第45話 絶望の鐘

 ディンレル王国王都滅亡の瞬間。

 燃え盛るリュンカーラで、ドワーフ工房の店主グラベックは迫りくる業火から逃れる術もなく、自らの工房の中で最期の時を迎えようとしていた。


「……ふん、魔王だか何だか知らんが見事な火加減じゃわい。これでこそ鍛冶屋の最期よ。……我らがシュタイン王よ、先に女神様のところで、一杯やりながらお待ちしておりますぞ」


 グラベックは愛用の槌を握りしめたまま炎に包まれ、誇り高く生涯を終えた。


 黒煙が天を覆い、絶望と死の匂いが充満する廃墟の街。

 元王都の中心にある、焼け落ちた白亜宮の瓦礫の上に魔王アリスが立っている。

 彼女は全滅した街を恍惚とした表情で眺めていたが、ふと街の一角だけが炎を免れていることに気づき、小首を傾げた。


「あら……? あの教会だけ燃えていないけど、ザックスの結界かしら?」


「おそらくは。あの男、神官としては優秀でしたから。……俺が直接赴き、確認してまいりましょう」


 アリスの傍らに控えるヒイラギが申し出る。

 彼の瞳にはもはや以前の優しさはなく、アリスへの盲従だけが宿っている。


 そこへ漆黒の翼を持つ魔族、ルシフェルが口を開く。


「魔王様、あの教会にエルフの小娘が2人向かっております。なぜ、あやつらに炎を浴びせないのですか?」


 ルシフェルの問いに、アリスは口元に不気味な笑みを浮かべた。


「ふふっ。ルシフェル、あの2人はね、私の『お友達』なの。だから特別に生かしておいてあげたの。さあ、お迎えに行きましょうか」


 アリスはそう言うと、傍らの空間に手を差し入れた。

 すると空間が裂け、禍々しい赤黒い亀裂が入り、魔界へと通じる門が口を開いていく。


「さあ、おいでなさい。私の新たな下僕たち。イフリート、バアフィン、ゴドリッチ、ガンニバル、ヒューリー」


 アリスが呼びかけると、魔界の門から、それぞれに異形にして強大な魔力を放つ5体の魔族が姿を現す。


 燃え盛る炎を纏う巨躯のイフリート。

 白銀の髪に優男風のバアフィン。

 角を生やした緑色の巨人ゴドリッチ。

 黒い肌に金髪の女魔人ガンニバル。

 獣のような咆哮を上げる銀毛のヒューリー。


 彼らは魔界でも名うての魔族であり、アリスの魔力に引かれ、現世へと召喚されたのだ。


「あなたたちには私の可愛い妹と、お節介な先生と生意気な側近の魔女たちを迎えに行ってもらうわ。……ついでに、西方のガーデリアとかいう土地も、綺麗に燃やしてきなさい。これは命令よ」


 魔族たちは歓喜の雄叫びを上げ、アリスに恭順の意を示すと一斉に西の空へと飛び立っていった。


「妹たちは殺しても構わないわ。でも、魂だけは捕らえて、私の元へ連れてきなさい」


 アリスの冷酷極まりない言葉に、ルシフェルは満足げに頷いた。


「さて、私たちは教会へ行きましょうか」


 アリスが言うと、彼女とヒイラギ、ルシフェルの3人は禍々しい転移魔法の光と共にその場から消えた。


 ***


 その頃、教会へと必死にたどり着いたエレミアとエレノア。

 アレゼルからの最後の伝言である、アリスの魔王化を受け取りながらも、彼女たちが逃げずにここへ来たのには理由がある。


 一つはアリスが教会を燃やせなかったことから、そこに何らかの意図、もしくは何かがあると感じたこと。

 もう一つは寝たきりの老婆ススと、教会の下働きをしているササスを見捨てられなかったから。


「おばあちゃん! ササス! 無事⁉」


「イエイ! 美少女エルフ姉妹が助けに来たわよ⁉」


 2人は自分たちを奮い立たせるように精一杯明るい声を出しながら、教会の扉を蹴破るように開けた。


 けれどそこで彼女たちが見たのは、想像していなかった予想外の顛末。


 祭壇の前で老婆ススが血の海に倒れている。

 無惨なススの遺体の傍らには、返り血を浴び、狂ったようにナイフを振り下ろし続けるササスの姿。


「ちくしょう……! ちくしょう! なんでだよぉ! なんで俺を、こんなクソみてえな世の中に産みやがったんだ! このババアがぁぁぁっ!」


 王都が燃え、人々が死んでいく惨状を目の当たりにし、さらに寝たきりだった母親の世話という最後の責務からも解放されたいという願望が、ササスの精神を完全に破壊してしまったのだろうか。

 絶望が、彼を狂気へと変貌させていた。


 ササスの常軌を逸した生みの親への仕打ちに、エルフ姉妹の気力は一瞬で霧散した。

 膝から崩れ落ち、言葉を失ってしまう。

 目の前で繰り広げられているのは理解を超えた、人間の持つ最も醜悪な闇。


「あらあら、これは……中々、面白い趣向ね」


 背後から聞こえた、かつて親しかったはずの声。

 2人は最後の力を振り絞って振り返る。

 そこには魔王と化したアリスが、蘇ったヒイラギと、邪悪な魔族ルシフェルを従えて立っていた。


「「アリス……! あんた……!」」


 ササスの狂った哄笑だけが響く教会の中で、エルフ姉妹は震える手で弓を構えていく。


「私たちはお友達でしょう? ねぇ、エレミア、エレノア。今まで通り、一緒にいましょう?」


 アリスの純粋さを装った、底知れない悪意を湛えた微笑む姿が、逆に恐怖を加速させる。


「ふざけないで! リュンカーラを、こんな地獄に変えたあんたが友達ですって⁉」


 エレミアが叫ぶ。


「笑わせないでちょうだい!」


 エレノアも続く。


「「あんたはもう……私たちの、敵よ!」」


 2人は決意を込めて矢をつがえ、アリスへと狙いを定める。

 勝てるはずがない。

 それでも、一矢報いなければ気が済まない。

 かつての友への、最後の抵抗として。


「そう……わかったわ。では少し頭を冷やしましょう。一回死んでから、またゆっくり話し合いましょう?」


 アリスが指を鳴らすと、不可視の魔力がエレミアとエレノアの心臓を正確に貫いていく。

 2人の手から弓が滑り落ち、彼女たちの緑の瞳から急速に光が失われ、声もなく崩れ落ちた。


「……生き返りなさい。今度こそ、私の本当のお友達になりましょう?」


 アリスは冷たくなった2人の亡骸に優しく語りかける。


 だが、2人が再び目を開けることはなかった。


「……なんで? どうして? 私の言うことが聞けないの? なんでなの!」


 アリスは自分の力が及ばない現実に直面し、癇癪を起こした子供のように叫び、喚き散らす。


「魔王様、お鎮まりください」


 ルシフェルが恭しく進言する。


「このエルフどもは死の間際に、自らの魂に強力な封印魔法を施した模様。これではいかな魔王様のお力でも、蘇生させることは叶いますまい」


「……そう。つまらない抵抗を……!」


 アリスは忌々しげに呟く。


「ひひひ……ひゃははははははは!」


 エルフ姉妹の最期の間も、ササスの狂気の笑いは止まらない。

 ササスから発せられる耳障りな音が、アリスの苛立ちをさらに掻き立てた。


「魔王様、お待ちを」


 ルシフェルがアリスを制する。

 心の中で、彼なりの義を思いながら。


(絹に封じられていた僕を解放したのは、紛れもなくこの男の功績。ある意味、この状況を作り出した立役者。ここは一応恩義として庇っておこう)


「あの男にはまだ使い道がございます。彼の内に溜まった怠惰と絶望の精神エネルギーは、より大きな闇を生み出すでしょう」


 ルシフェルは内心ではササスの利用価値が尽きたと思いつつも、アリスがどう反応するかを愉しんでいた。


「……ふうん? つまり、全ての元凶はササスだって言うのね?」


 アリスの赤い瞳が冷たくササスを捉えた。


(どこまでお見通しなのか……はてさて、魔王アリス様、どんな判断を下しますかな?)


 冷や汗を額に感じながら、ルシフェルは続けて進言する。


「……そう申し上げても過言ではありますまい。して、魔王様はこの男をお望みで?」


 アリスは一瞬の逡巡も見せず、無慈悲に、無感情に、無表情に言い放つ。


「無能な駒は要らないわ」


 アリスの言葉が終わるか終わらないかのうちに、ヒイラギの漆黒の剣が一閃し、ササスの首が宙を舞った。

 狂気の笑いは唐突な静寂へと変わる。

 教会は3つの亡骸が転がる、文字通りの死の空間に成り果てる。


「……ササスよ。俺はお前を友だと思っていた」


 ヒイラギが血振りをしながら淡々と呟いた。

 彼の声には何の感情も込められていないように、ルシフェルには聞こえた。


 ゴーン……ゴーン……


 なぜか教会の鐘の音が、壊れた世界に、数回、虚しく響き渡っていく。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る