Not A
ミスターラジオが
そのようなことなど知らず、アロンは穏やかに一週間を過ごした。
良子が卍田市に到着次第、即実行されなかった理由を問うと、そう問うた直後に気付きを得てアロンはハッとし、クスクスと笑われた。
政府には
良子にも言われたが、卍田市の平和を脅かしているのは、脅威を排除する自分たちも同様なのだ。結果としてドロシーが
卍田市が崩壊する。生まれ育った街が滅び、自分を彩る周囲の人々が不幸に見舞われるのを想像すると、受け止め切れない不安が押し寄せてきた。
ドロシーを信じる。最後まで。
だが、ドロシーの他にも大事なものは沢山ある。全てを守り抜くには、自分にはあらゆるものが足りていない。
初めて力を欲するようになり、その思いを素直に吐き出してみるも、
「力が欲しいの? あなたが? 必要なくない?」
と、珍しく実真が戸惑った様子を見せたので、それを収穫として満足してしまった。
このまま決戦を迎えたら後悔する結果になるのではないかと焦りを覚えるも、できることはなく、具体的に何をするのが最善かも分からない。
一人で廊下を歩いている時ほどこのように悩んで頭が重くなる。そのため、教室に戻り、村崎や目白との他愛もないやり取りには大分救われていた。月曜日の小テストの件だ。村崎と目白は許される点に達し、自分だけが許されない点に終わったことで碓氷生徒会長に呼ばれ、急所まで凍り付くような折檻を受けたことを話すと、頭にくる弄られ方をされたが、おかげで苦悩を忘れることができた。
浅尾グループ。他のクラスメイト。担任の熊岡。学校外の知り合い。様々な繋がり。
みんな普段と何も変わらない。
例えば卍田市の危機が事前に公表され、みんなが戸惑いや避難の希望を示してくれれば却って安心できるかもしれないが、今回、危機を知っているのは自分を含めた一握り。
それが不気味で苦しくなってくるのだ。よくそれほど悠長でいられるなと、つい感じてしまう瞬間がある。不安か不満のいずれかしか芽生えないほど、古きこの場所には刺激的な存在が足りていない。
『今、あなたのマンションに来ています』
反面、深く馴染んでいない存在はどれも強烈で、特に彼女はこちらの苦悩など荒業で遠くに葬り去ってくれる。
『今からあなたを襲います』
絶叫しかけ、慌てて口を塞いだ。塞ぐ手も激しく震えていたが。
穏便に済んだはずの櫛名良子との関係は、情熱的な部分のみが解消されず浮き彫りのままだった。
火曜日の放課後は、昨日の今日で遠慮したよう。アロンが放課後、翌朝のパフェに必要な材料を買うためにモールへ向かうと知っていたため、そこは勝ったドロシーを尊重したと思われる。
そして、この水曜日の放課後だ。帰りのホームルームを経て、櫛名さん、また明日、と確かに伝えた。彼女も微笑んで返事をくれたはずだが……。
「あの時、引きつった笑みになっていたのがまずかったか?」
浅尾たちを挟まず正面から良子と向き合うと、頭頂部から足の爪先まで緊張が伝うのだ。そこに失点があったのではないかと勘繰るも、更なる通知に思考が奪われる。
『ドロシーさんもご在宅ですか?』
アロンは一人のリビングで立ち尽くし、あー、んー、などと言葉にならない声を漏らして気を持たせた。
「いませんけど、っと」
直後、より大きな失点に気が付く。
「しまった! いるって言うべきだった!」
『それは都合が良いです』
「何が⁉」
『今からあなたを襲います』
「ほら!」
まだマンションの入り口にいるはずなのに、ローファーの音が過剰な音量で聞こえてくるようだった。そのやかましいものが自身の胸から鳴っていることに気付いた時、アロンの情動は激しく乱れた。
「隠れるか? いや、見つかった場合の、見ぃつけた、が怖過ぎる。居留守は……扉をガンガン叩かれるのが怖過ぎる」
同じところを行ったり来たり。最善策が見当たらない。
特に恐ろしいのは浅尾たちに共有される可能性だ。憎まれる選択肢は避けなくてはならないため、極限の状況ながらも慎重に行動する必要がある。
「最も穏便に済む方法は? 『3年1組の蝋木亜路、転校三日目の女子を無下に扱う』とかふざけた記事を新聞部に書かれずに済む平和的解決策は……!」
アロンは閃き、パチンと指を鳴らした。
「ここは潔く、櫛名さんと劣情の撃ち合いをすれば……いや、結局死んでしまいます」
鳴り止まない恐怖の通知を視認しないよう気を付け、アロンはドロシーに電話を掛けた。
「頼む……ドロシー様」
祈る想いでスマートフォンを耳に当て、朝パフェにご満悦だった少女の顔を思い出すも、声は届いてこない。まだメイドをやっているのか、それとも新たな武勇伝を刻んでいるのか不明だが、電話に出られない状況というのは明白で、最後の切り札も空振りに終わってしまった。
ガチャッ。
「え? 合鍵?」
玄関の方を向いて仰天。次の思考も行動も選べず、スマートフォンを片手に立ち尽くすばかり。足音が次第に大きくなり、いよいよリビングの扉が開かれると、アロンは腰から倒れた。
「え? どういうリアクション?」
「……は?」
現れた二人は、どちらもよく知る顔だった。
特に、先にやってきた者はむしろここにいて当然の男。幸智だった。ゴミを見る目で息子を見下ろし、それから、
「さ、どうぞ入って。良子ちゃん」
と、先程のチャットが嘘のようにモジモジしている女子を促した。
夜の恐るべき良子とばかり思っていたから取り乱したが、この良子は昼の良子だ。察するに、やる気満々で突入を試みるも、同じ制服で気になったからか、または505号室の前まで来て躊躇したからか、このタイミングで帰ってきた幸智に声を掛けられ、とてつもなく気まずい思いでいるのだろう。
緊張が解け、アロンは深く溜め息を吐いた。
「クラスメイトだってな。でも、何の用か聞いても答えてくれなかったんだよ。ほら、とりあえず麦茶と菓子、用意したれ」
「ああ……」
「で、どういう関係なの? 彼女なの?」
「お父様⁉」
「おい、下らないこと聞くな」
「やるな。ドロシーちゃんというものがありながら二股とは。三年生になってからいきなり遊び出したな。何故?」
「だからそんなんじゃない」
「そうなのかい?」
真っ赤な顔で固まっていた良子だが、幸智に振られると、途端に曇り模様となった。
「……私はドロシーさんに敗れました。それでも懲りずアロン君に付き纏う卑しい雌なのです」
「わっ、急にどうした」
猛烈に嫌な予感がするも、アロンに彼女の天候を操る術はなく……。
「まるで本当の妹のようなドロシーさん。それでいて、より深い関係性を築いているようにも見えます。お二人の絆は固く、私では踏み躙ることなど叶いませんでした。主従のようでもあり、実は従者のアロン君こそがドロシーさんを支配しているのではないかと。そのような複雑なプレイは、拙い私などには理解できなかったのです」
膝から崩れ、ヨヨヨ……と、流れる雫をハンカチで拭う良子。愕然とするアロン。
息子が連れてきた二人目の女子を、息子を繰り返し見ていくたび幸智の顔がやつれていった。
「……若さと多様性か」
言い残してリビングから去る父に、頼むから居てくれ、とは言えなかった。
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