魔界から冥土まで Ⅰ

 今日もこれからバイトへ赴くが、マンタビーチへ寄るルーティンが無用となり、ただでさえ普段より早くに起きたため、時間を大分持て余していた。

 いつもの朝番組をソファーに座ってのんびり観るのも久々だったが、何より、家族以外と何気ない朝の時間を共有することが新鮮で、却って黄昏に入り浸るような心地に包まれた。

 劇的な体験を経た。おかげである意味での終止符が打たれたが、思えば彼女とは明日の放課後に再会する約束だった。

 その彼女が今、横に座り、生クリームを乗せたプリンを堪能している。横目に失笑し、今日これからについてはプリンが済んでから相談しようと思い、特に関心もないため、水平線の魔物ビッグパスに関する推察やら陰謀論やらを並べているミスターラジオの画面を変えた。


 シーサイドモールにも潜んでいるというタコ脚。それらは在砂の部屋に隠れていたものほどではないと断言されたが、あのような惨事が目立つ規模で起こる可能性は未然に防ぐべきだと判じ、それらの討伐を願うことも含めてドロシーをモールに連れて行った。

 魔の気というものを感じたのは、駐車場各階とのこと。簡単には立ち入れない場所などに潜んでいたらと不安に思っていたアロンだが、それならどうにかなりそうだと楽観的になれた。

 注意すべき点は二つ。人目のないタイミングでタコ脚を引きずり出し、早急に始末すること。ドロシーの悪魔としての格からして、接近し、敵意を向ければ相手は出てこざるを得ないらしく、そこは昨夜と同じのため心配はない。

 問題はドロシーの暴走だ。本人は、あれでも加減していたのだぞ、と頭を擦りながら言ったが、よりにもよって日曜日の駐車場に嵐を巻き起こすようでは庇い切れない。戦闘員のドロシーに代わり、周囲を警戒することとなるアロンだが、最大の懸念はドロシーに他ならない。

 決行はアロンの休憩時間。それまでドロシーをどうさせようかと話し合った。


 ドロシーを連れて五階のレストラン街に向かった。

 洋風の明るいレストランから素朴な雰囲気の居酒屋まで、様々立ち並ぶ五階のエリアで特に異彩を放つ店がある。そこがアロンの目的地だった。

 老舗の喫茶店をイメージさせる飾り気のない店構えに、ピンクとブルーのネオンライトで『めいど♡ふぃっしゅ』と描かれた看板がある。開店前の入り口に目的の男が佇んでいた。

「目白、すまん」

 手を振って近付くと、太い首がグッと頷いた。

 目白莫。アロンの学友で肥満のオタク。めいど♡ふぃっしゅの常連客であり、過去のある出来事を経て店側から絶大な支持を獲得した、特異な立ち位置の男。

「アロンよ、その少女が例の?」

「そう。名前はドロシー。多分外国人だけど日本語も流暢に話せる色々不思議な子」

 アロンはドロシーの背中にそっと手を回す。ドロシーはアロンと目白、双方の顔を順に見つめた。

「これは⁉」

 突如、目白が驚愕した。悔しいことに、アロンにはその意味が理解できてしまう。

「目白、ドロシーがここの仕事を手伝えるように店長さん……メイド長に頼んでもらえないかな?

「……」

「僕が頼むより目白を挟んだ方が早いと思ってね。お褒めの言葉と賄いを適当にあげれば、給料はいらないから」

「……それは構わん。メイド長殿にも既に伝えてある」

 悪魔少女の完全さに動揺する目白だが、仕事が早い。メイド喫茶に通い詰めるようなオタクだが、迷惑客を撃退し、この店を救った過去がある。そのような経緯から、目白自身は否定しているが、今や私服警備員という扱いになっており、噂ではメイド長が本気で惚れ込んでいるという。

(噂が本当なら、メイド長にこんな目白は見せられない)

 めいど♡ふぃっしゅのメイドは、メイド長を始め、粒揃いの美女ばかり。アロンも時々訪れるが、いくら年上の美女たちから甘いサービスを受けてもこれほどの動揺は起こさない。目が肥えているからこそ、ドロシーの底知れないポテンシャルを本能で感じ取ってしまったのだろう。

「……ドロシー殿と言ったか。不肖、この目白莫。此度、御身がめいど♡ふぃっしゅでの仕事を体験したいとのことで協力させていただいた。一つよしなに」

 深々と頭を下げる友人にドン引くアロン。一方、ドロシーは感心したようで、

「ほう……ほう、ほう! 分かっているではないか、冒涜者の友よ! 冒涜者の友の割に冒涜者とは違い、弁えているではないか! よろしい! 感涙に咽び、畏敬の念を胸に抱き、任務を全うせよ!」

 と、あっさり気を良くした。

「ははー!」

 目白はいよいよ膝を突いた。どこも開店前か、開店して間もないため、レストラン街の人気が少ないのが救い。二人の傍にいるのが辛くなってきた。

「アロン君」

 クラシカルなメイド服に身を包んだ女性が店の中から出てくると、アロンは思わず安堵の溜め息を吐いた。

 他のメイドたちも中からこちらの様子を窺っている。急遽仲間入りすることとなった少女がどのようなものか気になるのだろう。跪く目白から目を逸らし、腕組み仁王立ちの、ビジュアル系コーディネートの少女を視認すると、ワッと黄色い歓声が巻き起こった。

「久しぶりね。その子がドロシーちゃんね? あらあら、これは在砂ちゃんに劣らず絶世の美少女ねぇ。どこで攫ったの?」

「お久しぶりです、メイド長さん。急で申し訳ありませんが、今日だけでいいので面倒を見てやってもらえませんか?」

「目白君から話は聞いてるわ。勿論、今日だけでなく長期大型契約も大歓迎よ。これほどの逸材だものねぇ」

 上司となる女性に真っ向から褒められ、遠くから窺っている先輩たちも明らかに目を輝かせているのが分かり、ドロシーはどんどん機嫌を良くしていく。素直、可愛い、本当に逸材だわ、アロン君って何者なの……と、先輩たちが遠慮を緩めるたび、ドロシーの口角も溶けるように緩んでいった。

 アロンは今一度ドロシーの背中にそっと触れ、

「ほら、皆さんに挨拶を」

 と促した。

「うむ!」

 ドロシーは一呼吸置いて名乗りを上げた。


「私は祖たる魔王が死した後に誕生した新たなる七界の悪夢にして宵闇の覇者『七匹ノ悪魔』の最終最強の第七匹目! 名をドロシー! 今宵(昼前)このメイド喫茶にて、不遜にも私からの奉仕を望み、冥土への失墜を望む下等な輩どもへ最後の晩餐を見舞ってくれるわぁっ‼」


 少女の叫びが響き渡り、木霊も失せる頃、レストラン街全体の時間が止まったように白けた。

 アロンは言葉を失った。それが正しい反応と信じたかった。しかし、メイド長とメイドたちは、

「「「おおー!」」」

 と、感嘆。拍手を送り、

「天才だ……」

 と、頬を濡らす男までいる始末となった。

「目白、嘘だろ?」

「ドロシー殿はきっと、どのような格好をしても、何をやっても成功を為す、天賦の才の持ち主なのだ。そのうえ偉大なる悪魔っ子メイドに化けることすら容易とは……これは奇跡と呼んでも差し支えない」

「奇跡的におかしな子とは思うけど……もういいや」

 これから仕事だなんて思いたくもないほど、ドッと疲れを感じた。マンタビーチへ赴くルーティンをやめても、エナジードリンクは今後も必要になりそうだ。

「じゃ、休憩になったら様子を見に来ますので……」

 アロンはさりげなくここを離れようとしたが、

「待って、アロン君!」

 メイド長に引き留められ、重たい体で振り返る。

「はい?」

「参考までに聞きたいんだけど、ドロシーちゃんってどんなメイド服が似合うかしらね。ミニ? クラシカル? カラーやコンセプトはどうしましょうねぇ。細かな装飾品も色々あるけど――」

「全部似合うので順にお願いします」

 満面の笑みで即答するアロンには誰も何も返せなかった。


 ロッカーに上着や貴重品を仕舞うタイミングでスマートフォンが震えた。

 丈の短い黒のワンピースに白いエプロンを重ねた、当世の日本では却って定番とも言えるメイド姿に化けたドロシーと、それを囲う先輩たちの写真が送られてきた。

 その完璧な偶像も勿論、彼女の新たな魅力と、彼女の世界を彩る人々の晴れ晴れとした笑顔から、これまで感じたことのない想いを胸に起こした。

 My wish for you.

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