第25話 崩壊
施設最深部。
どこかで火花がはじけ、血と薬品が混じった異臭が立ち込める。
供血陣により真っ黒く染まった繭から剥がれ落ち、血と泥のような粘液をまとった“1”が、地を這いながら姿を現した。
異形――。
それはバンパイヤの成れの果て。肉はただの塊へと変貌し、腕も足も融合し、無数の触手が体中から伸びていた。
『アアアアアアアアアア……』
喉の奥から、
空気を振るわせるような呻き声。
真生たちは、思わず一歩、後ずさった。
「これが……“1”……本体……!」
瑠宇が顔をしかめ、拳を握る。
真咲は奏太を抱えたまま、震える唇を噛みしめた。
「来るぞ!」
達臣が叫ぶと同時に、
1が、触手の奔流を叩きつけてきた。
バシュッ!! ドゴォォォッ!!!
分厚いコンクリートが容易く破壊され、
空間が血しぶきのような埃で満たされる。
「ッ!」
真生が咄嗟にアイを庇い、砕けた破片を肩に受けながらも、後ろへ押しやった。
「真生!」
「大丈夫だ、行けッ!」
アイを前へ送り出す。
彼女だけが、この怪物を止められる。
達臣は瓦礫の鉄片を拾い、盾のように構える。
むき出しのパイプを握りしめた瑠宇も、必死に攻撃を防ぎながら、道を作る。
その一瞬一瞬が、命を削る戦いだった。
1の触手は速い。
一本一歩が、まるで鋼鉄の鞭のように襲いかかり、少しでも気を抜けば、肉体ごと吹き飛ばされる。
『アアアア……!!!』
1は、焦っていた。
繭の崩壊と同時に、供血陣から送り込まれる“毒”――
奏太の血液に蝕まれ、内部から確実に崩壊を始めていた。
それでも、必死に生きようと、目の前の人間たちを貪ろうと、暴れていた。
「行け、アイ!!」
達臣の怒声。
「頼む、終わらせてくれ!!」
真生は、血まみれになりながら立ちはだかる。
瑠宇と真咲も倒れかけた体を引きずり、鉄パイプを握り締める。
その全ての思いを受けて――アイが、踏み出した。
静かに、確かに。
「あなたは……。」
アイが低く呟く。
「もう、終わりよ。」
瞬間、アイの両目が、赤く光った。
空気が震え、術式の紋様が淡い銀に染まっていく。
アイの右手から、雷撃の光が生まれる。それはもはや、ただの超能力ではない。
怒りと、悲しみと、希望を纏った――意志そのものだった。
「ッ……ああああああああああ!!!!!」
1の触手が、最後の悪あがきのようにアイへと襲い掛かる。
ズシャアアアアアアア――!!
だが、誰よりも早く。
真生が身体を投げ出した。
達臣が鉄片を叩き落とし、瑠宇が傷だらけの体で壁を蹴り飛ばし、真咲が端末を叩いて、供血陣の出力を最大解放させる。
「今だ、アイ!!」
総員、命を賭して、道を開く。
アイは、その中心で、ためらわずに雷撃を放った。
――放出。
バリバリバリバリバリバリバリィィィィッッ!!!
銀の閃光が、触手を貫き、肉塊を焼き、“1”の本体を粉砕していく。
『アアアアアアアアア――――!!!!!』
断末魔の悲鳴が、空間そのものを震わせた。
黒い肉体は内部から崩れ、崩壊し、
完全に塵となって消えた。
ドォォォォォォォォォン――――ッ!!!
地響きのような爆発音を最後に、“1”という存在は、この世界から消え失せた。
静寂。
誰も、動けなかった。
呼吸も、心臓の鼓動も、まるで止まったかのように。
アイだけが手を下ろし、小さく目を閉じた。
「……終わった。」
その声は、震えていた。
だが、確かに勝った。
人間たちが力を合わせ、本物の“怪物“を討ち果たしたのだ。
そして――
「っ、みんな!! 奏太!!」
真生が、倒れ込むように奏太の元へ走った。
奏太はまだ意識を取り戻していない。だが、確かに生きている。
供血陣の影響で衰弱しているものの、命の炎は消えていなかった。
「大丈夫、大丈夫だ……!」
真生が強く抱きしめる。
その時、再び施設全体が、異様な音を立てて震えた。
警報音。
警告ランプ。
天井のヒビ。
「――っ! まずい!!」
達臣が、真っ青な顔で叫んだ。
「自壊システム起動してる!! 急げ!!」
真咲も顔色を変えた。
アイ、真生、達臣、瑠宇、真咲、そして奏太――
誰一人、もうここに取り残されるわけにはいかない。
5人と1人、全員で――命がけの脱出戦が始まった。
⸻
耳を劈く警報音が、脳を叩き割るように響き続ける。
床が――割れる。
天井が――落ちる。
真生は、血の滲む腕で、奏太を背負った。
「っ、みんな走れ!! 今すぐここから離れるんだ!!」
達臣は、必死に壊れかけた通路を確認しながら叫ぶ。
「北通路だ! 今ならまだ通れる!! 急げッ!」
「了解ッ!」
真咲が駆け出し、続いて瑠宇も割れた瓦礫を飛び越えながら走る。
真生はアイの手を掴み、振り返らずに走った。
「離れるな、絶対に!!」
『――警告。自己崩壊プロトコル、フェーズ2へ移行――』
天井が、バキバキと音を立てて崩れ始める。
落ちてくる鉄骨をギリギリで飛び越え、倒れかけた支柱の間をすり抜ける。
呼吸が、苦しい。
喉が焼ける。
それでも、止まれない。
後ろでは、床ごと飲み込むように崩壊が迫ってくる。
「クソッ、速すぎる!!」
達臣が叫んだ。
「止まらないで! こっちまで来きて!!」
真咲が、開きかけた非常口を叩きながら叫んでいる。
その扉の先が――出口だ。
だが、そこへ――
ドォォォン!!!
瓦礫の山が、非常口前に崩れ落ちた。
重たい鉄骨が、道を塞ぐ。
「っ、通れない!!」
「時間がない!! ほかの道探すしか――」
真生たちの絶望に、アイが一歩、前へ出た。
「……どいて。」
静かに呟き、両手を前にかざす。
次の瞬間、空気が震えた。
ドォォォォォォンッ!!!
雷撃――。
アイの力が、鉄骨の山を吹き飛ばす!!
粉塵が舞い上がる中、非常口が再び辛うじて顔を出した。
「今だ!! 走れ!!!」
真咲の怒声。
真生はアイを先に押しやり、奏太を背負ったまま、走った。
達臣と瑠宇も、それに続く。
バキッ、ゴゴゴゴゴ――ッ!!!
後ろから迫る瓦礫の波。
息が、続かない。
足が、もつれそうになる。
それでも、必死に必死に出口を目指す。
「うおおおおおおッ!!!」
最後の一歩を踏み出して、真生たちは崩壊する施設から脱出した。
直後、
ドォォォォォォォォォォン――――ッ!!!
背後で、Re:Routeの本部施設が轟音と共に完全に崩れ落ちた。
熱風と衝撃波が吹き抜ける中、5人と1人は地面に転がるように倒れ込んだ。
誰もが呼吸を荒げ、汗と血にまみれ、震えていた。
だが生き延びた。
命を、奏太を、未来を、手に入れた。
「……やった。」
真生が、掠れた声で呟いた。
「助かった……。」
真咲が、放心したように空を仰いだ。
「……マジで、死ぬかと思った。」
達臣も、笑いながら涙を拭った。
瑠宇は倒れたまま、
「奏太くん、生きてるか……?」
と呟き、真生に視線を向けた。
真生はしっかりと奏太を抱きしめたまま、うなずいた。
その姿に、誰もが深く頷いた。
アイも傷だらけの体を引きずりながら、静かに微笑んだ。
彼女たちは絶望を乗り越えた。
そして、ようやく夜明けを迎えるのだった。
ぼんやりとした闇の中――
誰かが、呼んでいる気がした。
耳に届くのは、かすかな声。
懐かしくて、あたたかい響き。
――奏太。
――目を覚まして。
その声に導かれるように、重いまぶたが、ゆっくりと持ち上がった。
最初に見えたのは、滲んだ光の中、泣きそうな顔で覗き込んでいる真生だった。
「……奏太!」
真生は叫ぶようにして、奏太の名を呼んだ。
焦がれるような想いが、声ににじんでいる。
頬にはうっすらと涙の跡があった。
「良かった、ほんとに……! 目、覚めた……!」
震える手で、そっと奏太の頬に触れる。
その手は温かくて、確かな生を感じさせた。
奏太はまだ思考が追いつかないまま、かすれた声で呟いた。
「……真生……?」
その問いかけに、真生は大きくうなずいた。
「うん、俺だよ。ずっとここにいた。ずっと、お前を助けたかったんだ。」
真生の背後には、達臣、瑠宇、真咲、そしてアイが立っていた。
みんな傷だらけだった。
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