同罪の冒涜者
後部座席に良子を寝かせると、今度は焦燥との戦いになった。
沈黙の夜の卍田市だから、ここからでもマンタビーチで鍔迫り合う怪獣たちの咆哮が聞こえてくる。黒き巨獣の叫び、呻き。対する超巨大なタコの、しかしてクジラのような、コー、コーという鳴き声。いずれかが鳴くたび、卍田市の地盤が揺らぎを起こす。
早く海岸に行きたい。自分が彼女のためにしてやれることなど何もないが、責任ではなく、想いとして、ドロシーを独りにするのが嫌だった。
半壊した自動扉から実真が出てきた。廊下を歩くくらいの足取りで。焦らされるこちらの様子にニコニコしている。
恩人とはいえ流石に苛立ちを覚えたが、直後、冷や水を頭皮貫いて直接脳味噌に浴びせられるほどの衝撃を味わう。スマートフォンが震え、誰からの着信か目に止まるより先に応答した。
「ドロシー!」
暫し、ドロシーの苦しそうな吐息が続き、ようやく言葉が返ってきた。
『すまん。苦戦している』
アロンは青ざめた。スピーカー機能をオンにするも、
『思っていたよりも私は弱かったようだ。この程度ではないはずなのだが』
と、これほど自信のないドロシーは初めてで、猛烈な不安に駆られた。
都市の存亡を占うほどの状況だからではなく、追い詰められていることで普段の大胆不敵さを奪われている。ドロシーがしくじれば、卍田市に、場合によっては世界に明日はない。終末を色濃く感じて心臓が暴れ出す。
一方、実真はドロシーの言葉に首を曲げた。
「それは変ね。……まさか」
苦い顔の実真を気にしつつ、アロンは様子を尋ねる。
「大丈夫。電話はできてる」
『うむ。一先ずデカブツを元居た地点まで放り、私は第二形態に戻って、海岸から連絡している。あまり悠長に構えてもいられない。電話をずっと繋ぐことはできない』
「凄いな。そんな力があったんて」
『力は私の方が上だ。だが、奴には際限がない。いくら食い千切っても再生するのだ』
弱気なドロシーがアロンには駄目だった。縋るように実真を見つめたが、なおも不可解な様子でいた。
「違う。第三形態でそこまで苦戦するはずがない。多分だけど、ドロちゃんは『七匹ノ悪魔』として完全に目覚めていないのかもしれないわね」
「でも、相手が無敵なだけで、力では押している」
「それでも第三形態――悪魔形態で、あの程度を打破できないはずがない。私も変身する瞬間を目の当たりにしたけど、これならイケるって確信できるくらいの魔の気を感じた。ドロちゃんは自分の力を思い通りに扱い切れていないようね。雷で怯ませて、噛み千切る。それが成功法であれ何であれ、普通はドロちゃんが圧倒するはずなのだけど」
アロンは、第二形態となったドロシーが良子と良子の侍らすタコ脚を圧倒した時のことを思い出した。確かに物足りなさは否めない。
『むぅ、ミマめ……ペラペラと……うっ』
「ドロシー……」
『そんな情けない声で私を呼ぶんじゃない。……こうなれば、あとは一つしかない』
電話越しでも水平線の緊迫感が伝わってくる。それ以上のことが始まる予感も。
『第四形態をやる』
実真が呆れたように息を吐いた。
「お勧めはしないわ。言ったでしょ? どうなるか分からない」
『他に策があるなら言え。刻限は近いぞ』
「ないわね」
『一か八か、賭ける他ない状況であろう』
「分かってるの? 第四形態――狂乱形態は、それを使えば世界が滅ぶとされる反則技で、自身では制御できない力なのよ? 何のためにそこで戦っているのか忘れたの?」
『もっと遠く、海岸が見えなくなるくらい遠い水平線まで奴を運ぶ。その後で最終形態になる。案ずるな。対岸も巻き込むつもりはない』
「それで
『他にもう手がないのだ。ミマよ。我が同罪の冒涜者と、良子、それにマンタ市の者どもを任せるぞ』
実真は項垂れ、気品溢れる相貌からは信じられないほど汚い溜め息を吐いた。
「アロン君、どうぞ。私はもう知りません」
実真は言って、運転席のフロントドアを開けた。
「ドロシー」
名前を呼んでも返事をしてくれなかった。
今、どんな思いで
だから、素直に、彼女を愛するための言葉を選ぶのだ。
「ドロシーはそれでいいの?」
『……』
彼女の細い吐息が鼓膜をくすぐると、目頭が熱くなった。
『……私がデカブツを始末した後で、ミマが卍田市に布いた幻覚を解き、皆を遠くへ避難させる。状況次第では始末前に解くのも良いだろう。その後、私が元に戻らなかった場合は、マンタ市の武装警察だけでなく、この世界の持てる力全てで私を止めるのだ。私が抵抗するのか、しないのか、それは私にも不明だが、誰もいない水平線であれば、各国の暗部が隠し持つという最大火力技も使えるはずだ。……汚染とか色々あるらしいから、この海と周辺の営みを放棄しなくてはならないが』
アロンはスマートフォンを握ったまま胸元を強く押した。震える想いを抑えるために。
「元に戻れたら、それが一番だね」
『うむ。自信はないが』
「ドロシーらしくない」
『我が同罪の冒涜者よ』
アロンは海岸の方を見据えて傾聴した。
『私にはよく分からなかったのだ。人の愛情などな。ただ恩を感じることができて、それを返す気概があったから、今、このようにしているだけで、私には心というものがよく分からなかった。時に楽しい、許せんと思える経験を沢山したが、何故そのように感じるのかまでは分からなかったのだ。
人類は数が多い。多過ぎる。そのくせ、それぞれが違う。その果てしなさを私はいつも訝しんでいた。私と皆は違うのだと。いくら深淵を覗き、皆の心を探っても、結局……。
そんな、愛のない私がマンタ市を守る。これは空虚なことだ。自分の意志で生きているのに、物語のようにフワフワしている。このような茶番にお前を巻き込んでしまって、すまなかった』
この時アロンは、正に空虚だが、揺るぎない意志を得ることができた。
「大丈夫だよ、ドロシー」
それは、僕たちも実はよく分かっていないんだ。そのくせ何故か意固地になってしまい、必死に何かを守り、何かを貶してしまう習性なんだよ。
とは言わなかったが、彼女の悩みが分かった以上、彼女より長く人間をやっている自分が躊躇うわけにはいかなくなり、水平線よりも高い場所を見上げることができるようになった。
「第四形態をやってくれ。僕もこれから向かう」
『分かった。だが、わざわざ来ることもないのだぞ? 巻き込まれて死ぬ可能性が高い』
こちらの身を案じてくれているようだが、そう言われると余計に会いに行きたくなってしまう。
「ドロシーが勝って、目を覚まさなかった場合に起こす奴が必要でしょ? そんな大役は誰にも譲りたくない。僕は同罪だから」
鼻で笑われたが、きっと良い笑顔だったはず。
『そうだな。私もお前以外に起こされるのは癪だ』
ドロシーとの通話は途絶えた。助手席に座ると、マンタビーチを目指してセダンが走り出した。
少しすると、向かう先の空に亀裂が生じた。裂け目から陽射しが降り注ぐも、それが陽射しか雷光かは曖昧。そこから一筋の、実際には膨大な雷が落ちてきた。それを浴びる茨の獣は、更に一回りも二回りも体躯を大きくし、まるでそこに夜の闇と灯りが結集しているような、嵐の怪獣と化した。
雷の茨すら光る漆黒に変わり、全身に纏わり付いている。僅かでも茨が当たれば水面さえ抉り、シーサイドモールまでもうっかりというほど長く、太い災害となっている。ドロシーが一歩歩むたび、空の裂け目も歩みを共にしていた。
嵐へ。死地に裸で飛び込むように。
恐れることなど何もない。アロンの心中はかつてないほどの充足を感じていた。
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