毒鬼どくき》が蔓延まんえんすればいふはなしは侍女より聞ききよ。きみのことなれば、さだめて治すべがる。なれば、妾にうることならばすべてやらせなむ。薬の智慧ちえはあらねば、調薬は難きやもしれねど……。

 良き返辞へんじまちこそあれ。


 ――以前の恩をけ《毒鬼》を治すことに力を貸したい、ということだった。

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