第31話 脱出と違和感への疑問 ※アレクシス視点

 神殿からの脱出は、拍子抜けするほど簡単だった。


 女神官たちを連れての脱出計画を立てた時は、もっと困難を予想していた。老賢者たちの目を欺き、門番を避け、追手を振り切る。様々な障害を想定し、念入りに準備していた。しかし実際は、老賢者たちは名誉と金に夢中で、他のことを全ておろそかにしていたのだ。私たちが逃げ出すなど、想像の範囲外だったのかもしれない。


「皆さん、今夜、この神殿を出ます。必要最低限の荷物だけを持って、指定の場所に集合してください」


 事前に状況を説明した。そして、とうとう実行のとき。それを伝えた時、女神官たちの目には恐怖と期待が混ざった光が宿っていた。彼女たちの多くは幼い頃から神殿で育てられ、外の世界を知らない。それでも、老賢者たちの理不尽な要求を知って、未知の世界へ踏み出す方を選んだ。


 夜が深まり、私たちは一人また一人と神殿の裏門から姿を消した。神殿の者たちに気づかれたという気配はない。


 最後に私が神殿を出る。ここまで、何も起きていない。




「全員、無事に脱出できました」


 女神官たちの顔に浮かぶ安堵の表情を見て、私も心から安らいだ。だが、まだ安心できない。約束の地点へ向かう。


「お待ちしておりました。こちらです」


 そこで待っていたアンクティワン氏と彼の仲間たちと合流する。ギルド長であるバロン氏や、ジャメル氏の姿もあった。彼らに案内してもらった新しい拠点で、すでに受け入れの準備が進んでいた。


「これから皆さんには、この拠点で生活してもらいます」


 アンクティワン氏には、感謝してもしきれない。彼の商会は完璧に準備を整えてくれていた。住居から食事、そして私たちの新しい活動拠点まで。長年の商人としての人脈と資金力を駆使したのだろう。


 「アンクティワン殿、本当にありがとうございます」


 深々と頭を下げる私に、彼は穏やかに微笑んだ。


「いえいえ。これは組織のトップに立ってくれることになった女性がいたからこそです。ノエラ様のおかげですよ」

「ノエラ、さま……」


 ノエラ。彼女の名前を聞いて、胸の奥で何かが引っかかるものがあった。


 まるで記憶の奥底から何かが呼び覚まされるような不思議な感覚。頭の中で反芻してみる。


 ノエラ……ノエラ……。以前、どこかで聞いたような。いや、思い出せない。


 それから、そのノエラという女性と対面する場面がやってきた。彼女と目が合った瞬間、説明のつかない違和感を覚えたのだ。まるで、以前から知っているような……いや、もっと特別な何かを感じたような。胸が締め付けられるような感覚。


 だが、それは不可能だ。記憶を辿っても、彼女と会ったことはない。神殿にいた頃、そんな女性との接点はなかったはず。彼女は冒険者だと聞いている。私が神殿外の冒険者と交流する機会など、ほとんどなかった。


 なぜ彼女を見ると、そんな感覚に襲われるのか。理解不能だった。だけど、一つだけ確信していることがある。


 答えは彼女にある。


 ただ、今はその違和感を究明することよりも大事なことがある。新たな生活を軌道に乗せ、女神官たちの安全を確保することだ。


 私は彼女と協力し、全力で協会を大きくすることに集中した。神殿が手出しできないよう、急いで実績を積み、市民を味方につける。そうすれば、どんな権力でも簡単には手出しはできないようになるはず。そう信じて、私は活動に全力を注いだ。




 ノエラさんのリーダーシップは素晴らしかった。的確な判断力、メンバーへの気遣い、そして何より飛び抜けた実力と強い意志。知識だけでなく、実際の経験に基づいた指導には説得力があった。彼女の下で働くことに、不思議な安心感を覚えた。


「アレクシスさん、この依頼はどう対処しましょうか?」

「こちらの方法で進めてみてください。それでも不安があれば、ノエラさんに相談するといいでしょう」

「はい、ノエラさんですね!」


 女神官たちも彼女と交流してすぐ信頼し、指導を素直に受け入れていった。神殿で厳しい規律に縛られていた彼女たちが、今は生き生きと仕事に取り組んでいる。


 想像していた以上に早く、協会の存在は急激に大きくなった。もともとノエラさんのチームは、冒険者ギルドでかなりの評価を得ていたらしい。その彼女がトップに立つ組織。市民からの信頼も厚く、依頼は次々と舞い込んでくる。一方で、神殿の評価は地に落ちていた。


 まさか神殿が、あんな早さで衰退していくなんて。それだけ彼らが、女神官に頼りきりだったということ。自分たちでどうにかする力を持っていない。


 聖女の評価も、今は神殿と同じように地の底だった。これもまた、違和感の一つだった。聖女が、こんなにも簡単に信頼と評価を失うものなのか? 長い歴史を積み重ねてきたはずの神殿と聖女。なぜ、そんなことになってしまったのか。ずっと尊敬していた聖女の立場が、ここまで落ちるとは思いもしなかった。


「以前の神殿」


 この言葉が頭の中でずっと引っかかっていた。何か、大事なことを忘れているような感覚が、ずっと残っていた。




 状況が落ち着いてきた頃、私は思い切ってノエラさんに話しかけた。彼女とは一緒に仕事をすることが多く、徐々に関係も深まってきた。これ位の話をしても大丈夫だという判断があった。


 協会の執務室で、二人きりになった時を見計らって話してみる。


「ノエラさん、お話があるのですが」

「はい、何でしょう?」


 彼女は書類から顔を上げ、私を見つめた。その瞬間、またあの違和感が。


「実は……あなたを見ていると、どうしても記憶に引っかかるものがあるんです」

「っ!?」


 正直に告白してみる。私の言葉に、彼女の表情が変わった。やはり、彼女になにか関係あるのか。驚きと、何かを予期していたような表情だった。


「……それは一体?」

「神殿にいた頃から感じていたのですが、何かが欠けているような感覚があります。そして、あなたとお会いした時も……説明のつかない感覚を覚えました」


 ノエラさんは静かに私を見つめていた。その目に、複雑な感情が浮かんでいるのがわかった。驚き、恐れ、そして……罪悪感?


「実は……」


 彼女がゆっくりと口を開いた。


「私は、その違和感の正体を知っています」


 心臓が大きく跳ねた。やはり、そうだったのか。答えは、彼女の中にあった。でも、それがどうしてなのか。私には、わからない。


「どういうことなのでしょうか?」

「長い話になりますが、聞いてくださいますか?」


 私は深く頷いた。


「はい。お聞かせください」


 ついに、この長い間感じていた違和感の正体が明かされる。私は、彼女の話に神経を集中させて、耳を傾ける。彼女が語り始めた言葉の一つ一つが、まるで霧の中から浮かび上がってくるような、そんな感覚だった。

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