第10話 魔剣の見せる夢~ダーラウ地方にて・2


 

 酒場を出たジェレル一行は宿屋に戻り、早めに就寝した。

 王宮には魔導士ユージーンが強力に結界を張ったが、邪神を信奉する輩の動きが見えない今、ルナリアを置いたままジェレルもユージーンも不在にするのは心許こころもとない。念のため、武器商人のウェイロンが王宮に滞在しているが、いざというときに彼ひとりでできることは限られている。

 

 ダーラウの様子を確かめるのは急務であったが、のんびりしている暇はない。

 翌朝ダーラウをめざし、その日の夕方には帰途につく予定だ。


 旅の疲れもあってか、ジェレルはあっという間に眠りに落ちた。


 長い長い夢を見ていたようだ。

 しかもまだ自分が夢から覚めていないことにジェレルは気がついている。


(これは剣が見せる夢……だな)


 ジェレルの所持する剣は、彼が11歳の頃に手に入れたものだ。

 ウィンスレイド王国の王子は、10歳を過ぎると王家の祖霊が眠る墓所へひとりで入る習わしがある。このとき墓所の奥にある祭壇前でひざまずき祖先の御霊に呼びかけることで、その者を守る剣が与えられる――とされている。


 ジェレルも王家の墓所へひとりで入り、気がつけばその剣を手にしていたのだった。

 

 11歳の彼は、いつか父のように王になる日が来るのかもしれないと想像することはあったが、まだ何の覚悟もできていなかった。

 むしろ周囲からの期待が高まるほど、自分には一国を治める力量があるだろうかと不安になるような子どもだった。


 そんなジェレルが持ち帰った剣は、普通の剣ではなかった。

 

 彼を守ってくれるかどうかもわからない――呪われた魔剣。

 その魔剣がときどき見せる夢がある。

 

(この森はどこだ?)


 ジェレルは夢の中で問う。

 答えはないが、視界が動き、遠くに海が見えた。どうやらダーラウの海のようだ。

 

 ウィンスレイド王国の南方に位置するダーラウの海は、海水温が高いのでエメラルドグリーンに見える。白い砂浜と碧色の海のきらめきは、夢の中でも鮮やかな景色だ。


 魔剣は山林を進んでいく。

 細い道の先に、ある男の背中が見えた。魔剣はその背中を慎重に追う。


 40歳前後の男は貧しい身なりをしていた。おそらく何年も新調していない上着は裾の綻びが目立っている。

 しかし男の足取りは軽い。鼻歌が聞こえてきそうだ。食材が詰まった袋を提げているところを見ると、思いがけず収入があったのかもしれない。


(この男……もしかして……)


 以前にもこの男の夢を見たことがある。

 そう認識した途端、ジェレルの脳内は嫌悪感でいっぱいになった。


 男は家に向かっているのだろう。

 これが夢だと知っていてもジェレルは、男を追いかけて、襟をつかみ、引きずり倒したい衝動と闘っていた。だが今しなければならないことは、感情を抑え、周囲の景色をよく観察することである。

 

 しばらく急な狭い道をのぼると、大きな樹の陰に小屋が現れた。

 男はそこに入ったようだ。


(ここがこの男の住処すみかか)


 そう思った瞬間、ジェレルは唐突に夢から覚醒した。

 

 カーテンの隙間から差し込む朝の光は強く、宿屋の部屋は明るい。

 隣を見ると、ティオとユージーンはまだぐっすり眠っている。

 ジェレルはゆっくり静かに起き上がった。


 音を立てないように着替えを済ませると、魔剣だけを手に持ち、外に出た。馬に乗ってダーラウへ向かう。

 木々が生い茂る峠の途中で魔剣がキーンと耳につく音を立てた。同時に鞘がジェレルの脇腹に食い込んでくる。


「『右に行け』と?」


 魔剣は返事をしないかわりにおとなしくなった。

 自己主張の強い魔剣だが、この剣を帯刀しているとジェレルの不安は消える。まるで生きているかのように、この魔剣には強い意志があり、目的のためならどこまでも突き進んでいくからだ。

 

 右側を注意深く見ると、細いけもの道が山林の奥へと続いている。しばらく誰も通行していないのか、下草には踏みつけられた様子がない。


(古い道のようだな。しかもこの先は神域ではないのか?)


 神域に踏み入ることにためらいがないわけではない。それでも夢に見た場所に近づいているのなら進むべきだ。

 ジェレルは馬首を巡らせて、けもの道に分け入った。

 これまでの峠道とは違い、急な坂や道の端が崖になっている場所もある。馬もろとも落ちたら命が危うい。手綱を握る手には余計な力が入ってしまう。

 

 しばらく進むと、突然目の前が開け、遠くに海が見えた。


(もうすぐだ。この上にあの男の住処がある)


 ジェレルは心臓をギュッとつかまれるような痛みを覚え、顔を歪めた。

 

 なぜ魔剣がジェレルをこの地へ誘ういざなのか――。


(知りたいような、知りたくないような……)


 ただの見知らぬ中年男性の、何の変哲もない隠遁生活の拠点であってほしい。

 ジェレルが祈るようにそう心の中で繰り返すのは、直感でとわかるからだった。


 坂道をのぼると、大木が目の前に現れた。その奥には蔦に覆われた小屋が建っている。

 ジェレルは小屋の脇に馬を繋いだ。

 周囲を確認するが、人気ひとけはない。住人もしばらく帰っていないようだ。ドアの前も雑草が伸び放題で、人が出入りした様子がないのだ。


 ドアを強くノックする。

 反応はない。


 ジェレルはドアの取っ手をつかんで引いた。ギシッと鈍い音を立ててドアが開く。

 小さな窓は長年の風雨のせいで汚れていたが、そこから差し込む朝日が小屋の中を照らしていた。


 中へ数歩入ったところで、ジェレルは内部を見回し、眉根を寄せる。

 お世辞にも片付いているとは言い難い。

 イーゼルに載せられた大きなキャンバスが所狭しと並び、壁際にも大小さまざまなキャンバスが無造作に置かれている。どれも未完成のまま放置され、画材もあちこちに広げられたままだ。食卓としても使われたであろうテーブルの上には黄ばんだ紙の束だけ載っている。どうやらデッサンの束のようだ。


 そのデッサンの1枚目を手に取ったジェレルは、驚いて目を見開いた。


「なんだ、これは……」


 ジェレルはデッサンの束をすべて抱え、1枚ずつめくって確かめる。

 どれも十代前半のとある少女を描いたもので、その少女は椅子に縛られ、苦悶の表情を浮かべているのだ。


 デッサンをめくっていくと、だんだん描写が丁寧になっていった。

 同時にジェレルの心臓が激しく拍動し始め、胸を突き破って出てきそうな勢いで暴れた。


 描かれている少女は、服装から貴族の娘であるとわかる。それもおそらく誕生日か何かの宴のために着飾り、髪も美しく結い上げていたのだろう。

 しかしドレスの肩口は破けていて、結い上げた髪はほつれ、不自然に乱れている。少女の恐怖に凍りついた表情ばかりをしつこく何枚も描いた画家の、狂気に満ちた視線は、見る者の嫌悪感をこれでもかと煽ってきた。


 ジェレルはデッサンをテーブルの上に叩きつけるように戻す。

 テーブルの向こう側には椅子が転がっていた。その脇には引きちぎられた紐が落ちている。よく見ると椅子の脚には黒ずんだ血痕と擦り削られた跡がある。


(少女はこの椅子に縛られていたのか。足を縛る紐を自力で断ち切って……逃げた)


 深呼吸をして、なんとか怒りを鎮めようと試みるが、うまくいかない。

 

 少女はどのくらいの時間、ここにとらわれていたのだろう。

 夢に見たあの男が、浮かれた様子で食材を仕入れて帰って来たのは、彼女がここにいたからなのか。


 口元を手で押さえる。嫌悪感で嘔吐しそうだった。テーブルに手をついてなんとかこらえるが、小屋の内部のかび臭さも相まって耐え難くなっていた。

 小屋を出ようと振り返ったジェレルの目に、見慣れた人影が飛び込んできた。

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