✦✦Episode.30 必ず…会いに行く✦✦
✦ ✦ ✦Episode.30 必ず…会いに行く
✦ ✦ ✦
クロトはズルズルと、岩壁の下の地面に倒れ込んでいた。 打ち付けられた背中は痛み、砂煙が彼の視界を奪って仲間たちがどうなったか分からず、体を起き上がらせる事で精いっぱいだった。
「ああっ、いってぇ……っ(あいつらは、どうなったんだ……)」
頭を打っていたら、気絶していたかもしれない。 幸い、背中を軽く打った程度で軽傷で済んでいた。 辺りはシーンと静まり返り……砂煙が静かに晴れて行く。 遠くから、ミレアがこちらに近づいて来るのが見えていた。
「ベラス・ラルト」
(シエルが……操られてた……? 悪魔の液体を飲み干したって……シエルは大丈夫なのか?)
色を失った、彼女の瞳――彼女の吐息から、甘い果物と鉄の香りが入り混じった……不思議な香りがしていた。 あの時すでに、シエルは神反軍によって操られ――正気を失い、そしてクロトを神天台の祭壇へと手招いたのだった
。
(もし、シエルが鬼化したら? 俺は、アザンのように浄化してやれるのだろうか)
クロトは、突然感じた眩暈に吐き気を覚えながらも、なんとか思考を廻らせていた。 たとえ、彼女の魂を浄化することが出来たとしても――いつしか鬼化が進行し、その背に舞う美しい翼が、焼け落ちて無くなってしまう…そんな事は想像したくもなかった。
「私を…“探して…” あの花に、そんな意味があったなんて、知らなかった……」
気が付いたころには、畑に咲いていたたんぽぽの花。 どういう意味で、ベラスがそれをクロトに教えたのか、まったくその意図が読めない。
(でも……シエルが……俺の事、探してる……?)
「本当なのか……?」
ポツリと問いかけた声は、誰の耳に届く事もなく、静かに消えていった。 もし、操られた後に彼女が正気に戻ったというなら――あの薬に適合したと考えるのが、自然な考えだった。
(シエルの翼は、きっともう……ミレア達と同じように……)
「くっ……考えたく無い!!」
クロトは静かに目を閉じる。 ふわりと二人で出会った頃の、ライラックの花の香りを思い出し――その懐かしさに、心の底から彼女の光を求めた。
(シエルと過ごした時間は、全部、偽りなんかじゃ……なかった)
視界がチラつく。 クロトは起きているのもやっとになって、再び地面に寝そべった。 そっと手で自分の頬に触れた。
――あの日、二人で見つめ合った木陰の中。
ペンダントをもらったシエルは、喜んで、クロトの頬に優しく唇を落とした。
(俺、恥ずかしくてシエルと目を合わせられなかった)
思い出す、柔らかな唇――クロトの心は嬉しさと、儚さに……少しずつその瞳に雫が溜まっていく。 視界が潤み、 心の奥に閉じ込め、何重にも鍵をかけていた気持ちが……一つずつその鍵を外していく。
風に揺れた、彼女の柔らかい髪の香りが、いつまでも心の中をくすぐり続けている。 重ね合わせた指先の温もり……その記憶が、彼の心殻を一気に打ち砕いた。 彼のひたむきな思いを否定するものは、もうどこにもいなかった。
(あの時のシエルの“心”は、ちゃんと……“本物”だった……っ!)
寂しい牢の中に、この気持ちを置いてきたはずだった。 最後の鍵は外され――心の奥底にしまい込んでいたはずの、シエルへの気持ちがあふれて止まらなくなっていた。
別れの時。 彼女の指先は、雪のように冷たく……それでも彼の頬を愛おしそうに撫でていた。 重ね合わせた唇は、氷のように……凍てついた心が、自分の事を忘れて欲しくないと、彼を求めるように優しく――
「俺……シエルと……キス、した…!?」
今更気が付いたようにハッとして、クロトは手で口元を覆った。 その途端…彼の心臓の鼓動は高鳴り始め、爆発したように胸を打った。
(だって、あの時シエルはっ……意識が無かったんだろ!?か、勘違いか……?)
「いやっわざとなのか? 俺に、気が付いて欲しかったからあんなっ、き……
(今更、あれに意味があったなんて気が付いて……俺はなんてバカだったんだ!)
ミレアが、クロトの隣に立つと、顔を覗き込んだ。 岩にもたれかかっている彼は――深い傷を負っているわけでも、頭をぶつけたわけでも無さそう……なのに、ボーッとした顔で上を見上げ、ミレアが来たことにも気が付かず、上の空で何かをボソボソと呟いている。
「――クロト? ねぇ、大丈夫!?」
(シエルの瞳――太陽のような眩しい笑顔。 柔らかな髪も、優しく俺を呼ぶ声……全部――全部が、俺の中で輝いて……)
彼の太陽は、いつまでも心の奥底で輝き続けて、星屑となった心の殻が温かい日差しの中に降り注いでいく。 形の無い思いを、二度と離すことが無いように……温かい光が彼の心を包み込む。
(今は――今だけは……自分の心に、素直でいたい……)
「好き…」
「――え? 何?なんか言った?」
クロトの言った言葉が、よく聞き取れず――ミレアはクロトの顔を覗き込んだ。 彼の瞳は潤み、その頬は火照って真っ赤に染まっていた。 脈拍は、ドキドキと太鼓のように跳ね上がり、全身に熱を持ち――呼吸が乱れて肩を揺らしていた。 ミレアがそっと頬に触れると、自分との体温の差に驚きの声を上げた。
「ちょ、ちょっと!! 顔赤いよ!?大変、すごい熱!!シアン君!水!水もってきて」
シアンは、ミレアの叫び声によろめきながら、二人の元へ近づいて……携帯していた水を取り出した。 クロトの口元へ含ませると、彼は全く上の空で、飲むこともせず、そのまま口元からぽたぽたとこぼしていく。
「あっ、ダメだなこりゃ……仕方ない……かけるか、エイッ!」
ミレアは、彼の頭から思い切り、ばしゃっと水をかけた。 それでもなお、彼は何処か遠くを見つめながら天を仰ぐように指先を伸ばした。 愛おしい彼女が、この手を掴み取ってくれることをほんの少しばかり期待して……高鳴る胸は、もうどうしようもなく嬉しさに震えている。
(俺は、こんな所で立ち止まっていられない……早く……お前の元へ……)
「シエル……会いたい……」
「えっ!?シエル? ねぇ――シエルって誰!?」
濡れた髪から、雫が滴る。 びしゃびしゃになった顔を覆うように隠して――ぼそぼそと震える唇で何かを呟いている。
「ミレア――聞くなよぉ……」
「ねえ、誰?シエルって誰??ねー!くーろーとさーん!!」
彼の意識は限界を迎え――じわじわと、視界は白い光に包まれていく。 瞼が重く、開けているのもやっとになって、ゆっくりとその瞳を閉じていった。
「今度はちゃんと……俺からキスをしたい……愛してる――シエル」
(だから、俺は……必ずこの場所から外へ出て、シエルに会いに行こう……今度こそ必ず、この気持ちを伝えるために……)
微かに唇を動かして、ぼそぼそと言いながら……伸ばした手が地面に付き、パタンと音を立てた。 ミレアは慌てた様子で、クロトの頬を叩いたり、肩を揺らしたりしてみたが……彼から反応が無くなり……ただそこには穏やかな吐息だけが聞こえていた。
「シアン君…大変っ!クロト君気絶しちゃったよ!どうしよう!」
「あらら、おやすみになられましたねぇ……これは……しばらくこのままですかねぇ」
「もう、そっとして置くしかないのね……」
「そうですねぇ、次いつ敵が襲ってくるかもわかりませんし……今はこちらも手負いです、まあすぐには奴らも来ないでしょうけど」
シアンは、少し離れた所から辺りの様子を気にするように見回していた。 ビャクダンの杖を地面に当て、体を委ねるように立っている。 彼の相棒は、しっかりとその体重を支えていた。 こんな状況でも、しっかりとしたシアンの立ち振る舞いに、ミレアはホッと安心してこの場を任せた。
「っていうか……
「うわごと……身体が熱を持っているようですし――魔力の暴走によるものでは?」
「あぁ、確かにっ……! 魔力が暴走して、あり得ない事言ってるんだっ!?」
ミレアが、クロトの装着した魔石に目を向けると、ピアスもトルクも……少しも反応の色を見せず、相変わらず暗い色をしたままで……彼の熱は魔力による暴走ではない事を証明していた。
「あれ……魔石……光ってないよぉ……?」
「へぇ……ならば、真実の愛ってやつですか……?」
「えぇええ、ねぇねぇシアン君――シエルって、いったい誰の事――?」
「さぁ…?
ミレアは、シアンにだけ聞こえるくらいの小さい声で、ぼそぼそと話しかけ――シアンは全く気にすることもなく、普通の声量で答えていた。
シアンは、ミレアの元へ歩み寄ると、くいっと彼女の顎を引き上げた。 余計な思考を回しているミレアを黙らせるためには効果的な一撃だった。
眼前に迫る、見慣れた美形の顔に……ミレアはポッと頬を赤くしたと同時に――思いっきり頬を膨らませた。 シアンから香る、ビャクダンの香り……小さかった彼はこんなにも成長して――その出で立ちさえ……ミレアの心の中をくすぐっている。
「ふっ……少し、おだまりなさいな……人の色恋は、突っ込んではいけませんよ……?ましてや
「きゃぁーしぁんくんったらもう~!やだぁ~!」
ミレアが照れながら、シアンから離れ、頭に花の気配を散らしてうねうねと揺れていると……その後ろで、周囲を警戒するように別の方向を向いたシアンは、ほんのりとその頬を染めていた。 彼にとっての、ちょっとした背伸びのつもりだった。
「ハッハッ、キスか!良いなぁ、恋の熱だなっ!いやー若いなぁ!」
「ホントに……きっと、素敵な恋なんでしょうねぇ……羨ましいほどに……」
アザンは遠くから聞こえて来た声に、ケラケラと笑い飛ばしていた。 操られた騎士たちをこのまま、放っておくわけにもいかず、一人ひとり丁寧に手当てを行っていく。
「ここに、ティオンが居ないのが……幸いだったのか、それとも‥‥もうすでに、彼は……神反軍の手中の中か――許せない……許せないぞ……」
アザンは誰にも見えない所で、真の獣の心を揺らしていた。 もしも、彼が何かをされているとしたら……宿敵、神反軍を今以上に恨み――必ず敵を取る覚悟の目を、誰もいない方向へ向けていた。
✦ ✦ ✦
この地下世界から脱出を試みるなら……必ず、あの場所を通らねばならない。 クロトが産まれるよりもずっと前――シアン、ベラス、ミレア達はそこで実験を受け……そして、セレアが誕生した。
“研究所”その場所で行われた、
「クククッ…ルシルフィアのお嬢様は今頃…もうあいつの手の届かないところに居るのにな」
遥か、神天台の上空を飛びながら……セレアを抱えたベラスは、ニヤリとした眼差しを祭壇の中央へ向けていた。
セレアは、しっかりと首に捉まって……静かに、ずっと遠くを見つめていた。
「ベラ君……あたしたちも、戻りましょうよ、あの場所に」
「そうだなぁ、俺様たちは“光の神子”のご様子でも見させていただきますかねぇ……」
「もぉっ! そんなの、イルアン君に任せて……もうすぐ、お楽しみの舞踏会が来るのよ――私と二人っきりで楽しみましょうよ……っ」
セレアは、ベラスの頬に手を添わせた。 優しく撫で上げると……その頬にちゅっと唇を落とした。 その瞳は、ベラスをしっかりと捉えている。 ベラスもまた――セレアの瞳を捉えた。
「あぁ、ベラ君……“光の神子”なんか放っておいて、あたしの事だけをもっと愛して……?」
「くくっ……お前が――溶液の中から俺様を呼んでからというもの……今までお前しか見えてないのに…まだ足りないというのか?」
「あぁ、まだまだ足りないの……!あたしからずっと離れないで……もっと愛を刻み付けて…っ!!」
二人は夜空の中――狂気に満ちた笑い声を上げ、熱く情熱的に口づけを交わしていた。 やがて、風が通り過ぎた頃……ベラスは焼けた翼を大きく広げ、落ちて行く無数の流れ星に並ぶようにして、一直線に目的の場所へ向けて降下していった。
すべてはそう――“光の神子シエル”の向かう先へ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます