第4話 阿増絶阿

     4 阿増絶阿


 常人では――阿増絶阿が何をしたのかまるで分らないだろう。

 

 いや、仮に理解した人間が居るとすれば、それは既に正気ではない。

 

 何せ彼女は拳を突き出しただけで、宇宙を五億個ほど消し飛ばして見せたのだから。


 宇宙五億個分のバックアップを受けている絶阿は、だから宇宙を五億個消せる。


 それが当然とばかりに、この女性はその凶行を成したのだ。


 ならば、蛇処エルマの体も見事に消し飛んだだろう。

 十の一グーゴルプレックス乗光年×五億以上のパワーをまともに受けたなら、もう死ぬだけだ。

 

 事実、阿増絶阿の攻撃は十分すぎる程、蛇処エルマを殺しきるだけの物だ。

 あれをまともに食らえば、蛇処エルマとて、一溜まりもない。


 今、蛇処エルマは世界ごと消滅して、死に絶えた。


 絶阿でさえそう判断して、現実世界に帰ろうとする。

 だが、彼女が踵を返そうとした時、彼女の背後から声が響く。


「――そうですね。

 確かにこれは――期待以上のパワーです」


「ほ、う?」


 故に、阿増絶阿は嬉々とするしかない。

 自分の攻撃を躱した人間など、それこそ稀有だから。


 断言するが阿増絶阿は、並みどころの存在ではない。


『異端者』と呼ばれる超能力者の中でも、希少な存在だ。

 トップクラスの存在と言える阿増絶阿の攻撃は、それこそ『異端者』さえ消し飛ばす。


 例え『異端者』が一千億人居ようと、阿増絶阿の攻撃は防げないだろう。


 それだけ大規模攻撃を放ちながら、蛇処エルマは今も生存しているのだ。

 そのからくりを、絶阿はこう読む。


「正に――超常じみた超スピード。

『異端者』の中でもそれだけの速度を誇る者は、希少だろう。

 いや。

 私の攻撃を躱せるとか、一体どういうレベルの速度さ?」


 エルマの答えは、決まっていた。


「――愛です」


「………」


「これも全ては、愛がなせる業。

 私は己を愛するが故に、そう言った奇跡さえ起こしてしまう。

 私はそんな自分が、心底愛おしい」


「……そうなんだ?」


 あるいは、それは全て事実なのかもしれない。

 確かに蛇処エルマは己を愛するが故に、自衛手段をとっている。


 自身に対する愛に溢れているからこそ、エルマは死ぬ事を受け入れないのだ。


「やはりきみは、愛に拘っている様だね。

 実に羨ましい限りだよ。

 何故って――私は実に悲観的な人間だから」


 ゆっくりと、エルマが居る方向に躰を向けながら、阿増絶阿は語る。


「常に死に怯えるが為に、死ぬ勇気はない。

 あらゆる事がどうでもいいのに、死ぬ気だけは起きる事もない。

 そのくせ戦闘技術の才能だけはあったから、私はいつの間にかこの領域にまで達した。

 けれど、高みに登れば登るほど、上には上が居る事を強く実感したんだ。

 私が今まで以上にやる気をなくしたのは、その為さ。

 この前常軌を逸した化物達に出逢ってしまってね。

 今までの自分を全否定された私は、心が空になってしまったんだよ。

 それが何を意味しているか、分かるかな? 

 いや。

 今は分からなくていい。

 今はきみがどこまで出来るか、試す為の時間だから」


 途端、阿増絶阿の蛮行が始まった。


 一撃で宇宙を五億個消し飛ばせる絶阿が、連撃を始める。

 当然の様にエルマ目掛けて放たれたその連続攻撃は、容易に彼女を葬るだろう。


 それだけの凶行が、エルマに届く。

 圧倒的な暴力が、エルマを強襲する。


 最早死ぬしかない、エルマ。

 この時、彼女は確かに微笑んだ。


「へ、え?」


 阿増絶阿の攻撃速度は、秒速一グーゴルプレックスキロに及ぶ。

 人間では、躱すのは無理だし『異端者』でも不可能だ。


「なら――きみは何者なのかな?」


 本当に、意味不明だ。

 万人が、首を傾げるに違いない。


 何故なら、蛇処エルマはまたも阿増絶阿の背後に立っていたから。

 絶阿の攻撃を全て躱したエルマは、困った様に笑った。


「そう言われても、答え様がありませんね。

 ただ聖女には、いえ――愛には不可能はないとだけ言っておきましょう」


「………」


 やはり、愛に拘る、エルマ。

 阿増絶阿は、それを滑稽だと嗤う事が出来ない。


(私と同レベルの能力者? 

 いえ、でも、彼女は只の人間にしか見えない。

『異端者』でもない彼女が、私の攻撃を躱す? 

 速度にのみ特化した、能力者? 

 速く動く事こそが、彼女の力か――?)


 先述通り、絶阿は先頃、手痛い敗北を経ている。

 圧倒的な力を誇る彼女は、だから今まで以上に慎重だった。


 このとき阿増絶阿は――初めて蛇処エルマを対等の敵だと認めたのだ。


「攻撃は、しないんだね?」


「攻撃してほしいんですか?」


 絶阿の問いに、エルマはやはり困った様に笑いながら答える。

 絶阿は、こう直感するだけだ。


(あれだけの速度で動きながら攻撃すれば、当然彼女の体にも激烈な負荷がかかる。

 木の枝が音速で発射され、目標に当たればどうなるかは一目瞭然だろう。

 つまりは、そういう事か?)


 速く動く事は出来ても、エルマの体は己の攻撃に耐えられない。

 現にエルマは、彼の兵隊達に直接攻撃は加えていない。


 そう悟った時、阿増絶阿は喜悦した。


「面白い。

 なら、先程言った意味を教えよう。

 私が絶望しているという事はどういう事か――理解させてあげる」


「―――」


 眼を開く、絶阿。


 問題は、その時、起きた。


 この時――宇宙は十億個ほど消滅したのだ。


     ◇


 この時――世界は阿増絶阿の心象風景で塗りつぶされる。


 絶望しかない彼女の心境がそのまま世界に反映され――世界を塗りつぶしたのだ。


〝絶望回帰〟と呼ばれるその業の範囲は――宇宙十億個程に及ぶ。


 今までにない、大規模攻撃。

 誰であろうと死ぬしかない、最大奥義。


「ほ、う?」


 だと言うのに、蛇処エルマは三度、阿増絶阿の背後をとっていた。


「――驚いた。

 よく躱すね。

 でも――その芸はもう見飽きている」


 絶阿が振り向くのと同時に、再び発動する〝絶望回帰〟――。


 だが、その時には既にエルマの姿は無い。

 エルマは〝絶望回帰〟の唯一の死角である、絶阿の背後をとろうとする。


 正に、圧倒的とも言える速度。

 神がかったエルマの動きは〝超人種〟と呼ばれる人々さえ圧倒する。


 だが、阿増絶阿とて、絶対的な能力を有した怪物なのだ。

 彼女はエルマと自分の差を、ただテレパシーで誇示した。


《無駄だよ、蛇処君。

 私はただ見るだけで、この能力が使える。

 対してきみは体に負担をかけながら疾走して、私の攻撃を回避するしかない。

 どちらがよりエネルギーを消費するかは、自明の理だろう? 

 先に力尽きるのはきみだと、私は言い切れる。

 現にきみは私の攻撃を回避は出来ても、反撃は出来ない。

 これではただ、消耗していくだけ。

 そんなきみのどこに――勝機があると言うのかな?》


《………》


 それは全て、事実の様に聞こえる。

 実際、エルマも何も応えない。


 阿増絶阿の〝絶望回帰〟を回避する為、蛇処エルマはただ疾走するだけだ。

 

 だとすれば、エルマは最早、死を待つしかない。

 力尽きた時が、エルマの最期だろう。


 最早万策尽きたと思われるエルマに対し、絶阿は止めを刺す。


《更に言えば、私にはまだ奥の手が残っていてね。

 今以上に脳の処理速度を加速出来るのが――私という存在なのさ》


 脳の処理速度の、加速。

 それこそが『異端者』の奥義と言っていい。


 常人の一グーゴルプレックス倍まで脳加速を行える阿増絶阿の力は――一気に跳ね上がる。


 常人が一動作行う前に、一グーゴルプレックス回攻撃を加えられるのが阿増絶阿だ。


 圧倒的な、初速の差。

 覆せる筈もない、絶対的な超能力。


 故に、蛇処エルマという少女を殺す為、阿増絶阿の視界は遂にエルマを捉えた。


 その刹那以上に短い間隙を埋める為、蛇処エルマは理解不能な事を言い出す。


《そうですか。

 ならば――私は脳の処理速度を減速させましょう》


《な、に?》


《ええ。

 愛の奴隷であるこの私に――そんな事が不可能だとでも言うのですか?》


 完全に、意味不明だ。

 絶阿に対抗して脳の処理速度を加速するなら、話はまだ分かる。

 

 だが、エルマは脳の処理速度を減速させると言った。

 常人ではどちらも不可能だが、エルマは己が不利になる手段を講じたのだ。


 いや。


 これは本当に、その筈なのだ。


《バカ、な――っ?》


 最早死ぬしかない、蛇処エルマ。


 だが、驚きの声を上げたのは、エルマではなかった。


 正に、稲妻さえも凌駕する速度と衝撃。


〝神〟にさえ、相克する一撃。


 気が付けば――阿増絶阿の腹部には蛇処エルマの蹴りが決まっていた。

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