22.レクリエーション

―湊―

一ヶ月は、長い様であっという間だった。

体育館の壇上に上がると、教育実習初日の挨拶を思い出す。

体操着に着替えて集まった全校生徒を見渡す。今ではすっかり顔見知りになった子ども達と目が合うと、意識しなくても自然と笑顔になれた。

「えー、皆さん。短い間でしたが、ありがとうございました。皆さんの前に初めて立って挨拶した日が、まだ昨日の事のように感じています。楽しい事もあったし、大変だった事も色々ありましたが……」

うさぎー、と誰かが声を上げる。事情を知っている子ども達が何人か笑った。

苦笑する。

「そうそう、うさぎが逃げちゃったりとか」

『―ほら』

『あんた、仮にも先生ならちゃんと見てろよ―』

「川に、流されそうになった事もあったし……」

『―この、馬鹿っ……』

『何でハンカチ一枚の為に、こんな危ない事してんだよ!―』

「バスケの練習は、本当に、すごく頑張って……」

『―大丈夫だって。いっぱい練習しただろ』

『明日はとにかく、楽しんできなよ―』

「……っ」

―だめだ。

泣かないで、笑顔のまま終わりたかったのに。

何を思い出しても、何を話そうとしても。

この島に来てからの、全ての思い出の中に千晃がいる―。

「……湊せんせえー、がんばって」

「泣いちゃだめー」

「あ……はは、ごめん。泣いてないよ」

ほんの少しだけ目尻に滲んだ涙を拭い、精一杯の笑顔を浮かべた。

「今日は皆んなで楽しんで、最高の思い出を作って帰りたいと思います。じゃあ、そろそろ始めましょうか!」


レクリエーションが始まった。

初めて練習に混ざって戸惑った日の事を思うと、随分動ける様になったと自分でも思う。

体育の授業以外で触れた事のなかったバスケットボールが、今はすっかり手に馴染んでいた。不意に飛んでくるパスにも反応できるし、たまに失敗するけど、シュートだって打てる。

―楽しい。

最初は子ども達について行くのも精一杯だったのに、今は心からバスケが楽しいと思える。

汗をかきながら走って、声を掛け合って。誰かがシュートを決めたら、皆んなで喜んで。

ここに千晃もいたら、もっと楽しかったのに―。

「湊せんせー!」

俺を呼ぶ声と共に、勢いよく飛んできたボールを捕まえる。

「打ってー!」

「よーしっ」

―真っ直ぐゴールを見て。力任せに投げない。膝を使って、体全体で伸びる事を意識する―。

放ったボールが、綺麗な放物線を描いてゴールネットを潜り抜けた。

「先生、ナイスシュート!」

「やったー!」

笑顔がこぼれる。駆け寄ってきた子ども達とハイタッチを交わしながら、無意識に、千晃の姿を探してしまった。

スコアボードの前で見ていた手嶋先生と目が合い、ナイス、とグッドサインを送られた。


***

「お疲れ様でした、天城先生」

「ありがとうございました」

生徒達が下校した後、職員室で手嶋先生から小さな花束を受け取った。

「今日まで本当に、お世話になりました」

「いえいえ。レクリエーション、楽しめたみたいで良かった。最初はあんなに下手だったのに」

「あはは……クラブの顧問をやらせて頂いたお陰です。たくさん練習出来たし」

「すっかり馴染んだのに残念だね。そうそう、千晃ともあんなに仲良くしてくれて、ありがとうね」

「え、……と」

不意に飛び出してきた名前に、心が揺れる。

「……この間、響也さんにも同じ事言われました。本当に……この島の人たち皆んな、千晃の事、好きなんだなって、思っ……」

喉が詰まる。

ずっと我慢していた涙が、一粒、また一粒と目尻からこぼれ落ちていく。

「……っ、ごめんなさい、なんか、俺……っ」

嗚咽する俺の背中を、手嶋先生はそっとさすってくれた。

「せっかく仲良くなれたのに寂しいよね」

そういえば、と手嶋先生は思い出したように言った。

「レクリエーションの様子、千晃が見に来てたよ」

「えっ?」

「入っておいでって手招きしたんだけどね。天城先生の事、ずっと見てたよ。……嬉しそうに」

―嬉しそうに。

そんな千晃の表情が上手く想像できなくて、来ていたなら声を掛けてくれれば良かったのにと、悲しくなった。

「東京に帰っても、すぐに夏休みでしょ?良かったらまた遊びにおいでね」

「ありがとうございます……」

「ああ、でも」

手嶋先生は、何か思いついた様子で含み笑いした。

「天城先生が来なくても、千晃が会いに行くのかな?」

「え?そんな事……」

「だって、ほら」

言いかけた手嶋先生が、はっとなる。

「もしかして、短冊見てない?」

「短冊?」

「そっか、気づいてなかったんだ。見ておいでよ」

手嶋先生は笑って、さっき施錠したばかりの体育館の鍵を貸してくれた。


片付けも済み、人の気配がすっかり消えた体育館へ足を踏み入れる。

壇上を見ると、千晃と二人で設置した笹飾りが、隅でひっそりと揺れていた。

全校生徒の人数分ある短冊の中でも、俺が吊るした真っ赤な短冊は一番に目を引く。

千晃も書いて吊るしたらしいけど、一体どこに飾ったんだろうか。そもそも、何色の紙に書いたかも知らない。

いくつか短冊をめくって見ていくと、水色の短冊に俺の名前を見つけて手が止まった。

『湊が先生になれますように』

右下がりで、癖の強い字だった。

名前は書いていなかったけれど、だからこそ、学年とクラスまできちんと書かれている他の短冊とは違う事に気づく。

―千晃だ。

短い一文を何度も見返し、笑みがこぼれる。

自分の願い事を書けば良かったのに。何で俺の事書いてるの。

……嬉しい。

また目頭が熱くなってきて、急いで短冊から手を離した。涙が落ちたら、字が滲んでしまう。

ふと見ると、ちょうど同じくらいの高さに自分が書いた短冊があった。

『また千晃に会えますように。天城湊』

ひょっとしてこれ、見られたかな。

そう思いながら、何気なく手に取った。

「……?」

インクが、裏側から滲んでいる。

何だろうと思って裏返したら、右下がりの癖の強い文字が、目に飛び込んできた。


『おれも会いたいよ。ちあき』

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