君の十字架 Ⅰ
付き添いは村崎に断られ、アロンは救急車に乗らず、フードコートへ戻ることにした。
モールを再び半周して、入り口を抜けたところで着信が入る。非通知と表示されているが、相手が誰かははっきりしていることだった。
「……」
無言で応答すると、互いに無言の時間が続いた後で、フフフ……と、不気味な含み笑いが聞こえてきた。それからあの騒がしい声音が送られてくる。
『焦燥や憤怒に駆られている頃かな? 蝋木亜路君』
村崎と目白のおかげで忘れ去ることのできた黒い感情が、仇敵の声音一つで蘇る。
元々は単に相性の問題で、合わない、とだけ思っていた鬱陶しい存在。だが、あのように友人が虐げられたことにより、電話越しの男に対する敵意は激しさを増している。この手が銃を握り、逃げる力もなくした奴を見下ろす状況となれば、躊躇わないだろう、と思えるほどに。
「おい、この迷惑野郎。どこにいる?」
『見つけてみたまえよ』
「なに?」
『私を見つけて倒せば一方は解決する、という話なんだ。もう一方は君では止められないけど』
「何を言ってる? 殺されたいのか?」
『分かるだろう、蝋木亜路君。君は卍田市の誰よりもそれを敏感に感じ取っているはずだ』
ぞわっと鳥肌が立ち、思わずモールに入る人々、出ていく人々の顔色を窺った。
『もうすぐ
またも時が止まったような感覚に陥った。
妹の死から始まり、ドロシーが終わらせてくれた、過ぎ去ったはずの時間。それを乗り越え、前を向いていけるようになった矢先、こうも容易く引きずり出されてしまった。アロンは何も置かれていない入り口の端に避けるも、噎せるほど胸がざわついていた。
「……みんなを巻き込むな」
『え? ああ、君はそこを心配しているのか。流石は千両役者。見ている世界が広いんだな』
「は? そんなの当たり前――」
「私が君の立場であれば、どうでもいい有象無象の被害なんて別に気にしない。しかし、それは私の浅慮なのかな。であれば考えを改めなければならないね。君のようになるには、つまらない連中にも愛を見出していかなければならないということか」
(駄目だ)
テレビ越しなら遠い存在に思えたが、これほどの俗物を近くに感じるのは反吐が出る。どうやらこちらを特別視しているようだが、目白の言ったようにストーカーで、盲目の熱情に他ならないのであれば……と、身も心も次第に痒くなり、熱を感じ始めた。
もういい。フードコートに戻って、二人と合流したら忘れてしまおう。なるべく何も考えず、クレープを頬張る二人の満たされた表情だけを思うようにして歩き出した。
『蝋木亜路君。刻限だよ』
しかし、もう手遅れだったよう。
外気など届かないほど中へ立ち入ったはずも、確かに頬をくすぐる風が訪れた。
具体的に、その風は二度起こった。
ゴオオオオオオッ‼
最初は心地良く感じた冷風が、瞬く間に灼熱の嵐へと変わった。アロンはその場で膝を突き、蹲って堪えることしかできなかった。
世界が乱されていく。書き換えられていく。目を開けられないが、周囲の人々も同じ災厄に見舞われているようで、あちこちから悲鳴が聞こえてくるが、それらも嵐の轟音にかき消されていった。
シーサイドモールが丸ごと塵に変わったと、アロンは本気でそう感じた。
二分ほどで嵐が去って、ようやく目蓋を開けるようになった。右手のスマートフォンは無事だった。通話は切れていたが、相手からしてどうでもいいことだ。
顔を上げた先にはフードコート。そこには……。
――痛い! 痛い! 痛い! 痛い!
――どうなってのる⁉ 何なのこれ⁉
――死にたくない! ごめんなさい! ごめんなさい!
――ギャアアアアッ!
鳴り止まない断末魔、断末魔、断末魔。
誰も彼も、暮れる金曜日のフードコートを満喫していた全ての人が、内から生えてきたタコ脚に肉主導権を強奪されていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます