第2話 変わりゆく俺の日常

 俺が通っている学校は、23区の中でも比較的にいい立地にある。

 かの混雑で有名なオレンジ色の路線の満員電車に揺られながら、俺はふとそう考えた。高校から始まったばかりの電車通学にはまだまだ慣れないが。

 殺伐とした朝ラッシュでは席に座ることは不可能だが、家から一本の電車で学校まで1時間以内にたどり着けるのはそう悪くないと実感する毎日である。朝のけだるい時間に毎日階段を上り下りして乗り換えするのには俺には無理だ。吐く。

 つり革につかまってしばらく舟を漕いでいたところ、学校の最寄駅の放送が流れ、俺は下車した。


 

 学校に着いた俺はいつものように最後尾の窓側に座り、クラスの誰とも喋ることなく机に突っ伏す。

 4月も後半に差し掛かった今、クラスの人間関係は基本的に出来上がっており、スタートダッシュを切り遅れた俺は、見事おひとり様だ。

 まあ新たな人間関係はこれからも築く予定はないが……。


 俺はふとこう思った。

 こうなるとどうしても初日に声をかけてきたあの子のことが気になる。い、いや、別に好きというわけじゃないから。

 しかし初日からあんなに大胆な行動を仕掛けてきたとはいえ、それ以来何も声をかけられることはない。

 たまに目が合う程度だが、それとなく気まずくなってしまい、向こうから目をそらされるだけだ。何度か向こうも話かけてこようとしているが、なかなかタイミングが見つからないのだろう。

 (あれは本当に彼女なのか……?)

 彼女と遊んだ時間はかけがえのない思い出だし、どうしても気になって仕方がないが、俺の性格も相まってこちらから声をかける勇気は到底ない。

 ここ近年、在日外国人が周りに増えているのは珍しくないだと思うが、ここまで日本語が堪能でそこそこ難関ともいわれる私立高校に一般入試で突破することは難しいはずだ。入試では特に国語とか苦戦するだろう。


 結局そのあとも堂々巡りしただけで、自分の中では答えは出なかった。



 4時間目が終わり、ようやく昼休みがやってきた。

 俺はみんなが騒いでいる教室で食事をするつもりは毛頭ない。

 大体こういうのは屋上で昼食をとるのが漫画やラノベ、アニメでは一般的だと思うのだが、現実は非情なものだ。屋上は鍵がかかっており、立ち入り禁止である。

 そんなわけで俺が数日かけてぼっち飯スポットに適した環境を見つけたのが校舎を出て右に曲がり、教員用の駐車場を過ぎたところである。やっぱり高校は最高だ。中学校までは給食で必ず大勢で食べなきゃいけなかったからな。あの環境はどうも慣れない。

 そこは元々は喫煙スペースとして利用されていたのか雨よけの屋根があり、日陰の部分に机と椅子、灰皿が置かれている。このご時世なので、数年前からは校内全域が禁煙になったらしい。つくづく令和は世知辛い世の中だと思う。

 そんなわけで俺以外に人がいるはずもなく、毎日風通しもよく静かなここで昼食をとることになっている。購買で買ったサンドイッチをここで食べるのが俺の日課になりつつある。

 食べ終わった後には少々風にあたり、その後は図書館で本を読み漁るのが俺なりのルーティンだ。蔵書も豊富でそれなりに気にいっている。

 昼休みに借りる本を考えつつ2口目を食べた瞬間である。

 「結城くん。」

 俺以外に人がいるとは思わなくて吹き出しそうになり、急いで飲み込んで後ろを向くとそいつはいた。

 「なぜ来た。」

 周りに人がいないので注目されないという状況で彼女と会話ができることに感謝はしているが言葉と感情は裏腹な物である。今更だがひねくれてるな俺。

 「えへへ、勇気を出してついてきちゃった♪」

 えへへじゃねーよ。男女逆だったら完全にストーカーだ。警察へGO案件じゃねえか。

 回りくどいのはあまり好きではないので、単刀直入に聞いてみることにする。

 「お前、本当にあーちゃんなのか?」

 彼女は驚いた表情をしつつ、しかし直後には嬉しそうに顔を綻ばせた。

 「覚えてたんだね……。嬉しい」

 ああ。

 忘れるはずがない。

 俺の人生の中で一番輝いていた瞬間だったからな。

 口に出すのは恥ずかしいが、お前には本当に感謝しているよ。

 10年以上隔ててたとはいえ、俺たちは俺たちのままだと実感した。

 

 ただ教室で昔のように呼び合うのは無理だろう。

 変にあだ名で呼び合っても、『なんだお前学年一の美少女と親しげに呼び合って。』などと男子から殺されそうになるのは目に見えているので、互いに苗字で呼び合うことを俺は提案しようとした。

 「教室で呼ぶときは苗字で呼んでいいか?クラスメイトに変に注目されるのは憚れる。」

 笑っている彼女の顔から一瞬悲しそうな表情になったのを俺は見逃さなかった。

 それでもすぐに取り繕って、こう続けた。

 「うん、まだ4月だもんね、あまり目立たない方が私もいいと思う。」

 なぜだ。

 確かに小さい頃は気軽にお互いをあだ名で呼び合っていたが。

 ……学校にいる間だけでも苗字で呼ばれるのは嫌なのだろうか。それとも俺の気のせいか。

 彼女は俺の雰囲気に気が付いたのか慌てて、

 「あ、いや、別に苗字で呼ばれるのが嫌いじゃなくて、そ、そのっ、ちょっと恥ずかしいというか……」

 考えていたことが一時的にすべて吹き飛んだ。

 いきなり反則かよ。

 学年一の美少女のデレはやはり強烈だった。


 昼食も食べ終わり、教室に戻ろうとしたとき、人が増えてきたので俺は早速苗字で呼ぶことにした。もちろん彼女は中国人なので一文字である。

 「王さん、5時間目の授業はなん――」

 そこでクラスの喧騒が入る。

 「青山さんやっぱりかわいい~」

 「それな、学年一の美少女と付き合えたらマジで最高だろ。」

 ん?

 青山さん?

 俺の記憶の中では確か王茜だったはずだが……?

 中国の子じゃなかったの?いやそんなはずはない。

 彼女はばつが悪そうに口を開く。

 「あはは……。実はいろいろあって苗字が変わってて……。国籍は中国のままだけどね。」

 俺は察してしまった。

 俺は彼女がこの10年間で変わってしまったことを否応なく突き付けられた。

 外見の面でもそうだが、家庭環境も変わってしまったとは。

 昼休みに見た彼女の悲しげな顔は気のせいではなかったと思い知らされた。

 これからも変わらないままやっていけると思っていたのは甘かったのか?

 少なくとも俺の中では――― いや俺たちの中では。

 

 


 俺たちを隔てた10年以上の時間は、〈こーくんとあーちゃん〉を《結城光晴と青山茜》という別人に変えるのに十分すぎる時間だった。

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