第3話 悪役令嬢と

「お嬢様、失礼します」


私は返事が返ってこないは分かっていながらも、お嬢様の部屋の前でそう一声断りを入れて、中に入る。


「……いったい、何の用……?」


先ほど追い返したばかりのメイドがやってきて、お嬢様は酷く迷惑そうな顔をするが、そんなことお構いなしに(いや、正確には大好きなお嬢様に嫌な顔をされ、それはもう傷ついてはいるが)、お嬢様のもとへずかずかと足早に向かう。


「いえ、お嬢様、朝から何も食べていないと思い、私が朝食をご用意させていただきました」

「……」


返事をしないお嬢様の目の前に、例の食パンを置いてみるが、お嬢様はピクリとも動かない。


「……ま」

「はい?」


お嬢様は絞り出すかのような小さな声で何かをつぶやいたが、残念ながら私の耳には届かず、私は少々申し訳ない気持ちになりながら、お嬢様に聞き返す。


「べつに、何でもない」

「え、」


――どういうことですか?


私がそうお嬢様に聞こうとした瞬間、人形のように白いお嬢様の頬に、一筋の涙が伝う。


「ど、え、どうしたのですか!?」



私はお嬢様の涙に動揺し、酷く大きな声でお嬢様にそう聞くが、お嬢様は「うるさい……」としか答えてくれず、それが私の動揺に拍車をかける。


そんな状況がしばらく続いた後、お嬢様はようやく泣き止んでくれ、私にぽつりぽつりと涙の訳をを話してくださる。


「お母様の作ってくれた……あの料理に似ていた……」

「え?奥様が、お嬢様のためにお料理を……?」


私がそう問うと、お嬢様はこくりと頷いてくれる。


知らなかった、まさか奥様が料理をしていただなんて。

いや、毎回ではないがたまに、奥様と廊下ですれ違うと、バターのいい匂いがするなぁ、とか呑気に考えていたが、まさかお嬢様のために、奥様自ら料理をしていたとは。


まさかの新事実に、私は驚きで動けずにいた。


「あなたは、本当に、お母様を……呼んでくれた」

「いえ、実際には、たまたま奥様のお作りになられたものと、私が作ったものが似ていただけですが……」

「それでもいいの。たまたまでも、あなたは私のためにこれを作ってくれたのでしょう?私の我儘を、親身になって答えてくれたのは、あなただけ」


皆さん、お忘れではないだろうか?

お嬢様は、私が作った例の食パンを、一度も口にはしていない。その上で、たまたま奥様の料理と似ていた私(の料理)をべた褒めなのである。それは酷くうれしい事なのだが、同時に、もしも口にした時、奥様の料理と全く違う味付けで絶望されてしまうのが想像でき、酷く心配になる。


「ありがとう……アイビー」


少し、お行儀が悪いかしら、と小さく笑いながら、ベッドの上で、お嬢様は私が作った例の食パンを小さく切り分け、口に運ぶ。その光景は、まるで天使が食事しているかのように見え、私は思わず見とれる。

そして、例の食パンを口に入れた瞬間、お嬢様のお顔はパッと一輪の花が咲いたように輝き、次の瞬間、大粒の涙をぽろぽろと流す。


「お母様の……味だわ」


そうつぶやくお嬢様の言葉に、私は酷く安堵する。

そして、私は改めて実感した。本来のお嬢様は、表情をころころと変え、そして、とても弱い。そんなお嬢様を、私は守らなければならない。


ゲームでは、悪役令嬢であるお嬢様はサブキャラであり、ヒロインに嫌がらせをすることとざまぁイベント以外は出番がなく、お嬢様のほとんどの行動はナレーションで済まされてしまうため、掘り下げがあまりにも少ない。だからこそ、お嬢様が人間不信になる理由がわからず、あまり感情移入ができなかったのだが、お嬢様が人間不信となる理由を知り、愛らしいお姿を見た今、私の中でのお嬢様の立ち位置は、どんな人間でも超えられないだろう(もともと、どんなにヘイトを集めるキャラでも、暗い過去をポンッと一つお出しされたら、それだけで好きになっちゃうタイプ)。


しかし、よほどお腹がすいていたのか、私が一人考えている間に、お嬢様は黙々と例の食パンを食べ進め、あっという間に私が用意した例の食パンはなくなってしまった。


「美味しかった、ありがとう」

「いえ……私は、お嬢様の専属メイドですから」


そう言って私はにっこりと笑うが、私の笑みを見たとき、お嬢様の顔が一瞬ひきつるのを、私は見逃さなかった。


「どうしたのですか、お嬢様」


私が声のトーンを少し落としながらそう言うと、お嬢様はピクリと肩を揺らす。


「だって……その笑顔は、お父様にそっくりじゃない」


ぽつりとそうつぶやくお嬢様。

その一言で、私は、お嬢様はお父様によく思われていないことを察しているように思えて、私は咄嗟に、お嬢様をギュッと抱きしめる。


「ア、アイビー……?」


困惑したたようにそう言うお嬢様はとても儚げで、自身の腕に抱きとめておかなければ消えてしまいそうに感じ、私はさらに、お嬢様を抱きしめる腕に力を籠める。


「大丈夫ですよ、お嬢様……私も、私以外の使用人も、旦那様も。みんな、みーんな、お嬢様のことが大好きですから」


そうお嬢様に言い聞かせるようにそう言うと、お嬢様は「うん、知ってる」と言いながら、私の背中にか細い手を伸ばしてくる。


「でもね、だからこそ私は怖いの。……あなたたちがお母様のように、いつか私の前から消えてしまうのが」


お嬢様が自ら明かしてくれた、お嬢様が酷く怯えている理由。


「お嬢様も知っているでしょう、私が強いということが。大丈夫、私はそう簡単には、お嬢様の前からは消えませんよ」


私がそう言ってもお嬢様はいまいち信用できない様子で、「本当に?」と、再度不安げに尋ね、私は「はい、勿論です」と、頷きながらはっきりと断言する。


私のそんな言葉を聞き終えたお嬢様は、お腹がいっぱいだったのか泣き疲れたのかはわからないが、私に体を預け、安心しきった様子で眠りにつく。


「おやすみなさい、お嬢様」


私がそう小さな声で言うと、お嬢様は私の腕の中でふにゃりと笑う。

そんなお嬢様のことが世界一可愛いと、私は思わずにはいられなかった。

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