ナイトメアの兆候
昨夜と同じくドロシーはアロンのベッドで横になった。安らかな寝息を立てているが、懲りず押し入れで横になったアロンは、暗がりでスマートフォンをいじっていた。
「あった」
どこかのラジオで一度だけ聞き、サビの入りだけを覚えていた例の曲を見つけ、イヤホンを繋いで再生する。
アメリカのバンド、ラスカル・フラッツの『My Wish』という曲だと分かった。
音楽アプリのプレイリストに保存すると、自然と溜め息が零れた。長い間、カバンの中のイヤホンコードみたく絡まっていた糸が解けたような気分を味わえた。
慎重に襖を開け、少女の眠る横顔を確かめると、自然とほころび、自分もイヤホンを外して眠ることにした。
ブーッ! ブーッ! ブーッ!
予期せぬタイミングでスマートフォンが振動し、アロンは「おわっ⁉」と、情けない声を漏らした。
(誰だこんな時間に!)
画面には非通知と表示されている。少し考え、イタ電であればすぐに切ればいいと、渋々応答ボタンを押した。
「……はい」
『どうも! 私、ミスターラジオという者ですが、そちらは蝋木亜路くんの携帯で相違ないでしょうか?』
グッと眉間に皺が寄った。
『急過ぎて固まっちゃった? まあ、気持ちは分からなくもない。有名人から突然電話が掛かってくるなんて私でも多少は驚く』
アロン自身も不思議なほど、こいつとはソリが合わない気がしてならなかった。
その騒がしい名前とやかましい声音を知っている。朝によく聞く、
「……何の用ですか?」
『いや、聞きたいことがあってね。相棒ちゃんの連絡先は特定できなかったから、君に問うことにしたわけよ』
「どうやって僕の連絡先を――」
『モールの駐車場でタコの脚を狩っていたのを見させてもらった』
アロンは固まった。別にバレても構わないと考えていたのに、何故かこいつに知られるのはまずい気がした。
『蝋木亜路君、あれは何だい? 君の相棒ちゃんは何者? とても普通の出来事ではないよね、これ』
「幻覚じゃないですか? 疲れているならさっさと横になった方が良いですよ」
『これってやっぱり
「また?」
『君の妹、確か蝋木在砂だっけ? 読モとして名を馳せていたから知ってる。君が殺したんだろう? ってことは、君はもう三か月も前からあれに関する真実をひた隠して――』
「うるせぇ! 終わった話だ!」
アロンは真っ赤な顔で通話を切り、通報、ブロック。スマートフォンを放って毛布を被った。
「んぅ……うるさいぞ、ぼうとくしゃ……」
起こしてしまったか寝言か分からないが、とにかく乱れた呼吸を整える必要があった。
一つ余計だったものの、その後の一週間はアロンにとって彩りを増したように感じる日々となった。
アロンが学校の時のドロシーは、めいど♡ふぃっしゅに勤めたり、適当にモールや周囲を散策し、年寄りに可愛がられたり、男子たちと対立したり、自由気ままに卍田市を練り歩いたりしていた。
校門の前でアロンを待ち受けることもあり、予期していなかったアロンは目を剥いた。アロンに年下の彼女ができた、などという噂が広まるのも快速だった。
ドロシーの、人の心を惹き付ける力は驚異的で、アロンを通すどころか不在の場面でも学年問わず女子たちに可愛がられ、シーサイドモールのみならず卍田第一高校でもあっという間に有名となった。
しかし、ドロシーにもこだわりがあり、放課後を使って行った卍田市観光の際のみ、二人きりで卍田市を練り歩くようにした。
それはアロンにとってもかけがえのない時間となった。これほど多幸な時間は妹の喪失前にすらなかったはず。例のイタ電を思い出し、時折頭が熱くなるも、気の合う連れやクラスメイトとの親睦、放課後に待っている彼女のおかげで夢のような一週間を過ごすことができた。
その一週間がいかに美しく健全なものだったかを思い知る、新たな惨劇が訪れるからこそ。
「失礼します」
その女子が保健室に足を運ぶのは、当然初めてのこと。
前に連絡を取り合っていた養護教諭が想像以上に、声だけで象られていた印象を遥かに上回る美麗と妖しい香りを漂わせているため、一週間前の青年と同様、女子も入り口で固まっていた。
「いらっしゃい、
名前を呼ばれ、初めから真っ直ぐな背筋が更にピンと伸びた。
緊張を感じているものの、目的があって保健室を伺った女子の瞳は澄んでおり、それが実真を愉快にさせる。
「ごめんなさい。入学は週明けからですのに。お帰りになられる頃でしたよね?」
「謝ることなんてないわ。すぐに会いたいと思ってくれたのでしょ? むしろ嬉しいくらい」
畏まるばかりだった女子の顔が晴れる。
「はい。お会いできて私も嬉しいです」
「しかも予想通り美人さん。私たちのライバルになるかもね」
恐れ多いようで、女子は綺麗な顔にはにかむ表情を乗せた。
「私も歓迎する。彼も歓迎する。彼女も歓迎する。田舎を出て一人暮らしなんて不安ばかりでしょうけど、心配はいらないわ。ここは紳士淑女の都だから、困っても誰かが手を差し伸べてくれるわ」
実真は先週のように椅子を譲ることも、コーヒーを淹れることもせず、白衣のポケットに手を入れたまま脚を組んでいる。軽く揺れるポニーテールも相まって、同性であれ危ない可能性を思わずにはいられなかった。
「あの、実真先生」
緊張に震える声で問う櫛名良子。
「彼と彼女、というのは?」
屈託なく笑む実真。
「アロン君とドロシーちゃん。私たちの敵よ」
窓ガラスを越して保健室を焼く夕陽が、ブルーブラックを漆黒まで焦がす頃だった。
実真は保健室の入り口に寄り掛かり、過ぎ去る転校生を見つめて呟いた。
「私が非戦を選んだことで向こうも同じ判断をしたようだけど、あなたたちはそうは行かない。四体も子供を殺してしまったのだもの。卍田市の平和を破った自覚があるのかしらね、アロン君は」
やれ……と、両肩を上げて苦笑い、保健室の扉を閉めた。
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