第8話

「……まさか、一万円手に入るとはな」


商店街の裏道を歩きながら、ケンタは小さくつぶやいた。

手にした白い封筒の中には、あの買取屋で得た一万円札が、何とも言えない現実味をもって収まっている。


古ぼけた銀のネックレス。正直、断られるかと思っていた。けれど、しぶしぶながらも買い取ってもらえた。それだけで、世界が少しだけ違って見えた。


(この調子で異世界のもんを持って帰って……って、そんな甘くねえか)


考えながら、ふと足が止まる。

目の前には、昔からある個人経営の眼鏡屋があった。明るい看板に、「レンズ交換・即日可」の文字。そういえば、もう長いこと割れたメガネを我慢して使っていた。


「……ちょうどいいや。視界がマシになれば、異世界でも動きやすいだろ」


店のドアをくぐると、ベルの音が控えめに鳴った。

中には年配の眼鏡職人らしき男性がひとり、静かにレンズを磨いていた。


「メガネを新調したいんですけど」


事情を話すと、職人は黙って頷き、さっそく視力の測定やフレーム選びを始めてくれた。

あれこれ悩むうちに、無難で丈夫そうなフレームを選び、簡易なレンズを入れてもらって、1時間もせずに新品のメガネが完成した。


「……おお」


掛けた瞬間、世界が変わった気がした。

ぼやけていた街並みが、まるで映像作品のようにくっきりと際立ち、すれ違う人々の表情さえ読み取れる。


(こんなに見えてなかったのか、俺……)


何とも言えない気持ちになりながら、古いメガネのケースを開ける。

片方のレンズはヒビが入り、フレームは歪み、鼻当ては取れかけていた。見た目にも明らかに「お役御免」な代物だった。


ポケットに突っ込む寸前、ふと、思いつきが脳裏をよぎる。


「鑑定、できんのかな……?」


異世界で手に入れた【鑑定】スキルは、現実世界でも問題なく使えた。

この古いメガネにも、何かしらの“情報”があるかもしれない。


思いつきで、ケンタは誰もいない路地裏に入り、ポケットから古いメガネを取り出すと、小声で呟いた。


「鑑定」


次の瞬間、薄い青の半透明ウィンドウが、静かに浮かび上がった。



【名称】:■■■の眼鏡(破損)

【素材】:プラスチック

【効果】:■■■■■(喪失)

     使用による影響により、■■■■■が蓄積。現在、

     ■■■■■状態にある。

【備考】:※微弱な《呪い》を検知



ケンタは一瞬、意味が理解できなかった。


「……な、なんだこれ」


伏せ字の羅列。

情報は隠され、ほとんど読めない。

それでも、唯一はっきりと浮かんでいた言葉が――


《呪い》


「……っ!」


思わず、メガネを手から落としそうになった。

手のひらに薄く残る感触が、急に冷たく感じられた。


(呪い……? これ、呪われてたのか……?)


信じられなかった。ずっと使っていた、ただのメガネだ。通販で買った、どこにでもある安物。

だが、確かにスキルはそう言っている。《微弱な呪い》が宿っている、と。


「……うそ、だろ」


冷や汗がにじむ。

まさか、自分が長年使ってきたメガネにそんなものが宿っていたなんて。


けれど、よく考えれば、妙なことはいくつかあった。

やたらと目が疲れた日、頭が重かった日。眠っても疲れが取れなかった日々。子供の頃からつけていたから特に気にしたことはなかった。

ただの体調不良だと思っていた。けれど――


「これが原因だったってのか……?」


呆然とつぶやく。


伏せ字が多くて詳細はわからなかったが、それでも“何か”がこびりついていたのは間違いない。


(……今は、鑑定のレベルが低いから見えないだけ、か)


もっと情報が見られたなら。

もっと早く気づけたなら。

――そうすれば、身体のだるさや、運の悪さにも気づけていたかもしれない。


「……危ねえ」


静かに、息を吐いた。


そして、思った。


(もっと、鑑定を強化しないとダメだ)


異世界から持ち帰ったもの。

現実世界の物にも、何かが宿っている可能性がある。

情報がないままに使うのは、あまりに危険だ。


「スキルのレベルを、上げよう……」


その言葉は、決意のように口からこぼれた。


それは、鑑定の精度を上げるためでもあり、

自分自身の安全を守るためでもあり、

――そして、この現実世界と異世界をつなぐ“鍵”を、より深く掘り起こすためでもあった。




***



「でも何したら鑑定のレベルが上がるのかよくわかんねえんだよな」


呟きながら、ケンタは新品のメガネを外してそっと机に置いた。

目の前の古いメガネは、布に包んで小さな箱にしまいこむ。呪いの影響がどこまであるのかは分からないが、視界に入るだけで気分が悪くなりそうだった。


スキル一覧を思い浮かべてみる。

【鑑定(初級)】のままだ。レベル表記もなければ、進行度のバーすら出てこない。ゲームなら経験値とか、次のレベルまであと何ポイントとか、そういうのがあるのに。


「鑑定しまくりゃ上がんのか? でも、何をどれだけやりゃいいのかって話で……」


手元のペン、ノート、マグカップ――身の回りのものに鑑定をかけてみるが、どれも特筆すべき情報は出ない。一般的な材質、既製品、量産品。中には“魔素反応なし”と表示されるものもあった。


「つーか、現実のもんって、ほとんどが人の手で加工されてるから、意味ねえのかもな……」


鑑定結果を見ていると、異世界のアイテムとの違いがはっきりしていた。現実の品は“情報量が少ない”。それだけに、呪いのような異物が際立つのかもしれない。


だが、今すぐどうこうできるわけでもない。

異世界に行くにしても、帰還したばかりだ。疲れもあるし、今日はもう動く気になれない。


「はあ……つか、明日講義じゃん……」


思い出したように、ため息が漏れる。

ここ最近、大学の講義にはほとんど出ていなかった。出席点を重視する科目はすでに捨てていたが、出なければ落単確定の授業もいくつかある。


「せっかくメガネも新しくなったし……まあ、たまには真面目に行くか」


部屋の隅で散らかっていたバッグを引っ張り出し、ノートや教科書をなんとか詰め込む。自分でも驚くほど久しぶりの“学生の準備”だった。異世界に居たからそんな気がするだけかもしれないが。


「寝よ……明日、ちゃんと起きれりゃの話だけど」


ベッドに倒れ込む。新品のメガネを外しているせいか、視界が少しぼやけていた。でもそれが、逆に心を落ち着かせる。


「鑑定のレベルは……また今度考えよう」


そう呟いて、ケンタは毛布をかぶった。


新しい現実と、まだ見ぬ異世界の情報が、脳裏にうっすらと残っていたが、

気づけばそれも、夢の底へと溶けていった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る