第141話 罰のない罪



「周防さん。土倉組の女たちは、どうなったのでしょうか」


 事務所で向かい合って、敷島さんがマナミさんに尋ねた。

 マナミさんは冷たい目をして答える。

 今までの温かい瞳とは、まるで別物の目だった。


「県警に逮捕され……いや、この際もう良いでしょう。――『処理』されました」


 たった一言を、マナミさんは告げた。

 敷島さんがその言葉と視線に、息を呑む。

 隣のマドカさんも同様だった。


「それは……裏社会の人間だから、ですか?」


「ある意味では、そうです。彼女らが『秘密』を知れば、調べて利用して、金銭に換えようと試みるでしょう。だから、先手を打って口封じをしました」


 余計な慈悲は一切持たない。

 マナミさんは、言外にそう言っていた。


「では、私も処罰されるべきでしょうか」


 敷島さんはそう言った。

 敷島さんも元は、裏社会の人間だ。

 それは懺悔のような質問だった。


 マナミさんは目を伏せ、静かに答えた。


「その質問は、私は返答すべき立場にありません。過去を悔いて償うなら勝手になさってください。……私はただ、公安の人間として案件の障害を取り除いただけです」


 そこに私情はない。

 善悪ではない、とマナミさんは言った。

 公務上の必要に過ぎなかったケースだからだ。


 マナミさんが、静かに尋ねる。


「孫の話を聞いて、過去を清算したくなりましたか」


「そうかもしれませんね。私も、過去には手を汚した身です」


 敷島さんは殊勝だった。

 弁解もせず、淡々と事実だけを話している。


 ぼくもほのかさんもマドカさんも、口を挟むことはできなかった。


「私は警察の人間ですが、牧師ではない。私に許しを請うことは無意味です。もしあなたが悔いていることがあるのなら……それは、抱え続けるべきだ。償えないならば、抱え続けるしかないでしょう」


「そうですな。罰のない罪というのも、なかなかに重い」


 マナミさんは残酷な言葉を継げる。


「あなたの手が罪に汚れているというのなら、あなたはその手で自分の孫を抱かねばならない。あなたが自分の孫を抱く手は、あなたの手でしかないのです。償いを探すなら、ご自分で探せば良いでしょう。責める者は今や、もはや誰もいないのだから」


 罰のない罪。

 償いようのない手。

 責める者のいない過去の罪を背負い、未来の孫をその手に抱かねばならない。


 そのこと自体が、敷島さんに与えられる罰で、責め苦なのだろう。

 どの手で、無垢な自分の孫を抱けるのか、という。


「……それでも、俺はオフクロに自分の孫を抱いてもらいたいと思うよ」


 マドカさんが、そう言った。

 敷島さんとマナミさんが、マドカさんを振り向く。


「オフクロの昔してたことは褒められたもんじゃねぇかもしれねぇが……少なくとも、俺がしてもらったことは、誰にも恥じるもんじゃねぇことばかりだ」


 裏社会。反社組織。任侠。

 何と言おうと、まっとうな社会的立場とは言いがたい。


 それでも、マドカさんは敷島さんのことを自分の『母』だと言った。

 何と言おうと、敷島さんはマドカさんの『親』の役目を果たしていたんだろう。


「足を洗って、社会の、人様の役に立つことをして。まっとうに生きて。他に何をすれば良い? ――なぁ、姐御。オフクロは、これ以上何をすれば、自分を責めずに済む?」


 マドカさんは、泣いていた。

 その涙を前にしても、マナミさんは揺るがなかった。


「……敷島さんが、ご自分で決めることだ」


「そうですな。過去は変わらない。……これからもまっとうに生きていくことでしか、私は自分の孫を抱けないだろう。そう在るために、二度と人の道を踏み外さないよう、私は抱え続けなければならないんだよ。罰のない罪とは、そういうものだ」


 誰にも責められない。

 誰にも謝れない。

 誰にも許されない。


 許されることのないまま、敷島さんは生きていくんだろう。

 誰かに裁かれることの方が、救いがあったかも知れない。

 それが、社会に裁かれなかった『罪』の行く末なんだろう、と思う。


 抱えた『罪』は、『自分はそういう人間なのだ』という心の烙印だ。

 誰にも消すことはできない。


 ぼくもまた、そうだ。

 大切な人を守るためなら、『魔法』という暴力を使う。躊躇なく。


 法に裁かれず、自分が抱え続けていかなければならないことだ。

 後悔を覚悟して飲み込む敷島さんの姿に、自分の姿が重なって見えた気がした。


「それでも、私は、私を助けてくれた人を許すわ」


 ふと、ほのかさんがそんなことを言った。

 ぼくが隣のほのかさんを見上げると、その手がくしゃりと、ぼくの頭を撫でた。


「世の誰が責めても、自分を助けてくれた人を責めることはしないわよ。それが、助けられた人間の道理だからね」


 そしてほのかさんは、ぼくに笑いかけた。

 まるでぼくの心の中を、見透かすかのように。


「私とマドカを、助けてくれてありがとう、ユズヤくん」


 ぼくは、何も言い返すことができずにほのかさんの顔を見る。


 その後に続いたのは、マドカさんだった。


「そうだよ。オフクロもユズヤも、俺を助けてくれたんだ。責められるんなら、俺だって一緒だろう」


「それは違うよ。マドカくん」


 マナミさんがたしなめる。

 自分を追い詰めるマドカさんに、マナミさんは冷静な口調で言った。


「責める者はもういない。……なら、助けられた者が口にする言葉は、謝罪ではなくお礼だ。済まない、と言う言葉よりも、もっと適切な言葉があるだろう?」


「そっか……そうだな。――ユズヤ、オフクロ。『ありがとう』。今まで、本当に」


 マドカさんの素直な言葉に、敷島さんの表情がほころぶ。

 ありがとうよ、と敷島さんも礼を返した。


「……ぼくはこれから、責められずにいると思いますか?」


「わからん。だが、たとえそうだとしても、私は立ち止まる気はないよ。――後のことは、後の世の人間が決めることだ。少なくとも、後世を作るために私たちはそうしている」


 マナミさんの言葉に、マドカさんと敷島さんは眉根を寄せた。

 意味がわからなかったんだろう。

 それはそうだ。二人には話していないことだから。


 ぼくが『魔法』を使うこと。それ自体は、まだ軽い出来事だ。

 それよりもっと重いことは。


 ぼくが、この世に『魔法』を持ち込んだこと。


 これからのこの世界の未来が、明るいものになるかどうかはわからない。

 ただ、良いことが起ころうと悪いことが起ころうと。



 ぼくを責める人はいないんだろうな、と思うと。

 ぼくは重たい息を一つ吐いて、これからのことを覚悟した。


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