第12話
その笑いを漏らした直後から、俺は陰鬱な気分になっていった。野鳥観察で勘違いされて逮捕されて、覗きなんてしないと主張していたのに、今では自分は立派な覗き人間だった。この現実とどうやって向き合ったらいいのか。今月いっぱいで職場をクビになり、そうしたら晴れて無職で、次の職の当てもないままこのまま覗きを続けるのか、という考えが頭の中をめぐり、その考えは俺の気分をずたずたに引き裂くように縦横無尽に動き回っていた。第一、このミヨコと俺は接点が無い。こっちから一方的に覗いているだけだ。それなのにミヨコの付き合う男は俺じゃないかと妄想をするなんて、いよいよ俺はおかしくなりはじめていると、自分で客観視するのだが、今はそんな妄想も現実逃避には持ってこいで、とてもはかどるのである。
俺がむなしくなり双眼鏡をテーブルの上に置こうとした時だった。ふとミヨコが後ろを振り返った。ミヨコの後ろには二人の男が立っている。俺と喧嘩をした男達だった。男達はミヨコに何か話しかけているが、ミヨコはそれを無視するように早足で歩いていく。しかし男達はミヨコの背後からいつまでも尾けて歩いている。
俺はそれを見るなり、双眼鏡を放り出してビルから外に出て、急いでミヨコたちのいる場所に向かった。走りながら俺は自問自答する。「彼女を助けるのか?」「あの男達をどうやってやっつけるんだ?」「また男たちに負けでもしたら、それこそ恰好がつかないぞ」などと走りながら考えた。ふと途中の公園で子供たちが野球をしているのが目に入った。俺は公園に入り、バットを持っている少年に話しかける。
「わるいんだけど、このバット、ちょっと貸してくれない?」
少年は明らかに不快な表情を浮かべて、黙って俺にバットを渡した。俺はバットを握りしめて、ミヨコたちの元へと走った。
道の曲がり角を曲がったときだった。女性の悲鳴が聞こえる。俺は悲鳴の元へと走っていく。するとあのミヨコが男たちにバッグを捕まれているのが見えた。
「助けてー!」
ミヨコは叫び声をあげて助けを求めている。俺は全身の血が沸騰するのを感じた。
「こらー! お前らー!」
俺はバットを振りかざしてミヨコと男達の元へ走っていた。すると男達は俺の持っているバットに恐れをなしたのか、後ずさりしてその場を離れていった。俺はミヨコのもとに駆け寄る。
「大丈夫か。ミヨコ」
「はぁはぁ、はい……。ありがとうございます! 助かりました!」
ミヨコは艶やかなその声を俺に向けて発している。俺は間近にいるミヨコの喜んでいる表情とその色香に頭がしびれそうになった。
「でも、ミヨコってだれですか……?」
ミヨコは不安そうに俺に聞いた。
「あ」
俺はハッとした。ミヨコという名前は俺がこの女性に勝手に付けた名前だった。それなのにその名前でこの女性を呼んでいるのだ。俺は顔が赤くなると同時に胸がきゅっと締まるような気がした。
「いえ、とにかく無事で良かったです」
「家から出たらあの男達に出くわして、そこからずっと私のことを尾けてきたんです。早足で逃げようと思ったら走り寄ってきて、バッグを捕まれて……。本当に助けてもらって良かったです」
「ああ、あのマンションからずっと追ってきたんですか。とんだストーカー野郎達ですね」
「え……。あの、なんで私の家がマンションだって知ってるんですか?」
「あ」
俺はまたハッとした。このままでは俺が覗きをやってたことがバレてしまう。俺は慌てて話題を逸らすようにした。
「いえ、えーと、赤い色がお好きなんですよね」
「え……?」
「下着も赤色なんて、よっぽど赤色にゾッコンなんですね」
俺は早口で口走る。そして愕然とした。ミヨコはみるみる表情を曇らせていった。そして明らかな怒りの表情に変わると、右手の平で俺に顔にビンタを食らわした。乾いた音が辺りに響く。ミヨコは足早にそこから立ち去っていく。俺はミヨコの後ろ姿を見ながら左手で頬を撫でた。
せっかくミヨコと接点を持つことが出来たのに、それを全て台無しにしてしまった。俺は深い悲しみに襲われていく。覗いてたことがバレて、それで嫌われてしまったのだ。俺の空っぽの身体は後悔の念に満たされていった。
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