七  止血

「父上」


 衝立ついたて几帳きちょうをくぐった先で、萩子しゅうしは絶えず血をいていた。

 赤い液体で充たされた桶がいくつもある。致死量に及ぶほどだ。恐らくは血と胆汁が混ざり合っているのだろう。


(なるほど。なら、あとで柯柯阿カカオを取りに行こう)


蓉子ようし。そのふくろは、いったい」


散薬こなぐすりです。夜更けから調つくっておりました。蔬菜そさい海藻かいそうの搾り汁に菜種油を加えたものを、粉末にしたものです。風味がそこわれているため、こちらの橙実ダイジ甘露水かんろすいと併せてんでください」


 侍女じじょが嚢の中にさじを入れ、甘露水へと落として。すぐに萩子しゅうしの口にいれる。液体であったがゆえに、舌を動かさなくても、すぐにみこめた。


(これが薬膳だったなら、粥の米ひと粒も嚙めなくて絶望してたはずだ)


 萩子しゅうしの口から血が滴る。白い小夜衣さよごろもの袖とえりが、赤黒い血で染まっていた。

 侍女が眼をみはる。いったい、なにがあったのか。


「……落ち着いている……?」


 妹姫様、と萩子しゅうしの侍女から呼ばれる。

 歓喜に胸をおどらせているのが、はくのある表情からもわかった。その様子さまを、蓉子ようしはやはり木偶でくの坊の如くみつめていた。


サクラ呪詛のろいが、薬で解けた……妹姫様は、呪詛のろいをも鎮められるのですね」


呪詛のろいなんて端からありません)


 むしろ呪詛のろい咒術まじないについては、いちおう正式な陰陽師おんみょうじである雅明まさあきの方がつまびらかにっているはずだ。

 そして、呪詛のろいとは口でたやすくかたるものではない。

 怨嗟とは、つよい。


「症状がおさまるまでは、わたしが毎日薬を調つくります。おさまってからは、薬膳で様子見をしてください。その薬膳は、わたしが作りますので」


「妹姫様……」


 花を愛でるが如くうっとりと眼を細める侍女とは全く違い、蓉子ようしの表情からは魂魄たましいけていく。


(この間まで、容姿すがたをみるだけで悲鳴をあげたり、逃げたりしていたのに。全く、恩とあだをいともかんたんに掌返しするんだから)


 どうせ、すずしいかお鈴蘭スズランを食しているのをみれば、また「妖姫あやかし!!」と云いながら逃げていくはずだ。今までそうだったから。

 れど、毒を滋養となす姫なんて、主君の異母妹いもうとであっても不気味にきまっている。仕方ないところはあるはずだ。


(そういえば、まだ鈴蘭スズランを摘んでいなかったな。あ、夾竹桃キョウチクトウの葉も採ってなかった)


 夾竹桃キョウチクトウの葉を、しおと煎じて乾かしたときの味をおもい返す。ほどよい鹽味えんみと苦味が、舌を刺激する──。


(お米とあわせると、ほんとうに美味しい)


 水海月ミズクラゲ醬油しょうゆ漬けも、白米とは相性が良い。けれども、もっと強い毒を持つ海月クラゲも──と、蓉子は垂れそうなよだれ咽喉のどにひっこめる。


 侍女に一揖いちゆうして、蓉子ようしはその場をあとにした。



    ◇



「して、病因はなんだったのか」


 父親が蓉子ようしに尋ねた。

 一瞬だけ木偶でくの坊のようになってから、蓉子ようし歎息たんそくする。


「職務を抛棄ほうきしないでくださいませ」


「なんだと」


「それをしらべて論叢ろんそうを書くのが、禁毒寮きんどくりょうの仕事ではないのですか」


 かえせなくなった父親は「……それで、病因は」と、無理やり話題を変換させる。みぐるしい。うら夜霧よぎりが吹きだしたのもうなずける。


「そうですね、春霞一重はるがすみひとえです。父上がえられたのだから、っていますでしょう、毒があると」


「ああ、もちろんだ」


(識らなかったら馘首クビでしょう)


 よく大きいツラ禁毒卿きんどくきょう名告なのれる。

 全く、この調子でくには大丈夫だろうか。


「姉上の血液を採取して観察したところ、春霞一重はるがすみひとえの花粉がみつかりました。受粉後のですね。おおかた、よるの闇のせいで判別がつかず、かおに花をちかづけて花粉を吸ってしまったのでしょう」


 久末利尓クマリンは肝障害を引き起こす毒だ。

 即効性の毒が肝臓から血を大量にだし、遅効性の毒が止血を遅らせた。これなら、辻褄つじつまがあう。


 春霞一重はるがすみひとえは自家受粉の花で、花粉を周圍しゅういに撒き散らさない。ゆえに、よほど花をかおにちかづけない限り、毒に触れることはない。

 花を、貌にちかづけない限り。


ひつじさるの方角には、染井吉野ソメイヨシノ春霞一重はるがすみひとええられていますが、判ずるのはかたい。そちらのサクラには触れぬよう、皆に云うが吉でしょうね」


「そうか、ならばすぐにでも云おう」


 感謝する、と云いながら横を過ぎる父親をみて、蓉子ようしは胸のうちで云ってやる。


(それを全てげるのが仕事のはずなのに。全く、落魄らくはくした権力だけ誇って、これだから《毒鬼どくき》のおわらないのね)


 神世より在り、現世でもなお全てはえない。

 ついこの間まで、いや今なお、神の呪詛のろいや天変地異などとさわがれる奇病だ。根本は、広くれ渡っている病と変わらないのにもかかわらず。


(未だに《毒鬼どくき》を、鬼神おにがみの類いだと信仰しんじて疑わない官吏かんりが大勢いる。病を治すのに必要なのは、正しい薬と強い免疫だけなのに)


 不治の病は、ある。

 けれども、無理──ことわりなき病はない。治らぬ病は、その理がわかっていないだけだ。突き詰め、全貌が明白あきらかになれば、その病は治せるようになる。

 医は、それをいちばん解っていなければならない。


(薬と祈祷いのり。どちらが生命いのちを救えるか)


 祈祷りが救わないわけではない。

 むしろ、薬では救いきれない《心》や《感情》は、祈祷りが救ってくれるとおもう。祈祷師きとうし陰陽師おんみょうじは、光でもかげでも、心を救い続けるに違いない。


 けれども、じぶんには、心を救えるようなこころよさや雅量がない。

 きっと、血のつながっている家族も、じぶんの笑貌えがおなんかみたこともないはずだ。じぶんも、笑貌の作り方は解らない。


 だから、薬を調つくり続けるのだ。


わたしは、心の理を識らない)


 どうやったら、心は安楽と感じるのか。どんなことばをかければ、ひとの心を縛る緊張の糸は、解けるのか。

 そんなこと、蓉子ようしには解らない。けれども。


(毒と薬の理を、識っている)


 識らないことを案ずるより、識っていることを活かす方が良い。

 生命いのちを救うため、じぶんができることをする。


わたしがしたいのは、そういうことだ)

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