第9話 魔剣の見せる夢~ダーラウ地方にて・1

 王都を抜けてのどかな牧草地を進むジェレル一行は、誰もが静かに馬を進め、峠の手前にある宿場町にたどり着いた。今夜はここで休み、明日にはダーラウに到着する予定だ。

 

 ジェレルは従者のティオを伴い、酒場へ向かう。後ろから陽気な声が追いかけてきた。

 

「おいおい、置いていくなよ」

 

 ジェレルよりも少し背が高いティオが振り返り、呆れたような声を出した。

 

「師匠も酒を飲むつもりですか」

「ひどいなー。僕が酒を飲んではいけないような言い方じゃないか」

「師匠は普段も声が大きいのに、酒が入ると余計に大声で話すから困ります。特に今日はダメです」

 

 魔導士ユージーンは拗ねたように目を逸らした。

 

 それまで黙っていたジェレルが「師匠」と声をかける。

 

「小さな声でお願いします」

「話がわかるね。さすが僕の一番弟子!」

 

 ユージーンはポンとジェレルの背中を叩く。

 ティオは不満げにジェレルを睨む。

 

「ジェラルド兄貴は師匠に甘い」

「そう呼ばれるのは久しぶりだな」

 

 目立たぬよう一般的な旅行者と変わらない格好かっこうをしているが、王太子ジェレルの名を国内で知らぬ者はいない。一方、ジェラルドはウィンスレイド王国ではごくありふれた名だ。

 そのためジェレルが素性を隠して街を歩くとき、従者は彼をジェラルドと呼ぶ習わしがある。注目を集めて厄介ごとに巻き込まれるのを避けるため、王族は幼少時から変装や変名を使いこなす必要があった。

 

「では僕のこともユージン兄さんと呼んでくれ」

 

 ユージーンがティオとジェレルの前に飛び出して自らの胸を叩いた。

 ティオはユージーンに一歩近づき、首をかしげる。

 

「師匠のことは師匠と呼べばいいのでは?」

「何を言う。この若さで師匠と呼ばれる男は僕以外にいないと言っても過言ではない。そう思わないか、ジェラルド」

 

「そうですね。あなたは師匠と呼ばれるには若すぎるので、ユージン兄さんと呼ばせてもらいます」

 

 ジェレルはユージーンの提案をすんなりと受け入れ、スタスタと歩き出した。

 

「わかりましたよ。ユージン兄さん」

 

 ティオはユージーンの肩に手を回し、ジェレルの後を追う。

 三人が宿場町で一番大きな酒場にたどり着く頃には、すっかり日が落ち、夜の町は魅惑的な灯りで満ち溢れていた。

 

「くれぐれも他の客と喧嘩はしないでください」

 

 ジェレルは酒場の扉の前でユージーンに向き直ると念を押す。

 ユージーンは何度も首を縦に振り「楽しもう」と陽気に言った。

 

 三人は店の端のほうの席を陣取る。店員に注文し終わるとジェレルが口を開いた。

 

「ユージン兄さん、例の歴史書はどこまで解読できましたか?」

「読み終わったよ」

 

 ユージーンはなみなみと酒が注がれた碗に手を伸ばす。この地方ではグラスではなく椀で酒を飲む昔ながらの風習が続いていた。

 驚いたティオが「もう?」と聞き返すと、ユージンは碗に手をかけたまま動きを止めた。

 

「あれは……気分が悪くなる話だ」

「どんな内容ですか?」

 

 珍しくジェレルが前のめりになって聞いた。

 ユージーンは酒の入った椀を静かに持ち上げてのどを潤す。

 

「神が神に恋慕して、思い通りにならないから滅ぼす――という幼稚な神話さ」

「滅ぼすって……でもくれないの秘宝は今も存在しているでしょう?」


 不思議そうな顔でティオがつぶやく。

 

「若いティオには少し刺激が強いかもしれないが、簡単に説明すると、邪神は月の女神の実体――つまり容姿――に異常な執着を示した。そして無理に契りを結び、その実体を拘束した」

 

「いやいや、そういうことをするから『邪神』と呼ばれてしまうんですよ」

 

「そうだな。邪神によって囚われの身となった月の女神は、自らの実体を消滅させることにした。しかしそれでも邪神が悔い改めることはないだろう――そう考えた彼女は自身の力を紅の秘宝に封じ込め、邪神が執着しそうな娘にその力を忍ばせることにした」

 

「それが、あの力ですか。ルナリア様が妖獣使いに襲われたときに発現した白い光――。身の危険を感じると神の力が解放されるんでしょうね」


 ティオの言葉に、ユージーンは小さく頷いた。

 

「それで、だ。紅の秘宝が生成された後、『月の女神の実体は邪神に喰われた』――とあの歴史書には書かれている」

「神が神を喰らうなんて、本当にそんなことが?」


 ティオは目を見開いて絶句する。

 しばらく黙って聞き役に徹していたジェレルが口を開いた。

 

「それが本当だとすれば、邪神の中に月の女神の実体が残っている可能性もある。邪神は紅の秘宝を手に入れ、月の女神の実体に紅の秘宝の力を戻し、彼女を復活させるのが真の目的なのでは?」

 

「さすがジェラルド。そのとおりだよ。自らの行いのせいで月の女神を滅ぼしておきながら、自らの欲望のために再生させようとしている。まったく、狂気の沙汰だ」


 急に重苦しい雰囲気が3人のテーブルを取り巻いた。

 

 ウィンスレイド王国で流布している神話において、紅の秘宝は邪神を封印するために必要だとされている。

 しかし魔導士ユージーンが読み解いた古の歴史書の内容を信じるならば、邪神自身が紅の秘宝を必要とし、その理由は己が恋い焦がれる月の女神を再び実体化させるため、ということになる。

 これまで聞かされてきた神話が間違いとまでは言い切れない。しかし曖昧に薄めた内容へと改変されたものだった可能性が高い。


「そういえば」とユージーンがおもむろに話し始めた。


「こういう記述もあった。『紅の秘宝が2つになるとき、いよいよ月の女神の力が満ちる』と」

「つまり、これまでは1つしかなかったということですか」

「そう読み取れる。ルナリア嬢の両の眼……」


「『ルナリア嬢』って、ダーラウのルナリア様のことかい?」


 突然、酒場で働く中年女性が話に割り込んできた。ティオの肩がビクッと跳ねる。

 ジェレルは両手に酒瓶を持つ女性を横目で見た。


「そうです。ルナリア嬢のことをご存知ですか」


 愛想よく尋ねたのは年長者のユージーンだった。気のよさそうな女性は酒瓶をテーブルの上にドンと置いた。


「この辺りじゃ有名なお嬢さんだよ。小さな頃から乗馬が得意で、ナイフ投げの名人さ」

「ナイフ投げの名人……」

「そうだよ。貴族のお嬢さんなのに男に引けを取らない身体能力の持ち主でさ、女のアタシも期待しているんだ。だって噂じゃ王太子妃になったんだろう?」

 

「そうです。ダーラウがあんなことにならなければ盛大な結婚式を挙げられたのに……」

「本当だったんだね! アタシは嬉しいよ! じゃあ、こっちもサービスしておくよ!」


 陽気に話す酒場の女性はもう1つの酒瓶もテーブルに置いて、空いている椅子に腰かける。彼女にとっては仕事より噂話のほうが大事らしい。


「そういえば、ルナリア様の婚約者だったトレヴァー様はどうしているんだい? あるときからすっかり姿を見なくなったけど……」

 

「あるとき?」

 

「そうさ、あれは……そうだ! ルナリア様が海で溺れたときだよ。確か12歳くらいだったね。泳ぎも得意なお嬢さんがどうして海で溺れたのかって大騒ぎになったんだ」

 

「ほう。それは不思議ですね」

 

「だってね、その日は確か、お嬢さんの婚約の日だったらしいよ。急に姿が見えなくなってさ、そりゃあもう大騒ぎだよ。ここにもダーラウの役人が探しに来た」

「えっ、婚約の日に?」

「本当に、かわいそうな話さ。捜索も夜通しおこなわれたけど、数日行方不明だったと聞いたね。もう絶望的だと思ったのに、砂浜で気を失っているところを発見されたらしいよ」


 ユージーンとティオはそれぞれ顔を見合わせた。


「まさに『神隠し』ですね」


 つぶやくように言ったのはジェレルだった。

 酒場の女性はそこではじめてジェレルの顔をまじまじと見つめる。


「あらー! このお兄さん、ずいぶん美形だねぇ」

「ありがとうございます」

「今夜はゆっくりしていって」


 ようやく酒場の女性は立ちあがり、別のテーブルへ向かった。

 ティオが声を潜めて「ふー」と息を吐く。ユージーンがクスクスと笑った。


「意外なところでトレヴァーとの婚約が成立しなかった理由がわかったな」

「そうですね。運命の悪戯いたずらとしか言いようがありません。まさかそれが王太子妃になる未来つながるなんて、ルナリア様は考えもしなかったでしょう」


 すっかり感心した様子のティオとは対照的に、ジェレルはただじっと目の前の椀を見つめていた。

 ユージーンはジェレルに気遣うような視線を投げかける。

 

「神隠し、か。海で溺れて、砂浜で発見された、というのがどうも腑に落ちないが、とにかく命があって本当によかった」

「ええ」

 

「ルナリア嬢には何も話していないのだろう?」


 ユージーンの真剣な視線を受けて、ジェレルはこめかみに指をあてがった。

 ジェレルとて、いつかはルナリアに話さなくてはならないことはわかっている。半ば強引に彼女を王太子妃とした経緯を――。

 

 しかし、いつ、どのように、何を話せばいいだろう――?

 この結婚は運命だった――といえば、彼女は納得するだろうか?


 ジェレルは椀に残る酒を一気に飲み干す。

 

 邪神は必ずこの手で討ち滅ぼす――。

 そして悪夢のような輪廻を断ち切り、完全に終わらせる。


 そのためにジェレルは剣を取り、進み続けると決めた。

 しかしジェレル自身はともかく、ルナリアまで巻き込む必要はないのかもしれない。

 彼女の本心を確認せずに妻としておきながら、今さら迷いがあるとは誰にも悟られるわけにはいかないのだが――。



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