ドローン・シークエンス
四百メートルよりずっと遠い、悪魔たちの戦線。第三形態までは
ドロシーは『狂乱形態』となっている。天の裂け目より放たれる雷、超巨大な黒き茨の肉食獣。天災そのものと化したドロシーは、もう決戦の体を為さないほど圧倒的だった。
雷に穿たれ、肉を破かれ、それでも再生を繰り返す
最大の敵があと少しで果てる。普通は期待を寄せるところ、アロンの心中はドロシーを案じるものでいっぱいだった。
『狂乱形態』となったドロシーは、まるで機械だ。超巨大なタコを捌くだけの、特大の粉砕機だ。
アロンはドロシーの無情さ、容赦のなさに唖然とし、それでも走っている。水面を沈むことなく真っ直ぐに。天の裂け目を標に距離を把握し、粉砕機となった彼女を元に戻すために。
「ええええっ! 本当に走ってるよ!」
アロンの興奮も最高潮。どうして水上を走れているのか考えられないほど必死だった。
マンションの屋上から地上へと一直線に落ちる良子を庇ったものと同じ、アロンの体が青い鱗のベールに包まれている。これにより水面が地面となる。実真が自身の保険として残した最後の魔力をアロンに譲ったのだ。現在の実真は一般の女性でしかなくなっている。
「ドロシー!」
迫る高波を、身を丸めてやり過ごす。それからまた走り出す。名前を叫んで、何度でも。
叫びは届いていない。ドロシーは作業のように敵を薄く刻んでいくばかり。
何度も同じことを繰り返しているが、ドロシーのいる地点に中々到達できない。水上を克服したのは何よりだが、波に加え、暴風もこちらの疾走を阻んでくる。落雷が時に自分の真横に落ちてきて、鼓膜が破けるような錯覚に陥りもした。それでもアロンは立ち止まらなかったが。
ドロシーはもう、人型には戻らないかもしれない。今のドロシーにとって自分など羽虫も同然で、存在に気付いた途端、消されてしまうかもしれない。
そんなことはない。そうなったとしても……。アロンはびしょ濡れの髪をかき上げ、二ッと笑い、天災を目指して走る、走る、走る。
アロンが到達する前に決着がついた。
ドロシーは最後のタコ脚を咥えて、高々と天に掲げ、雷をそこに落とした。鯨のような呻きを最期に、タコ脚は姿をなくすまで焼き払われた。
勝者は天へと咆哮を轟かせ、口内に溜まった敗者の残滓を品なく吐き捨てた。
仇敵を滅ぼしたドロシーが、ぐるりとこちらに振り向く。
恐るべき怪獣のアギトが、たった一粒の、容易にへし折れる小さな一人を睨む。
それでもアロンは折れず、足が竦むことすらなかった。愛おしい彼女を真っ直ぐ見つめて時を待った。
ドロシーは再び天を見上げて叫んだ。やはり耳を裂くような轟音だが、行動の意味が分からず、アロンは激痛よりも理解に苦しんだ。
すると、天の裂け目を中心に上空を駆け巡っているいくつもの雷が、一斉にこちらを睨んだような感覚を味わった。猛烈に嫌な予感がして何度も名前を叫んだが、雷鳴にかき消されて一つも届かなかった。
雷たちの標的は自分ではなく、ドロシー自身だった。全ての雷が天の裂け目に集約し、神威に等しいほどの電熱線となって降り注ぎ、支配者の身を撃ったのだ。
――! ――!
いくら叫んでもかき消されてしまう。止まない轟雷に人の声帯など及ばない。眼前は白光に満ち、アロンは破壊の音と光に呑み込まれた。
「クソが! もういい!」
結局ヤケになり、白光へ飛び込むことにした。焼身自殺である。
白光の中に立ち行っても、くどいくらい名前を叫んだ。
白光の奥へ進んでいくと、それも白い光の塊にしか見えなかったが、そこにいる、と確信が持てるものを見つけた。
(ドロシーは)
光の塊を目指して歩き続ける。全身がヒリヒリと痺れを感じ、悪寒も止まないが、もういい。
(自分から魔力切れを狙ったのか。それも全て自分にぶつけて。世界を巻き込むほどの被害を未然に防ぐために)
もう少しで手が届く距離まで近付くと、アロンの胸にムカムカとしたものが込み上げてきた。
ドロシーは良い悪魔なんだ。貰った善意に報いるために、自身が滅ぶ結果となっても最善を尽くそうとしている。未だ狂乱状態で、自滅も暴走のうちかもしれないとしても……。
「悪い子だ」
叱らないと気が済まない。機械のように何も言わず、勝手に自己犠牲プログラムを開始したドロシーが腹立たしくてならない。
二年前に
だが、未練タラタラのこいつだけは納得しなかった。当のドロシーがそれで良いとしても、世界的に最良の結末としても、まだ報われていないものがあるから譲らなかった。
故にそれを前にして、やるべきことは一つと決まっている。
「ドロシー」
誰よりも大変よく頑張ったこの子を労うため、大切に名前を呼んだ。
朧な光のてっぺんに優しく触れ、そのまま自分の方へ抱き寄せた。朧な光は何も言わなかったが、言葉ではないのだから、それで良い。
――僕は君が優しい子だって知っているよ。報われるべきだって知っているから、そこまで独りで背負わなくても良いんだよ。
何て、わざわざ口にするまでもない。
激しい音と光が止むと同時にアロンは気を失ったが、マンタビーチまで流れていくまでの間、いつもの黒衣を纏った少女を決して放すことはなかった。
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