第3話 剣と薔薇と、熱狂と

朝の光が差し込む前、千春はすでに目を覚ましていた。

学校は休み。課題も放置。でも、今日は『演者モード』配信のある日だった。


──数日前、出演枠の当選通知が届いていた。


(……やっと、またアリシアになれる)


スマホを握る手がじんわり汗ばんでいる。


《本日の出演枠:アリシア・フォン・ローゼンベルグ》

《配信開始時刻まで、あと00:05:22》

《ルートタイプ:大陸親善舞踏会/因縁邂逅イベント》


画面に表示されたカウントダウンを、千春は食い入るように見つめた。


「……嘘。もうすぐ、本当に始まるんだ……」


千春の胸が高鳴る。


2回目。


最初は本当に偶然だった。

『体験版演者ログイン』。

まさかの悪役令嬢ルート。


コメントの波、バズった台詞、推される感覚。


視られるって、こんなに気持ちよかったっけ。


以来、千春は毎日、配信スケジュールを確認していた。

いつの間にか「見るだけ」じゃ満足できなくなっていた。


「また演じられる……アリシアになれる……」


小さく呟いて、ベッドから起き上がる。

ログインの準備は、とうに済ませてあった。


***


「……また通知来てる」


スマホを開いた拓の顔が、にやりと笑みに歪む。


《本日の出演枠:アレク・ヴェルンハルト》

《配信開始時刻まで、あと00:05:22》

《ルートタイプ:大陸親善舞踏会/因縁邂逅イベント》


(──舞踏会か。恋愛フラグ、ざまぁ展開、英雄演出……)


スマホを眺めながら、拓は口元を緩めた。


「また人気出そうなルートじゃん。……俺、そのうちトップランカーになったりして」


《現演者ランク:4127位→873位(急上昇)》


画面の数字は、まだ遠い。


でも、

手が届かないなんて──今は思えなかった。

先週のログインで得た報酬は、1日のバイト代の二倍。


「はは……もう、バイトとか戻れねえな、これ」


拓は、自分が選んだわけじゃない『完璧な王子様』のアバターにログインする。

でも、嫌じゃない。


誰かに賞賛されるのは、シンプルに気持ちいい。


(今日もキメてやるか。アリシア?断罪姫、だっけ)


スキルもセリフも、視聴者投票で決まる。

だからこそ、自分の動きが「完璧にハマった」ときの快感はヤバい。

あたかも自分が全部決めたような錯覚さえ、与えてくれるんだ──このゲームは。


拓はスマホを見つめたまま、ぽつりとつぶやいた。


(でも…誰がやっても同じなら、みんな演者になりたがるんじゃないか──)

(こんなに簡単に、人気者になれるんだったら)


そんな違和感が一瞬よぎったが、すぐにかき消した。


表示されているルート情報を、ざっと確認する。


《ルートタイプ:大陸親善舞踏会/因縁邂逅イベント》


(……舞踏会、か。恋愛フラグ濃厚ルート。ざまぁ展開も期待できそうだな)


「ま、断罪姫を剣で助ける展開でも来たら──完全にプロポーズイベントじゃん」


拓はニヤリと笑い、ログインボタンを押した。


***


《大陸親善舞踏会ルート開始》


舞台は、アリシアの祖国──グランシュタイン王国のクリュスタリア宮殿。

五年に一度開催される『大陸親善晩餐会』は、近隣国との外交と社交界の頂点を担う、由緒ある一大行事。


各国の王族や貴族、魔導士団や聖騎士団までもが顔を揃える、最高格式の舞踏会である。


アリシア・フォン・ローゼンベルグは、前回の断罪騒動以降も『悪役令嬢』としての名を囁かれつづけていたが、今回は名誉回復と社交界復帰の象徴としてグランシュタイン王国の王妃の命で招かれた。


一方、隣国フェルディナント王国から公式に招かれたのが──戦場で『神威』と称された若き王、アレク・ヴェルンハルトであった。

彼の来訪は、外交儀礼の名を借りた『次期盟友国』選定の一環とも噂されており、各国の注目を集めていた。


そして今、その二人が、王国随一の社交舞台の中央で──出会う。


《演出ルート:因縁再会→剣戟イベント併設/視聴者投票:好感度調整モード》


——舞踏会の広間。


金色と瑠璃色に彩られたフロアの中央で、

アリシアとアレクが、静かに視線を交わした。


アレクは、一歩だけ前に進み出ると、好奇心を隠さずまるで値踏みをするように、じっとアリシアを見つめた。


(……うわ、なに、じろじろ見すぎ)


千春は、心の中でムッとする。


(……でもアリシアなら、こんな時も誇り高く振舞う)


胸の奥で、そっと姿勢を正した。


「その視線、不躾ではなくて?

……粗野な成り上がり国の王には、礼儀も教養も期待できないのかしら」


アリシアは、微笑を浮かべて涼やかに言い放った。


(……おもしれぇ)


拓は、アレクの中で無言のまま思った。


(設定どおり、気が強そうだな)


いいじゃん、と心の奥でニヤリと笑う。


「それはこちらのセリフだ。さすが、グランシュタイン王国で名高き『高慢姫』。

美しい薔薇にはとげがあるということか」

「悪名高き…と言いたいのかしら」


小さな火花が散る。

広間にざわめきが走り、観客数が一気に跳ね上がった。


《視聴者コメント:#険悪すぎて逆にアツい #この二人…最高か?》


だが次の瞬間──


何者かが剣を抜き、アリシアに向かって踏み込んだ。


《イベント分岐:不審者襲撃→即時連携可能モード》


「っ──!」


アリシアが身をひねるより早く、アレクが飛び込む。


《連携スキル発動:双翼の誓い》


アレクの剣が閃き、襲撃者の一太刀をはじく。

振り抜いた剣が空を裂き、舞踏会の天井に彫刻された紋章を煌々と照らす。

直後、アリシアの手が翻り、隠し持った短剣で敵の脇腹を刺し抜いた。


《カメラ切替:180°回転+光粒子演出+連携エモーションBGM再生》


スローモーション。

光の粒子が舞い、二人のシルエットが金色に縁取られる。


《視聴者コメント:#今のコンボ見た? #伝説入り確定 #こっちが照れる #最強ペア爆誕》


──完璧な連携。


二人は背中合わせに立ち、会場を見渡す。


アリシアは、高慢でも傲慢でもない──ただ、誇り高い声で言った。


「……借りは、すぐ返しますわ」


アレクは目を細め、ほんのわずかに笑った。


「楽しみにしているよ」


その時、遠巻きにしていた貴族がひとり、口を開いた──


「騙されるな。

この女は、過去にグランシュタイン王国の転覆に関与していたという噂が──」


その瞬間、アリシアの視線が氷のように鋭くなる。


「発言の根拠は?……なければ、名誉毀損ですわね」


《演出強化:高貴なる一瞥→ざわめきBGM+緊張感エフェクト》


アレクが剣を掲げる。


「名誉を汚された彼女に代わり、

フェルディナント王国の王アレク・ヴェルンハルトが、これを晴らす」


《分岐発生:即席決闘モード/支持率85%により決定》


決闘開始──


アレクの剣閃が火花を散らす。

アリシアは、ただ静かに立ったまま、

誇り高く、微動だにせず、彼の戦いを見届けていた。


それは、公爵令嬢の矜持そのものだった。


──まるで、「この程度で取り乱すような令嬢ではありませんよ」とでも言うかのように。


アレクの剣が閃き、

相手の剣を叩き落とし、勝敗は決した。


広間には、静かな熱狂が満ちていた。

観客席、総立ち。


《視聴者コメント:#踊る決闘 #革命カップル #見惚れた #このペア無限に見たい》


勝利。光。


バラの花弁が降り注ぐ中、

グランシュタイン王国の王妃が静かに立ち上がる。


「フェルディナント王国の剣、アレク・ヴェルンハルト国王陛下。

グランシュタイン王国の薔薇、公爵令嬢アリシア・フォン・ローゼンベルグ嬢。

この『剣と薔薇』の信頼により、今宵の晩餐は守られました」


アレクが、迷いも見せずにアリシアに手を伸ばした。

けれど──彼は、ただ手を取るだけではなかった。


すっと──

アレクの手が、アリシアの細い腰を軽く抱き寄せる。


「舞踏会だ。……少し、踊りませんか?」


その声は低く、しかしどこか微笑を含んでいた。

近い。思わず、アリシア──いや、千春は息を呑んだ。


だが、戸惑いを見せる暇も与えず、アレクは自然な流れで彼女を舞踏のポジションへと導いていた。


(え、ちょ……近っ……!)


心の中では慌てるけれど、外側は──

アリシアとして、気高く、涼やかに微笑みを崩さない。


「──ええ。今日は、少しだけ、気分がいいの」


舞踏会の音楽がふたたび流れ始める。


二人の影が、金色の床に重なる。

そして、観客席からは静かな、だが確かな熱狂が広がり始めた──


《評価:視聴者熱狂度97%/クラウドギフト総額18,900円/恋愛フラグSランク判定》

《視聴者コメント:#腰取り王 #このカップル何度でも見たい #革命的ロマンス爆誕》

《演者ランキング更新:アレク873位→497位/アリシア2987位→921位(急上昇)》

《演者評価:好感度+28%/演出シンクロ率94.7%/瞬間視聴者数歴代TOP50入り》


演じるということが、これほど気持ちいいとは──


二人の心は、まだ『誰か』に選ばれていた。

でも、その夜だけは。


──まるで、自分たちで物語を動かしていたかのように、思えた。


***


《アリシア・ログアウト完了》


千春は、インターフェースを頭から外した。

配信アーカイブの再生数は跳ね上がり、

通知欄にはコメント、投げ銭、ランキング更新──数え切れない情報が溢れていた。


「……え、これ、私?」


夢みたいだった。

でも、頭の奥には、さっきまでの舞踏会の記憶が鮮やかに残っている。


(……あそこ、不審者の動き、ちゃんと読めた)

(誰かに指示されたわけじゃないのに、自然に、動けた)


小さな手応え。

視線をそらさず、空気を読み、アリシアとして振る舞えた自分が──

ほんの少し、誇らしかった。


そして、胸の奥に残るのは──


(……すごかったな、あの時)


ふわふわする。

肌の奥がじんわりと熱い。

誰かに見られて、讃えられて、光の中にいた高揚感が、まだ消えない。


(──見られるって、こんなに気持ちいいんだ)


身体が、頭が、ふわりと軽い。

少し、呼吸が浅くなる。


──でも。


(……アレクと、あんな急に……)


腰を取られたときの感覚。

悪いわけじゃなかった。

でも、本当に、あれを望んでたかと聞かれたら──少し、違う気もした。


千春は、スマホを置き、天井を見上げた。


言葉も、動きも、空気も──

自分のものみたいで、でも、どこか違う。


《好感度+表示》

《クラウドギフト総額:8,400円》


通知が鳴るたび、胸のざわつきは、柔らかい光に溶けていく。


(……もう一回だけ)


今度は、ほとんど反射だった。


千春は、スマホを握り直した。


***


《アレク・ログアウト完了》


拓はギアを外した。

微かに汗ばんだ額に、冷たい空気が心地よい。


ベッドに倒れ込み、スマホを手に取る。

アーカイブ映像が流れ始めた。


舞踏会。

金色の広間。

アリシアと並び、不審者を迎え撃つ場面。


──剣をはじき、短剣が閃き、背中合わせに立つ。

その瞬間、空気が震えた。


──脳が、ふわりと浮く。


全身がじわりと熱を帯び、甘く痺れるような感覚が駆け抜ける。


(ヤベぇ……これ、ヤバいぐらい気持ちいい)


視界の隅に流れ続けるコメント。


《#今の連携神すぎ #双翼コンボ完璧 #背中合わせからのざまぁ最高!

《#これが伝説の始まりか #革命的ロマンス爆誕 #推せる以外の選択肢ある?》


浮かび上がる《連携成功率99%》の文字。

脳がふわふわして、胸の奥がじんじん熱かった。


(やっぱ俺、天才じゃね?)


だが──

画面は、そのまま切り替わる。


剣を納めたアレクが、アリシアに歩み寄る。


「舞踏会だ。……少し、踊りませんか?」


──すっと、アリシアの腰に手を回す。


(……ん?)


一拍、遅れて胸の奥に引っかかりが走った。


(俺、こんな……したかったか?)


剣を振るうのは、わかる。

戦うのは、気持ちよかった。


でも──

恋愛?舞踏? 

女を抱いて、踊る?

しかも、あんな自然に?


画面の中の自分は、涼しい顔でアリシアを抱き寄せ、優雅に回り出している。


コメント欄は爆発していた。


《#今の連携神すぎ #双翼コンボ完璧 #背中合わせからのざまぁ最高!

《#これが伝説の始まりか #革命的ロマンス爆誕 #推せる以外の選択肢ある?》


──違う。

どこか違う。

でも、ふわふわした熱が、また押し寄せる。


《視聴者熱狂度97%》

《クラウドギフト総額18,900円》

《演者ランキング:873位→497位(急上昇)》


──気持ちいい。

止まらない。


違和感は、甘い興奮に溶けていった。


(……まぁ、いいか)


拓はスマホを胸に抱え、深く息をついた。


──たとえ、誰かに選ばれた動きだとしても。

──たとえ、本当は「違う」と思ったとしても。

──この気持ちよさに、勝てるわけがなかった。


***


もし何か心に触れるものがあれば、★で応援いただけるとうれしいです。

https://kakuyomu.jp/works/16818622174047666971

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る