第11話 野外授業

セナ18歳

 月日は流れ訓練学校の最終年。高学年に上がってからは、強くなることに必死過ぎて、まるで砂時計の砂が加速するように時間が過ぎ去っていった。今日は訓練学校に入学して以来、初めての野外授業だ。

 朝の冷気が頬を撫で、静謐な森の空気が肺に満ちる。ジャビスの街を背にし、野外訓練場のある森へと向かう道すがら、俺は周囲のクラスメイトたちを観察した。緊張に包まれ強ばった表情、高揚感を隠しきれない表情など様々。前を歩くヨナ先生やガルバ先生をはじめとした教師陣は、いつも以上に鋭い目つきをしており、張り詰めた雰囲気が滲み出ていた。この野外授業は、一年を通して冬季に2、3回しか行われない。それには理由があり、冬季になるとこの森の魔物の活動が極端に減少するため、この時期にのみ野外授業が行なえるのだ。しかし冬季とはいえ、魔物は生息している。しかも、森に足を踏み入れるのは、俺たちのような魔物と戦闘経験も無い素人だ。教師陣が気を張り詰めるのも無理はない。もちろん事前に教師たちが偵察し、安全を確認したうえでの実施となる。それでも完全に危険がないとは言い切れない。だからこそ、俺たち生徒は教師陣の指示に従い、決して勝手な行動を取らないようにしなければならない。

 ただ、俺自身この日を待ち望んでいたため、興奮が先行してしまいそうになる。普段授業を行っている学校の中庭は広く充実した訓練を行えるが、周囲は校舎に囲われ生徒も多くスキルの使用には一定の制限がかかってしまう。だが、森の野外訓練場ではそうした制約がほぼ撤廃される。純粋な実力を試せる絶好の機会なのだ。

「なあ、セナ。今日の訓練、どこまで本気出す?」  

 ぶつぶつと試すことリストを復習していた俺に、隣を歩くリオンが、口元に余裕の笑みを浮かべながら問いかける。その佇まいに、一切の迷いはない。

「当然、全力だ。待ち望んだ野外授業だからな。今日の俺は一味違うぞ」

 言葉に力を込めてみせるものの、リオンはどこか愉快そうに笑い、肩をすくめた。

「そうか。それじゃあ、俺も適当に手を抜かないようにしないとな」

 言葉には余裕を感じられるリオンだが、高揚感を全く隠せておらず、瞳は獲物を捕捉した獰猛な獣のように爛々としている。

「全く取り繕えてないぞ。目がキマってる。そもそも、お前が手を抜いたことなんて、一度でもあったか?」

「ははっ!ばれたか!興奮し過ぎて寝れなかったぜ」

 互いに軽口を叩きながら、俺たちは深く静かに息づく森の中へと踏み込んでいった。

「到着だ」

 ガルバ先生の声で足を止める。視線の先には、広々とした野外訓練場が広がっていた。岩場や倒木、斜面などの地形が自然のまま残され、まさに実戦さながらの環境だ。そこにはすでに偵察をかねて先発した教師陣が待機していた。元冒険者や騎士だった教師陣が鋭い眼光で俺たち生徒を見つめている。生徒たちの安全を管理するためであり、3年生の俺たちの実力を見極めるためでもあるのだろう。

「では、ここで野外授業を行う。各自、互いの距離を取りながら、自分の限界を試してみるように。ただし、無理はするな。何かあれば、すぐに報告すること。いいな?」

 「はい!」

 ガルバ先生の指示を受け、俺たちは訓練場へと散らばっていく。

 この野外授業の目的は、「己の限界を知ること」。限界ギリギリまで引き出した魔力量をコントロールし、どれほどの威力を発揮できるかを試す。

「……よし、やるか」

 ロングソードの柄を握り、深く息を吸い込む。緊張と高揚感が入り混じる中、俺は静かに覚悟を決めた。


 訓練場には、生徒たちが思い思いに技を繰り出す姿が広がっていた。

 それぞれ距離を取りながら、身体強化のみで岩を粉砕する者、高火力の魔術で的を撃ち抜く者、自然地形を利用した剣術の模擬戦闘を行う者。誰も制限の無い環境での授業に没頭していた。

 俺もロングソードを振るいながら、自分の技の感触を確かめる。

 「身体強化!」

 魔力を込めると、身体の奥底から力がみなぎるのがわかる。まずは普段の2倍程度の魔力を脚と腕に流してみる。魂の底に広がる清澄な湖から、四肢に向かってレールを敷くように流れをつくる。次第にレールの幅を広げていくと、普段よりも四肢を纏う魔力の感覚が強まる。

 (ここだ!)

 地面を押し切り一瞬で跳躍、目の前に聳え立つ岩を捉える。岩に対して、上段に構えたロングソードを躊躇無く袈裟斬りに叩きつける。岩の表面に深く食い込んだ刃は、少しの抵抗を感じながらも岩の破片を撒き散らせながら切断していく。斬るというより、叩き割るという表現が正しいだろう。堅牢な岩を強引に砕いたロングソードは、至るところに刃こぼれが見受けられた。身を削りながら岩を砕いた証拠だ。

 「ふぅ……これじゃだめだな」

 俺の強みは、筋力強化と剣術の組み合わせによる一撃の重さだ。剣を振るう感覚は以前よりも洗練されてきているはずだ。しかし一撃の重さを求めるあまり、剣術が疎かになっている。今の一撃は、ただロングソードを叩きつけているだけ。だから刃がだめになる。岩の切断面を見ても斬ったとは到底言えないレベルの歪さだ。身体強化により生み出された爆発的な力を、剣筋に調和させることで堅牢な岩も魔物も“斬る”ことができるはずだ。

 「セナ、なんか楽しそうだなっ!」

 そう言って近寄ってきたのはリオンだった。彼の手にもロングソードが握られており、その体には至るところにち土埃が付いている。この短時間で何をやっていたのか?

 「…お前もな」

 リオンは俺よりもさらに一歩先を行く。身体強化だけでなく、魔術系統のスキルまでも自在に扱う彼の実力は、正直に言って羨ましい。

 「なぁセナ。いい機会だし、少し手合わせでもするか?」

 リオンが挑発するように笑う。望むところだ。俺が口を開こうとした、その瞬間だった。

 「……ッ!」

 遠くから教師の叫び声が響いた。

 「全員、その場から動くなっ!!」

 鋭い指示に、場の空気が一変する。

 俺たちは剣を構えながら、声の方へ視線を向けた。教師たちが険しい表情で森の奥を凝視している。

 その視線の先には、地響きとともに迫り来る異形の影があった。

 「ラッシュルボア!?……しかも、群れだと!!」

 誰かの震えた声が耳に入る。

 森の奥から現れたのは、複数のラッシュルボア。体長1.5メートルほどの猪型の魔物だった。額に生えた2本の角、鋭い牙を持ち、突進してくることしか考えていない狂暴な魔物だ。

 「なんでこの時期に魔物が活発になってるんだ……?」

 俺の隣でリオンが呟く。

 通常、冬の時期に魔物が群れで動くことはありえない。活動が鈍るはずのこの時期に、なぜか大量に押し寄せてきている。

 教師たちは即座に対応し始めた。

 「全員、訓練場の端に下がれ!!教師達が迎撃する!いいか…?決して前に出ようとするなよ」

 即座に判断を下し、魔物の前へと立ちはだかる元冒険者や元騎士だった教師たちは、剣を抜き、魔力を練り、迎え撃つ準備を整えていた。

 「くそっ……!」

 俺たち生徒は指示に従い、後退しながらも緊張感を滲ませる。

 「こんなに大量のラッシュルボアが、なぜ……?」

 俺はただならぬ事態を察し、剣を強く握りしめた。

 訓練場は、これまでにないほどの緊張感に包まれていた。

 教師たちが迎撃の構えを取ると同時に、ラッシュルボアの群れが突進してきた。生徒たちは足を震わせながらもその場に釘付けになっていた。

 ドドドドド――

「プュゴァァァーーー!!」

 地響きのような音が響き、ラッシュルボアが猛然と襲い掛かる。

 教師たちは冷静に迎撃を開始した。鋭い剣閃が空を切り、突進してきたラッシュルボアの首元を正確に斬り裂く。別の教師は魔術系統のスキルを発動し、炎の弾を放つ。

 「火炎球!!」

 サッカーボールほどの炎を纏った魔力球がラッシュルボアの群れの中央に炸裂し、数体が炎に包まれ転がる。

 「す、すげえ……」

 生徒たちは唖然としながら、教師たちの戦闘を見守っていた。しかし、群れの勢いは止まらなかった。一頭、二頭と教師たちの攻撃をかいくぐり、生徒たちの方へ向かってくる個体が現れ始めた。

 「くっ……!」

 教師たちが迎撃を続けるが、一匹だけ、一際巨大なラッシュルボアが猛スピードで駆け抜けてきた。

 俺たちの方へ向かってくる。それを見た隣の女子生徒が、恐怖で腰を抜かしていた。ラッシュルボアの鋭い牙が、今まさに彼女に襲いかかろうとしていた。

 「やるしかない……!」

 俺は迷いを振り払い、剣を握りしめた。

(身体強化!) 

 心で祈るように叫び、全身に魔力を巡らせ、瞬時に身体能力を向上させる。その魔力の流れを、河川の流れを変えるように腕に集中させる。突進してくるラッシュルボアの動きが、スローモーションのように見えた。心臓の鼓動が大きくなる。

剣を下段に構え、突進のタイミングを計る。

 「セナ!」

 隣で同じく木剣を構えているのは、リオンだった。リオンも俺と同じことを考えていたらしい。

 「いくぞ……!」

 俺とリオンは、一瞬だけ目を合わせると、同時に動いた。ラッシュルボアが狂ったように俺達をめがけて突進してくる。俺とリオンは地面を蹴り、それぞれ向かい合う形で逆方向から踏み込む。ラッシュルボアの顎が開き、鋭い牙が迫る。一瞬にも満たない細糸のような僅かな瞬間で獲物が俺達の間合いに入ったのを見逃さない。

 俺たちは木剣を下から振り上げ、身体強化全開の岩をも砕くその一撃をくり出した。

 「「ぜぇあー!」」

 2本の剣先が、ラッシュルボアの顎に叩き込まれる。顎先から頭蓋骨にまで強烈な衝撃が走り、100㎏はあろうかという魔物の巨体が宙へと浮かんだ。

 「プッギッ……」

 そのまま自然落下したラッシュルボアは、無様に地面へと叩きつけられピクリとも動かなくなった。

 「……やったのか?」

 俺は息を切らしながら、倒れた魔物を見つめた。信じられない。魔物を、俺たちが倒したんだ。

 「すげぇ……すげぇーよお前ら!!」

 周囲の生徒たちが歓声を上げた。

 激闘の余韻が、まだ身体の芯に残っている。肺は焼けるように熱く、心臓は胸の奥で暴れていた。身体強化の反動がじわじわと足に広がり、まるで重りをつけられたように地面へ沈み込む。ここまで全力で身体強化を行なったのは初めてかもしれない。

(……やったんだ、俺は、俺達は)

 喉の奥で言葉にならない感情が絡みつく。恐怖、興奮、安堵、そして確かな手応え。どれもが渦を巻き、嵐のように心の内をかき乱した。

 「セナ、大丈夫か!?」

 リオンの声が、遠くから水面を叩くように響く。振り返ると、彼もまた荒い息をつきながら立っていた。額には汗が滲み、今の戦いが決して容易ではなかったことを物語っている。それでも、リオンの目は俺を見て、確かなものを感じ取ったのか、口元に小さく笑みを浮かべた。

 「……やったな、セナ」

 「リオンこそすげぇよ。全然動じてなかったじゃないか」

 「バカ言え、正直、怖かったぞ。けど、お前が隣にいたから踏みとどまれた」

 「……俺もだよ」

 視線を巡らせば、教師たちが次々と魔物を討ち取り、すべてのラッシュルボアが倒されたことを確認していた。そこかしこに散らばる魔物の亡骸。濃厚な血の匂いが鼻をつき、未だに戦場の余韻がこの場を支配している。

 「みんな、無事か!?」

 ガルバ先生が声を張り上げると、生徒たちが次々に顔を上げる。負傷者はいるが、致命傷を負った者はいないようだった。俺の隣では、腰を抜かしていた女子生徒が震えながらも立ち上がろうとしていた。

 「……ありがとう、セナ、リオン」

 涙を滲ませながら、彼女は微笑んだ。その言葉に、ようやく肩の力が抜ける。

 「ふぅ……なんとか、やり遂げたな。」

 リオンが大きく息を吐く。俺もそれに倣い、深く呼吸をする。

 だが、その安堵の中で、俺の中にはどうしても拭えない違和感が残っていた。

 俺の封じたはずのテイマースキルの影響か、あの瞬間、俺の頭の中に言葉にならない感情が流れてきたのを確かに感じた。ラッシュルボアの奥底に渦巻く「恐怖」を。獰猛な魔物であるはずの彼らが、俺たちに対する敵意ではなく、まるで何かから逃げるような焦燥感を抱いていたことを。

(何か、おかしい……。)

 そんな疑念が頭の奥にこびりついていた。

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