第20話 1

旧管理区画、“吸血儀式の部屋”。

冷たい汗が真咲の背中を流れる。

部屋全体が異常な緊張感に包まれていた。

瑠宇と達臣は、それぞれの位置で必死にエネルギーラインを接続している。

装置が発する低いうなり声、微弱な振動――そのすべてが次の瞬間に何かが起こることを予感させる。

達臣の手元が揺れ、画面に表示されたコードが瞬時に変化する。

その瞳には、もはや一切の迷いはなかった。全ては、この瞬間に賭けられている。

失敗すれば、すべては無駄になる。

命運がかかっていた。


「真咲、準備完了だ。これで最後だ。」


瑠宇の声が響くが、その言葉はかすかに震えている。

冷静を装う彼にも、失敗が許されないプレッシャーが圧し掛かっているのだろう。

真咲は深呼吸を一つ、そして、振り返ることなくコマンドを入力する。

術式コードが表示され、再調整されていく。その手のひらは、微かに震えていたが、それも必死に抑え込む。

今が全てだ。


「……反転開始。」


その言葉が部屋に響く。

血のように赤く光るエネルギーが、術式を囲む円形の枠を超えて流れ始め、空気が急激に重くなる。

真咲はその中で、ただひたすらにコードを反転させることに集中していた。。

だが、その瞬間――部屋の扉がギシギシと音を立て、ひときわ冷たい風が部屋を駆け抜けた。

術式コードが一つ、また一つと調整され、真咲の手は緊張で震えていた。

周囲の空気が急速に変化し、彼女の全神経が集中する。

供血陣の中央で、逆流した血液が途絶えることなく螺旋を描き、術式全体にエネルギーが流れ始めている。

しかし、それが完成に近づくにつれ、奇妙な重圧が部屋の中に広がった。


「早く……早く!」


瑠宇の声が引き締まるが、その言葉には焦りが混じっていた。

達臣が背後で警戒しながら立ち上がり、彼ら全員が息を呑む。

その瞬間、部屋の中の空気が一変した。

冷気が一気に広がり、低い振動音が耳をつんざく。

その音は、もはや人間のものではなかった。まるで、死を司る者が近づいてくるかのような、不気味な感覚。


「それは……終わりを告げる音だ。」


真咲が背筋を伸ばしたその時、暗闇の奥から、ゆっくりと、確実に、足音が響き始める。

その足音は不自然で、鋼鉄を擦る音のように冷たく、迫るたびに空間が圧縮されるような錯覚を引き起こす。

徐々にその姿が浮かび上がり、暗闇から全身を包み込む闇のような存在が姿を現した。


「――来る!」


瑠宇が低く呟いた。

”1”のコピーが姿を現す。

ひどく冷徹な目で、真咲と達臣を見つめながら、低く唸るように言葉を漏らした。


「もう、無駄なことはしない方がいい。」


その言葉が部屋全体に響き渡る。音のひとつひとつが重く、圧倒的に支配的で、恐怖を感じさせる。

”1”のコピーの瞳が冷ややかに、そして不気味に光を放っていた。

その目の奥には、何か恐ろしい意思が宿っているのが感じ取れた。

真咲は、息を呑みながら背後に振り返り、瑠宇と達臣の顔を見た。

二人もまた、鋭くその姿に警戒を強めていた。


「私が全てを支配する。」


”1”のコピーが一歩踏み出した瞬間、部屋の空気が異様に変わる。

あたかも空間が収縮し、密閉された空気に包まれるかのような感覚。

真咲の胸が締め付けられる。


「何もかもが、私の思い通りになる。」


その声は冷徹で、どこか狂気を帯びていた。それが、明確に感じ取れる瞬間。


「……どうしてそんなことをするの?」


真咲が思わず声を上げる。

だが、コピーの答えは冷笑と共に響く。


「選ばれし存在が、全てを超越する。私の中には、進化が宿っている。それを理解しない者には、何もかもが無駄なのだ。」


その言葉に、真咲の心がわずかに揺れる。

しかし、今はそれに振り回されるわけにはいかない。


「――全てを、壊す。」


”1”のコピーが不気味に呟くと同時に、彼の体から暗黒のエネルギーが爆発的に放たれ、空間全体を包み込んだ。

その力が、部屋の中を圧倒的な勢いで揺さぶり、床が亀裂を入れ、壁が震え、天井が揺れ始める。

あたりが激しく揺れ、真咲はその衝撃に押しつぶされそうになった。

だが、彼女は一歩も引かずに立ち上がり、必死に術式コードを操作し続けた。

手が震えているのを感じながらも、それを抑え込んでコードを調整し、反転エネルギーを集中させる。


「これを……完成させる!」


その瞬間、コピーが手を高く掲げる。

空間の歪みが一層強まり、まるで引き裂かれるような音が響く。

その力が、真咲のすぐ目の前に迫る――だが、瞬間、瑠宇と達臣が一斉に動き出した。

瑠宇は一瞬で真咲を庇い、その身を投げ出してコピーの攻撃を受け止める。

達臣は、無言で周囲に散らばっていた部品を手に取り、障害物として配置する。


「逃げるな!」


達臣が声を荒げると、真咲は再び動きを止めることなく、術式コードを調整し続ける

。その目には、すべてを背負い込んだ覚悟が宿っていた。


「――あと、もう少し!」


その言葉と共に、供血陣の反転エネルギーがさらに膨張を始め、圧倒的な力を生み出す。

だが、”1”のコピーはそれを阻止しようと、再度その手を振り上げ、全身から闇のエネルギーを放つ。

そのエネルギーは、明らかに真咲の術式と激しくぶつかり合い、部屋全体が弾けるように振動する。

だが、その時――


「――もう、だめだ!」


瑠宇が叫び、達臣も息を呑む。

コピーが一歩踏み込んだ瞬間、真咲の手がようやく最後の調整を終えた。


「――反転、発動!」


その瞬間、供血陣が唸りを上げ、逆流した血液が全身を駆け巡り、血脈を揺さぶる。

コピーは呻きながらも、その場に膝をつき、全身を震わせる。

その苦しみの中、最後の力でコピーは再度手を伸ばし、空間を歪めようとした。

だが、無駄だ。


「――これで、終わりよ。」


真咲のその一言が、まるで静かな宣告のように響き渡る。

心臓の鼓動が、術式のコードの動きに合わせて同期する。

全身の血液が逆流を始める瞬間、真咲はそのエネルギーの力に身を任せた。全てを反転させる――その決意が、血液に流れ込んだ。

そして、エネルギーが爆発的に発動する。

供血陣が激しく唸った。

逆流させた血液が血脈を走り、円形の術式全体が脈動する。

異様な赤黒い光が床を這い、空間全体が軋みを上げた。

“1”のコピーが、毒の侵食に喘いで膝をついている。

逃げようと、陣の外へと這い出しかけたが、すぐに呻いて崩れた。

もう、どこにも逃げ場はない。

毒は本体にまで確実に届いている。

それは、”1”の分体であるこいつにも致命的なダメージを与えていた。


「……でも、まだ完全には……!」


達臣が、タブレット端末を握りしめながら歯を食いしばった。

そんなときだった。


「伏せろ――ッ!」


鋭い声が扉のほうから飛んだ。

真生とアイが、疾風のように駆け込んできた。

真生は荒い息をつきながらも無傷。

アイも、破れた服のまま鋭い眼差しを携えていた。


「アイ!」「真生!」


達臣と瑠宇が思わず声を上げる。

だが、アイはすぐに手を振って制止した。


「動かないで。」


張り詰めた空気を震わせるその声には、確かな力が宿っていた。

アイは真っ直ぐ、供血陣の中心へと歩み出る。

すでに空間は毒に満ち、気配が異様に重たい。

けれど、彼女の周囲だけは、まるで無風地帯のように静かだった。

黒い影――1のコピーが、真生たちを睨みつける。

毒に苦しみ、力を失いながらも、それでも敵意だけは消えていない。

だが、アイは一切ひるまなかった。

吹き抜ける風の音も聞こえない、無音の空間。

だがアイを見るその眼差しに、今はかつてのような冷酷さはなかった。

代わりに、静かな――ほとんど哀しみのような色が宿っていた。


「……まさか、本当にここまで来るとはな。”I(アイ)”。」

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