第2話 自由と不自由の間で
夜のパークは、昼間とは別の顔をしていた。
昼間の喧噪は消え、鉄の遊具だけが月光に照らされ、静かにきらめいている。
芝生の上に、二つの影が並んでいた。
ひとつは、細身の少年。
もうひとつは、小柄な少女。
陸と、結菜。
ベンチに座るでもなく、地面にそのまま腰を下ろして、ふたりは言葉少なに時間を過ごしていた。
結菜は、左足をまっすぐ伸ばしている。
スカートの隙間から覗く義足が、月明かりに鈍く光る。
それを見せることに、もはや恥じらいも、隠す意図もなかった。
──ここで生きる。それだけだ。
結菜の姿勢から、そんな覚悟のようなものが滲んでいた。
隣では、陸が無造作に工具箱を開けていた。
手の中で、小さなモーター部品をいじりながら、ふと口を開く。
「なぁ……義足ってさ。」
結菜は返事をしない。
ただ、横目で陸をちらりと見る。
「……すげぇよな。」
少年らしい、真っ直ぐな声だった。
「走れるんだろ? 跳べるんだろ?
なんか、もう、超人みたいじゃん。」
言ったあと、陸はすぐに気まずそうに口をつぐんだ。
不用意だったかもしれない――そんな空気が一瞬、ふたりの間をよぎる。
けれど結菜は、怒らなかった。
怒る気にも、なれなかった。
代わりに、仰向けになって夜空を仰いだ。
「……超人ね。」
結菜の声には、笑いも怒りもなかった。
ただ、どこか乾いた響きがあった。
白い月と、散らばる星たち。
その冷たい輝きを見上げながら、彼女はぽつりと呟いた。
「走れるようになったからって、自由になれるわけじゃないよ。」
陸は、思わず顔を上げた。
その一言が、思いのほか重かったから。
「え……?」
思わず漏れた声。
結菜は、かすかに笑った。
それは、あまりに寂しい笑みだった。
「走れる。跳べる。すごいねって、みんな言うよ。
でもね──」
スカートの布を、ぎゅっと握りしめる。
月光が、その指先を白く浮かび上がらせた。
「隣に並んで歩いてくれる人がいなかったら、どんなに速くたって、どんなに高く跳べたって、意味なんかないんだよ。」
陸は、息を飲んだ。
周りの「優しさ」。
「すごいね」という賞賛。
その裏に隠された、「違う」という視線。
それが、どれほど冷たく、孤独なものかを、結菜は知っていた。
静かな夜風が、草の匂いを運んできた。
ふたりの間には、言葉にならない何かが流れていた。
陸は、無意識に握ったモーターを見下ろした。
自分が作ろうとしていたものは、
「走るための脚」だった。
「跳躍できるための脚」だった。
──それが、結菜にとっての「自由」だと、信じて疑わなかった。
壊れたものを直すこと。
速さを与えること。
目の前の「不自由」を消してやること。
それが、自分にできる、唯一の優しさだと信じていた。
機械で人を救える。
技術で未来を変えられる。
小さい頃から、そう信じて疑わなかった。
けれど今、目の前にいる結菜の孤独は、
どんなに速い義足でも、どんなに精巧なモーターでも、
きっと埋められない。
自由とは、ただ走ることじゃない。
誰かと並んで、同じ歩幅で、笑えること。
それが、彼女の、本当の「自由」だった。
結菜は、ゆっくりと体を起こし、陸を見つめた。
その視線は、強く、まっすぐだった。
「だから、お願い。」
左足の義足を地面に踏みしめる。
「私が、隣にいられる脚を作って。」
その言葉には、切実な祈りが込められていた。
けれど、哀れみはひとつもなかった。
ただ、自分自身を貫くための、願い。
陸は、胸の奥に火がつくのを感じた。
それは、単なる技術への情熱じゃない。
人と人を、本当に「つなぐ」ためのもの。
拳を握りしめ、少年は答えた。
「……ああ。作るよ。」
静かだけど、誰よりも強い声だった。
結菜は、ふっと微笑んだ。
月明かりの下で、その笑顔はとても小さく、とても尊かった。
そして、ふたりの影は、草の上に静かに並んだ。
まだ未完成な未来に向かって、最初の約束を交わすように。
――自由とは、走ることではない。
誰かと、並んで笑えることだ。
【続く】
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